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本は「天下の回りモノ」である

以前、こんな騒動(?)あった。

メルカリのスマホ決裁「メルペイ」が後払いサービスを発表
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メルペイのトップが「新しい本を『借りるようにして読む』体験を提供できる」と発言。「後払いで買う→読む→本をメルカリで売る→売却代金で支払い」ができる、という話。

これに某氏が「著者及び出版社への敬意が全くない」と激怒。メルカリとの絶縁を宣言。

別の某氏が「それは違うんじゃないか?」と反論

世の中、いろいろありますね。

1人でも多くに「届く」なら大歓迎

私はメルカリだろうが、ブックオフだろうが、回し読みだろうが、図書館で借りようが、一人でも多くの人が自分の本を読んでくれれば、嬉しい。

そうした「人から人へと渡っていくポータビリティー」がフィジカルな本の素晴らしさだと思う。

メルカリと絶縁宣言した某氏はブログに、
「メルカリのビジネスモデルは著者である私とは完全に利害が対立します」
「メルカリで売り払う読者の方も、そのことで著者及び出版社は機会損失が生じているということについても、理解いただけるとありがたいです」
と記した。

ここで言う利害とは「新刊を買ってもらわないと印税が入らない」ということだろう。

さて。

そんなことで「完全に利害が対立」するほど、著者と読者の関係は安っぽいのだろうか。
印税を落としてくれる人以外、「完全な読者」ではないのか。

私は『おカネの教室』のSNS投稿をみかけるとレスをつけることがあるのだが、「図書館で借りて読みました」という人でもコメントは同じである。

「ご愛読ありがとうございます」

貴重な時間を割いて本を読んでくれた人に、他に言うべきことがあるだろうか。

「回し読み」組と配布オジサン

私の職場には大学生のバイト軍団がいる。
なかなか優秀な学生諸君で、雑談していると若い世代の考え方の一端が見られて楽しい。

ある日、バイトさんの一人(女子)が、私の本を読んでくれて「サインしてください!」と言ってきた。一応、ペンネームなのに良く気づいたな。
すると別のバイト(男子)が「え、それ高井さんの本なの?」と反応して、女子が「めっちゃ面白いよ!」と推薦してくれた。
これに対する男子バイトの反応が傑作だった。

「バイトは全員読んだ方がいいよね!PDFで共有しよう!」

私は「その発想があったか!」と笑ってしまい、女子バイトは「いやいやいや、そこは買おうよ!」とお説教していた。
男子バイト君が「やらかした…」という顔をしていたので、「買わんでもええから、回し読みしてよ」と言っておいた。
PDF化は、明確に違法行為ですからね。

『おカネの教室』の「回し読み」組には、「モスクワ発町田グループ」(仮称)というトリッキーな読者もいらっしゃる。
2018年3月の発売直後、私はモスクワ駐在中だった古川英治さん(現在はフリージャーナリスト)に本を送った。
すると彼のお母様がモスクワに訪ねてこられた際、ふと手に取って気に入ってくださり、そのまま日本に持って帰ってしまった。
古川さんによると「同じ会社にこんな立派な本を書く人もいるのに、それに引き換えお前は…」と説教までされたという。ひどいとばっちりだ。
そのお母様が地元・町田市の御友人の間で、拙著を回覧してくださっているのだという。
古川さんには「印税落ちなくて悪いな」と言われた。
いや、悪いどころか、そんな光栄な話、なかなかないです。

そういった「回し読み」組もいれば、大学時代の友人Kさんは数十冊単位で大量購入して知人にバラまいてくれている。

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(初版本の山! ありがたや…)

他にも、金融教育とボードゲームを組み合わせた活動に取り組んでいる愛知県の大学生が、集会の「常備本」として数冊キープしてくれていたり、あるいは読書ログ記録アプリで中学校・高校の司書の方が「図書室に入れます」とおっしゃってくれたり…。
たった1冊出しただけの私でも、「自分の本と読者には、こんなに多くの『出会いのパターン』があるのか」と驚かされる。

もちろん、幸運な出会いばかりではない。
こちらはAmazonレビューで最もdamagingだったものである。

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本には相性というものがある。
「無駄遣い」させてしまい、本当に申し訳ない。
すぐフリマに出したの、ナイス判断です。
ぐるぐる回っているうちに相性が良い人と出会うのを祈るばかりだ。

本は読まれてナンボ

本は、おカネのごとく、「天下の回りもの」として融通無碍に浮世を渡り歩いていくものだ。だから私は電子書籍よりフィジカルな本が好きで、神田の古書店街が好きなのだ。

本は、安い。
そこから入る印税も、バカ売れしない限り、安い。
著作業が本業ならそれは切実だろう。
でも、兼業作家の気楽さを承知で言えば、そんな「安い」のに買ってもらえないのは、書き手の責任じゃないのか。

「無駄使い」と断言するレビューの後だから少々自慢話めいたことを書きますが、私の本には「図書館で借りて読んだけど、手元に置いておきたいので本屋で買いなおした」という読者が少なくない。
「Kindleで読んで、子供にも読ませたいと思ったから紙の本も買った」という方も、かなりいらっしゃる。

中古購入も、個人間の貸し借りも、回し読みも、ましてや図書館で借りるのも、すべて完全に合法である。
新刊を買うかどうか決めるのは、当たり前すぎるけど、読者だ。

本は読まれてナンボのモンである。
出会いがどんな形かは分からない。そこから先、どういう「お付き合い」になるかは、本の出来(と相性)が決める。

我が家を例にとれば、吸血鬼の如くお金を吸いあげる「ハリポタ」シリーズとの出会いはブックオフだった。

印税が落ちるように、できるだけ新刊で買おう。
それはわかる。私だって印税が入った方が嬉しいです。お金、好きです。
でも、そもそもでいえば、「誰かに何かを伝えたい」と思って人は本を書くのだろう。
お金よりも貴重な時間を割いてくれたこと、あるいは割いてもらえないことに、私はより一層、重みを感じる。

私の本質は「その日あった面白かったことを夕飯時に食卓で話したくて仕方ないガキ」のままである。

読んで誰かが「面白い」と思ってくれること。
「これ面白いよ」と誰かにすすめてくれて、読者が広がること。
それが一番、嬉しい。

綺麗事ばかりではナンなので、言わずもがなの補足を。
新刊の印税が入らなくても、読者が増えれば長い目でみて書き手に必ずメリットがある。

違法ダウンロードや海賊版と違ってフィジカルな本の2次流通は必ず最初に「新刊購入」がある。
誰も彼もが「メルカリ」で買うわけでもない。読者の裾野が広がれば、新刊の販売にだってプラスだろう。
「メルカでしか売れない」状態なら、その本としては「天下の回りモノ」に十分な量が世に出てしまったのだ。

読者が増えて書き手の認知度が上がるメリットもある。
私のnoteはストレス発散が執筆動機の9割を占めているが、本気で書いているのは、そういう計算がもちろんある。
実際、note経由で本を買ってくれる読者は少なくない。ロングランで印税収入や付随する収入・仕事も増えるだろう。

うん。
やはり、「メルカリ叩き」は、ケツの穴が小さい上に、視野が狭いぞ。

最後、ちょっと育ちの悪さがにじむ言葉使いになりました。ご容赦を。

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