死ぬまでにやる50のことリスト
これまでの人生、「死ぬまでにやる50のことリスト」をレ点で消し込みながら生きてきました。いつから? だいたい20代半ばの頃からでしょうか。もっとも、いまやそのリストはiPhoneの「メモ」アプリの中に格納されていまして、クラウドで何台かのMacBookとも同期されていますが、当初は手帳のお尻の方のページに手書きでした。年の初めに手帳を新調するたび、まずは「リスト」を転記するのがお決まりの儀式でした。というか、当初は「死ぬまで」に猶予があり過ぎまして、リストを転記するたび、ふーん、こんなことを考えていたっけな、てなもんで、一年に一回、「やること」のいわば棚卸しをし、そのうちいくつかをちょこちょこっと手直ししたら、あとはまた1年忘れ去る程度のことでした。それが、いまや「死ぬまでに」が年相応にリアリティを持ち始めていまして、その分、すでにやれたこと、未だやれないでいることを腑分けすることの意味が重くなってきているように思います。
コラムニストのももせいづみさんが、だいぶ前に『「願いごと手帖」のつくり方』という本を上梓されていまして、途中、新装丁版が出たりとなかなかのロングセラーになっているようです。残念ながらまだ手にする機会に与っていないのですが、その基本となる考え方はあるいは僕の「リスト」にも通底するのではないかと推察します。近く必ずや読んでみたいと、こちらは「リマインダ」アプリに入れています。
「リスト」の効能とは、すなわち、強く願うことがすべての出来事の始まりということ。言い換えれば、強く願った瞬間から変化はもう起きているのだ、ということです。
ときに話題のChatGPT君と遊んでみたりしているのですが、さして期待もせず「小説家になるにはどうしたらいい?」と訊いてみたわけです。結果、間髪入れず出てきた回答の1行目に唸ってしまいました。
「小説家になるには、まずは今日から何ものかを書き始めることです」
ここでも、やはり底流にあるのは、小説家になりたいと願ったあなたはもはや小説家。いまや書き始めるしかないのだ、という真理でした。
さて、当の「死ぬまでにやる50のことリスト」ですが、気がつけばおよそ半分の項目に「済み」のレ点が付されているではないですか。例えば、
他方、「リスト」
導入から40年を過ぎてなお書き換えなし・レ点なし、すなわち目標に一切ブレはないものの実現には目処が付かないものも少なくありません。例えば、目を悪くする直前に、「20ポルシェに乗る」をなんとかクリアしたことは、先にnoteしましたが、10年ほども前に予言した「21Appleカーに発売と同時に乗る」は、どうやらクルマそのものは早ければこの1、2年で公道を走り出しそうな機運が高まっていますが、肝心の僕の視力と免許証が「失効」していまして、叶わぬ夢となりそうです。
「リスト」には、美術館に関するものも二つ三つ含まれます。
15美術館の仕事に就く
16自分の美術館を持つ
15番の「美術館の仕事」そのものは、10数年前から北海道美唄市の「安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄」の理事・運営委員を務めていますから、ひとまず「達成」のレ点を付していますが、16番の「自分の美術館」の方はそうやすやすとは持てそうにありません。ただ、建物やコレクションの規模さえ問わなければ、早い話、今日からでも始める方法がないわけではありません。ただ、どうせつくるのならいくらかの個性は際立たせたいもの。例えば、ロンドンのテートモダンで作品に包まれて惰眠をむさぼった経験から、いっそ(吉田キミコ作品に囲まれて)「泊まれる美術館」があったら……と夢想しています。
ところで、「リスト」の50番はいまのところ、
50(人生の)最後に「あー、面白かった」と言ってスタバのキャラメルマキアートを飲み干す(仮)
となっています(ちなみに、コーヒーの飲めない僕にとって、上から注がれるエスプレッソコーヒーは永遠の禁忌食品です)。それが、最近、引退を表明した吉田拓郎さんの最終アルバム(?)のタイトルが「ah-面白かった」となっているではありませんか。「こっちが先でしょが…」なんて屁理屈は到底通じないお相手です。結果、お尻に「(仮)」を付けた、文字通り仮置きのかたちになっていますが、いずれ彩豊かながらそんなたいそうなものでもない我が人生を締め括るにもっとぴったりの一言が閃いたようなときは、迷わず置換するつもりでおります。
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