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喜劇人に花束を 志村けんさんについての深夜の連ツイから始まった奇妙な体験と、noteに書こうと思っていたこと

志村けんさんの訃報が伝わった日、私は寝る前にこんな書き出しの連続ツイートをした。

深夜2時近い。最近、早寝なので、いつもならとっくに寝ている時間だ。
でも、「この出来事は、何か書き残しておきたい」と思った。だから備忘録として、走り書きするようにツイートした。
この後、ある事情でリファインされたものを載せるので、リンクは開かなくても大丈夫です。
こうした連ツイを元にnoteを書いたことが何度かあったので、「気が向いたら、補強して書き直して投稿しよう」と思っていた。

目が覚めたら、自分のいつものツイートに比べると「いいね」も「リツイート」も多めだった。「志村さん、愛されてたんだなぁ」と思いながら、その日は仕事でnoteを書く暇はなかったので、さっさと準備して出社した。

すると昼過ぎにツイッターのメッセージが来た。
ハフィントンポストの編集者の方だった。
ハフポストにはマンガコラムをたびたび転載・拡散していただいているので、御縁はあるのだが、面識のある方はいない。

「何事だろう」と思ったら、「昨夜のツイートを転載したい」というオファーだった。
「そんなことがありますか。新しいパターンだな」
ちょっとビックリした。
パブリックになっているものとはいえ、寝る直前、少々ビールも入った状態で書いた即興の文章なので、表現やタイポを直して、「手直ししてますよ、と明記してもらえるなら」と了承した。

この時点では、「色んな人の追悼コメント集みたいなのを作っていて、one of themで変わり種を混ぜるのかな」と勝手に想像していた。同業者としての発想で。
すると、なんと、ツイートがそのまま一本モノの記事になって流れた。

これはかなりビックリした。そんなことって、あるの?
「面白い世の中だな」と思い、スマホを閉じて仕事に戻った。

しばらくして「コーヒーでも飲むか」と休憩に立ったとき、ツイッターの通知がバンバン来ているのに気付いた。
拡散力抜群のハフポストのアカウントが、私のアカウントを併記してツイートしたので、こちらにも通知が入っていたのだ。
リプライや感想も流れていて、同世代の方が共感してくださっている。

「ツイートがいきなり記事になって妙な気分だけど、読んでもらえるのは有難い」
などと呑気な気分でハフポストのサイトを覗いて、仰け反った。

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まさかのサイトのトップ記事。
これは、ほんとにビックリした。
そんなことが、ありますか!

その後も数日間、記事はトップ画面に残り、ハフポストのアカウントが何度もツイートで拡散してくれて、軽く数万単位(だろうと思う。具体的な数字は聞いていない。多分、非公表)の方々に読んでもらえたようだ。
以下、記録のために転載しておきます。既読の方はスルーを。

志村けんさんの訃報は、感染のニュースを聞いた時点で、ご年齢から「リスクは高い」と想像していたのもあり、青天の霹靂ではなかった。
なのに、自分は思っていた以上にショックを受けた。

そして「なぜだろう」と考えた。

訃報の直後にある方とツイッターでやり取りしたとき、反射的に「親戚のおじさんが亡くなったような気分だ」とツイートした。
これは我ながら的確で、「身内感」があったのだ、志村さんには。
それは1972年、昭和なら47年という生まれによるところが大きいのだろう。

「8時だョ!全員集合」やドリフのコント番組は、キラーコンテンツとかそんな程度のモノではなく、我々の世代には「一般常識」だった。
クラスで知らないものはいないし、誰もが共有する「型」というか、古典のような存在だった。

正直に書けば、私は志村さんのファンではなかった。
ある程度の年齢、中学に上がったあたりで、ドリフや志村さん、カトちゃんのコントは卒業した。
もうちょっとシニカルな、ビートたけしやとんねるずなんかにシフトした。
たまにテレビでドリフを見かけても「まだやってるよ」と思うだけだった。

なのに、こんなにショックを受けるのは、やはりドリフのコントが、自分のユーモアのセンス、笑いの感覚に、屋台骨のように組み込まれているからだろう。
同じようなエレメントと言える存在は、「トムとジェリー」くらいしか思いつかない。

「トムとジェリー」と違って、志村さんやドリフのコントがアカデミー賞なんかの栄誉に輝くことはない。
志村さんのコントは、子供には最高の娯楽だったが、親には「(子供が)下品なことを真似する」と嫌われていた。
幸い、私の親はそんなことを気にするタイプではなかったが。

何が言いたいかというと、私が失ったのは共通の体験、共通の言葉、共通の文化なのだ。
志村さんはそれを体現していた。「長さん」も大きな存在だったが、やはり、ケンちゃんとカトちゃんの方が、ドリフ的なものの体現者だと感じる。

お下劣な下ネタにはこのご時世、批判もあるだろう。
私も当時から「なんでやたら女性の裸を出すのかな。あまり面白くもないのに」と感じていた。
しかし、今の価値観で昔のコンテンツを語るのは、時代検証も含めて、慎重であるべきだと私は思う。変に美化するべきではないが、それは志村さんの一面でしかない。

今はメディアとしてのテレビの力が落ちて、「世代を超えて共有される物語」は減る一方だ。ギリギリでその地位を守っているのは、ジブリの一連の傑作くらいだろうか。
志村さんの死は、ある一定以上の年齢、私のような世代にとっては、好き嫌いは別にして、やはり自分の血肉のようなものが失われた喪失感がある。

そして思う。
その死が、なぜ、美空ひばりや手塚治虫より、自分にとってキツいのか。
それは「笑い」というものの価値なのだと思う。
笑いは、普段は軽く見られがちなものだ。
だが、笑いほど、人を笑顔にすることほど、価値のある営みなど、なかなかないのだ。
私は「お笑い」という言葉を嫌う小林信彦さんを信奉している。「お」をつけると軽さが増して、価値が下がるように感じる。

「バカ殿」や「ヒゲダンス」や「神様」なんてのは、同時代性が強くて、普遍的価値はないかもしれない。今の子供が見ても面白くはないかもしれない。
でも、私たちは子供の頃、腹がよじれるほど、それに笑わされたのだ。志村さんが笑わせてくれたのだ。

コメディアンの価値は、日本では低い。名優とか国民的歌手より、一段も二段も低く見られがちだ。
でも、本当はそこに優劣などないはずだ。人の心を動かす、という意味において。
いや、むしろ、笑いこそ、一番掻き立てるのが難しく、人を救うものではないだろうか。

面識はないけれど、「面白い親戚のおじさん」が亡くなってしまった。
繰り返しになるけど、本当に、予想外にショックを受けている。
この気持ちを新鮮なうちに書き留めておきたかった。

ご冥福をお祈りします。

さすがに文章が粗い。「おやすみツイート」なんだから、しょうがない。
でも、志村さんについて、ドリフ的なものについては、書きたいことは書いてある。
ここからは、noteにするときに補足しようと思っていたことを追記する。

軽く見られる「喜劇人」

ツイートでも触れたように、私は小林信彦のファンだ。長年、『週刊文春』を愛読していた(過去形です)のは、小林さんのコラムの存在が大きかった。
小説は10冊ほど読んだだけだが、入手困難だった「オヨヨ」シリーズを知人から借りて読む程度には「好きな作家」である。
小説以上に愛しているのは一連の喜劇人論とメモワールだ。この辺り。

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(『テレビの黄金時代』復刻版も買う物好き)

特に『天才伝説 横山やすし』と『おかしな男 渥美清』は、リアルタイムでこの2人を見ていた世代には、激烈にお勧めする。最高です。

抑えた筆致で、それでいて個人的な親交があった者にしか書けないエピソード満載の極上の追想録である。雑誌連載を欠かさず読み、単行本で数回再読し、文庫が出たらまた買ってこれも数回再読している、屈指の愛読書だ。

少し脱線して『おかしな男』から一般のイメージとは違う渥美清のエピソードをご紹介しよう。
『男はつらいよ』シリーズが始まる何年も前、ようやく人気が出てきた頃に、渥美清は嫉妬心の強い伴淳三郎から嫌がらせをうけた。
小林信彦は渥美清の住む殺風景な安アパートで顛末を聞く。

「奴はおれが何をやってきたのか知らないんだ」
「え?」
「おれには特技が二つあるんだ」
渥美清はうかがうようにぼくを見て、
「一つは口跡よ。仁義を切る時の口跡がいいというので親分にほめられた」
僕は身を硬くしている。いったい、この男は何者なのか?
「もう一つはな。おれが他人の家の玄関にすっと立っただけで、相手は包んだ金を出したんだ」
渥美清がテキ屋をやっていた事実はのちに明らかになるのだが、もっと危険な世界にいたことがあるのではないか、と僕は推測している。
(『おかしな男 渥美清』小林信彦 「5 過去」)

こんな調子で、最初から最後まで読みどころ満載。
特に、両方にちらりと姿を見せる萩本欽一の、今の「欽ちゃん」からはまったく想像できない天才的な洞察力に息をのむ。

閑話休題。
私はツイートの中で「コメディアンの価値は、日本では低い」と書いた。
この一文は、例えば『おかしな男』の中のこの下りを下敷きにしている。

「日本では、喜劇、笑いのたぐいが軽視され、演者も、それについて書く者も、軽視されるのが事実だった。(今でもそうだと思う。)
(『おかしな男 渥美清』小林信彦 「7 最初の成功」)

小林信彦ほど、この嘆きを嘆くのに値する書き手はいないだろう。意味が分からない方はWikipediaをご覧ください。

日本では喜劇とコメディアンは低く見られる。
だから、というわけではないかもしれないが、喜劇人が売れると「お笑い」から脱皮しようとするケースがままある。
演技派への転向や、文化人路線、ボランティアなど「いい人」方面へ活動を広げるパターンだ。
もしかして、今はそうでもないのかもしれない。
私はいわゆる「お笑い」というジャンルを追いかけるのを、「やすきよ」から「ひょうきん族」、とんねるず辺りでやめてしまった。
ダウンタウンの「ごっつええ感じ」とかウッチャンナンチャンのコントをたまに見た程度で、今の現役世代の芸人はほとんど何も知らない。

『おかしな男』では渥美清が森繁久彌を崇敬していたという話が出てくるのだが、その背景は『日本の喜劇人』で詳述されている。

第三章「森繁久彌の影」では、森繁が名画『夫婦善哉』を機にコメディアンから俳優へ見事に転身したことが、ある世代の喜劇人に多大な影響を与えたという説が語られる。
小林信彦によると、「森繁病」は以下のように進行する。

第1期 売れるに至った「動き」をやめ、一種のウツ状態になって「ぼくはコメディアンじゃない!」と言い出す。
第2期 珍芸・扮装・奇抜な動きをやめて、やるときには渋々やる
第3期 チャップリンや森繁のような哀愁のある演技を目指し、「泣きべそをかいたような顔をアップで撮ってほしいと注文する」
第4期 そのタレントは人気を失っていく。「森繁は運が良かったんだ」と叫びながら。

これはもう半世紀以上も前の話であり、現代にそのまま通じることではないかもしれない。
それでも、「笑い」とそれに関わる人達の営みへの社会的な評価は、他の芸能・芸術、スポーツやビジネスに比べて低いことには変わりない。
自分のツイートを一部再掲する。

コメディアンの価値は、日本では低い。名優とか国民的歌手より、一段も二段も低く見られがちだ。
でも、本当はそこに優劣などないはずだ。人の心を動かす、という意味において。
いや、むしろ、笑いこそ、一番掻き立てるのが難しく、人を救うものではないだろうか。

喜劇人やコメディアンが俳優や文化人に転じて、成功するのを悪いとは言わない。北野武のように世界的な映画監督になる例だってある。

それでもやはり、志村けんさんのように、最後まで「人を笑わせること」でキャリアを全うする生き方には、矜持と清々しさを感じる。
余芸(とは言えないレベルなのだが)で音楽評論などはやっても、大衆の前ではひたすら喜劇人であり続けたことは、追悼番組の遺影が雄弁に物語る。

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ツイートでも書いたように、私は志村さんの熱心なファンというわけではなかった。
それでも大きな喪失感を感じている。
それは、志村さんが「森繁病」のような横道に逸れず、真っすぐにコメディアンとして歩んだからなのだろうと思う。

改めてご冥福をお祈りします。

偉大な喜劇人に、花束を!

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