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病気の人にとって、周りの助けはすごく温かいことって知ってた?

今回は私が病気になって環境が変わってから、
周りの人に助けられた話を共有します。

5歳の時に、ヒルシュスプルング病類縁疾患(先天性腸疾患)と診断。
手術を行い、12歳の冬に再手術。
10年間、共にし、15歳で完治。

あくまで個人的な話ですが、
少しの優しさだったり、人があたり前に与えていることが
時には与えられた人にとって嬉しいことや、
忘れられないことでもあるということをお伝えしたいと思い、
個人的経験を記事にしたいと考えました。

両親の優しさ

10年間、病気と共にした期間の中で
通院だけではなく、検査入院や手術も経験しました。
病院の面会ルールとして、1人ずつの面会しか許されていないため、
時間をずらして毎日お見舞いにきてくれました。

成長した今、毎日お見舞いにきてくれたこと。
面会時間が限られているにも関わらず、
面倒くさがらずにきてくれたこと。

時には祖母の入院と私の入院の時期がかぶり、
両親は病院をはしごすることもありました。

そんな中でも毎日きてくれたことにとても感謝していますし、
両親が帰るときは、毎日号泣していました。
それだけ尊い時間でしたし、入院している身としては少し気の紛れる時間でもあったので大切な時間でした。

再手術の時には妹も面会に来てくれたのですが、
年齢制限上、入院病棟の中には入れず、ガラス越しで顔を合わせたときは
涙がとまりませんでした。

改めて、感謝したいと思います。
本当にありがとう。

近所の方たちの配慮

私が当時住んでいた場所は、ご高齢の方が多い地域でした。
その中でも、隣の家のご夫婦には優しくしていただきましたし、
今でも仲良くさせてもらっています。

実の家族ではないのに、私の体を心配してくれて、気遣ってくれました。
病気がきっかけで、学校内で疎外されていた私にとっては
貴重な居場所でした。

改めて、感謝します。
寄り添ってくれてありがとう。

小学校の同級生の優しさ

私は、病気がきっかけで周囲に迷惑をかけてしまうものであったため、
いじめや差別に発展したケースがありました。

その中でも私を疎外せず、建前であっても受け入れてくれた同級生の子達には感謝の気持ちでいっぱいです。

特にうれしかったエピソードとして
当時、私は再手術のとき、冬に入院していたため、
バレンタインも病院の中で過ごしました。
小学生でもバレンタインは知っていたので、
当たり前の小学校生活ができずに、当日も虚しい気持ちでした。

私が入院していた時期に、母は同じ病院で働いていました。
ある女の子がバレンタインデーの日に、
母に私宛のバレンタインを渡してくれていたことがありました。

当時、空白だった私の日常を素敵なものに変えてくれました。
おかげで入院生活も耐えることができたと思います。

もう一つ嬉しかったことがあります。
病気と向き合いながらも、小学校に通うことができていたのですが、
周りに迷惑をかけている罪悪感や自分が病気であることで
いわゆる自己肯定感はないに等しい状態でした。

そんなある日、給食の時間に、一言ほめてくれた子がいました。

「お箸の持ち方きれいだね。」って

他の方からすれば、小さい事かもしれませんが、
当時の私はお箸の持ち方でさえ、褒められたことに
舞い上がるほどのうれしさを感じていました。

改めて、私を受け入れてくれて、
素敵な言葉や、プレゼントをくれて
ありがとう。

今でも記憶に残る最高の思い出です。

さいごに

今回は私の個人的経験を書きました。
この経験からの気づきとして、

何かを与える人は当たり前のように行っていることであっても、
与えられた人にとっては大切なものに変わるということ。

昔、たくさんの方に支えられ、助けられました。
今は、与える人としてこの世に存在したいと強く思います。

この記事を読んでくださっているあなたも
気づかないうちに幸せやぬくもりなど
プレゼントを与えているかもしれません。

与えることもあれば
与えられることもあるのが
この世界であり、人間の特徴でもあります。

この世界が、
私が経験したことのように
素敵なプレゼントで溢れますように。

お読みいただき、ありがとうございました!
ぜひ、別の記事もご覧になってくださいね😊



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