見出し画像

#91 中森さん、お久しぶりです

東京地裁での民事裁判。

久しぶりの中森氏との再会。

とはいえ、その前に、場合によっては、早期に私の訴えを退けられてしまう恐れもありました。

しかし、裁判所は何人もの証人を認め、多くの審理を実施。2年近く判決を待つことになりました。

>>>>>>>>>>

民事裁判では、私は訴訟を起こした立場。刑事裁判とは打って変わって原告という立場になりました。
2018年2月6日に提起した訴訟は、
4月19日午前10時。東京地方裁判所606号法廷にて第一回口頭弁論が行われました。
民事訴訟は弁護士に任せた場合、原告も被告も本人が裁判に来る必要はありません。しかし、私は自分の目と耳で、新たな事実や事件の真相が明らかとなる瞬間を確認したいと思い、全ての期日に出廷しました。

私が訴えたのは、中森氏とN弁護士。当然ながら、中森氏は法廷に姿を見せませんでしたが、N弁護士は被告人本人と中森氏の代理人という立場で、出廷していました。

裁判の中では、一つ目の謎であった、中森氏が取調べの中で供述を何度も変えていたことへの追及が行われました。
賄賂を渡したとする現場の状況や、ファミレスでの人数を3人ではなく2人だと証言していたことについて、心理学的分析の結果、中森氏の証言は「実際の体験記憶に基づく供述ではない可能性が高い」とする認知心理学者の供述鑑定書を提出することができました。

供述心理鑑定は、これまでにも再審事件において供述心理鑑定を行った著名な大学の先生に手掛けていただきました。

もう一つの謎である、控訴審における裁判官の職権による尋問を控えた中森氏に対して、どのようにして、何の目的で判決書が差し入れられたのか、追求が進められました。
証人尋問には被告本人以外に関係者が3人呼ばれました。

2019年10月17日。10回目の公判で、N弁護士の尋問。
10月24日。11回目の公判、中森氏への尋問が予定されました。
尋問される人は必ず裁判所に出頭しなければならないので、この日だけは本人がやってきました。

中森氏は既に刑期を終え、都内で生活しているとのこと。
この時も、私とは一度も目を合わせることなく、事件についても以前と変わらない証言を繰り返していました。

弁護団による尋問の後、時間の都合もあり、最後に私から一つだけ中森氏に質問できる機会をいただけました。

私の前では一生懸命に汗を流して働く零細企業の経営者。裏では数億の大金の融資詐欺を働く自称"錦三丁目の夜の帝王"。中森氏はきっと、私との会話や浄水プラントの打ち合わせのことなど、刑事との打ち合わせのこと以外、何も覚えていないのだろうと思ってました。全ては創られた記憶。

そこで私は、

「中森さん、お久しぶりです。一つだけなんですけど、最後にお会いした日は覚えていますか?お話しした日です。法廷以外で」

「 ... 」

彼からは何の返事もありませんでした。

その後、2019年12月5日。
私も本人尋問として法廷で証言台に立ちました。

いくつもの質問を記憶をもとに証言しました。
最後に、裁判長から補充尋問を受けました。

裁判長「最後の質問ですが、あなたが今回、刑事事件、民事事件含めてですけれども、特に刑事事件において有罪判決が確定したわけですね」
私 「はい」
裁判長「それによって受けた精神的な苦しみ、多々あったと思いますが、その中で一番精神的な苦痛として感じたことというのは何でしょうか」
私「やはり、経済的にも精神的にも、当然、市長を辞めるということになってしまったことも苦しいことではありました。しかし、特に私は、政治家を志したときに、同世代やこれからの世代の人たちに恥ずかしくない政治家として務めていきたいと思っていました。そんな私が、まさか賄賂を受け取ったということを裁判の方で認定されてしまったことが、私としては最も悔しい部分になります」

実は、この"精神的損害"というワードは重要ポイント。
関係者からは、精神的損害についての質問があったということは、請求が認められる可能性が高いのではないかと言われていました。

2020年2月27日に最終弁論が行われ、裁判は結審しました。
今回も、弁護団は膨大な量の書類を提出し、多くの時間と労力を費やしてくださいました。

判決は5月21日の予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で裁判所の期日が遅れたため、8月6日へと延期になりました。

希望の光が見えていた、はずでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?