人前で話すの、苦手ですか?
公私ともに、人前で話す機会がわりと多い。「公」ってのは本業、「私」ってのはペンネーム・高井浩章さんです。
話すのは得意というか苦にならないたちで、だからこそ、そういうお役が回ってくるという面もある。
世間には「人前で話すのは苦手」という人もいる。
苦手な人は別に無理しなくていいような気がするが、どうしても自分がやらなきゃ、という場面だってあるでしょう。
そんな方に、私のコツというか、苦にならない理由をシェアしてみます。
なお、今日は公私ともにたくさん原稿を書いて、公私ともに限度額を超えたようで筆が止まったので、息抜きにこれを書いています。ついに『鬼滅』に手を出してしまったから続きを読んでもいいんだけど、雑文は別腹ってことで。ですので、下書きなしの一発書き、乱文ご容赦。
人前で話すのは昔から得意で、中学校のときには校内の弁論大会で優勝しました。「塾って、どうなのよ?」というようなテーマで話をした。
高校ではあまり機会がなかったけど、大学時代はバスケサークルの会長さんになり、このサークルがユーレイ含めて100人規模とでかくて、おまけに他の大学との交流組織なんかを作ってイベントやってみたりと手広く遊んでいたので、「出役」になることが多かった。地元テレビの3on3の番組で解説者をやったこともありましたね。忽然と思い出した。
社会人になってからもアレコレとしゃべる機会は多く、「高井浩章」さんもYouTubeに呼んでもらったり、「LIVE! おカネの教室」みたいな漫談イベントやったりと、まぁ、よくしゃべる人です。
で、コツ、というか、苦にならない理由。
ありきたりですが、自然体でいく、ってことです。
「いや、それができれば苦労はないがな」とお思いかもしれない。
でも、これに尽きる。
自分以上のモノは、本番では出ません。
マトリョーシカみたいな話になりますが、自然体でいくためのコツというのがありまして、それは「諦める」です。
何を諦めるかというと、「うまいこと言う」を諦めます。
そんなことは考えない。
自分以上のモノは、本番では出ませんから。
さらに玉ねぎの皮をむくと、「諦める」ためのコツは、「誰も聞いちゃいない」と知ることです。
ほんと、人の話なんて、誰も聞いちゃいないから。
だって、アナタ、聞いてます? 他人のあいさつとかスピーチ。
聞いてないでしょ? 嫌いな人の話なんて。
聞くのは、アナタが相手にある程度の興味か好意を持っているときだけでしょ?
ね?
「誰も聞いちゃいない」と書きましたが、正確には「あなたの味方しか、あなたの話は聞いていない」と思っておけばいい。
もしあなたを良く思っていない人、あなたに関心がない人が聞いていたとしても、それ、どうでも良いじゃないですか。
だから、私は人前で話すときでも、普段の会話のように、「仲が良い人とおしゃべりする」つもりで話しています。
もちろん、TPOに応じて言葉遣いやらは変えますよ。
補足すると。
相手を「説得する」ときは別。プレゼンみたいなのもここに入るかな。これは戦略的にやります。あと公式行事のご挨拶みたいなのも紙を読みます。
でも、そうじゃない場合、スピーチしたり、コメントしたり、講演したり、そんなやつ。
そういうのは、「いつものおしゃべり」の気分です。
それでつまらなかったらどうするかって?
何度も書きますけど、自分以上のモノは、本番では出ませんから。
この「自然体でいく」というのと対になっているのが、「極力、アドリブで行く」です。
だって、普段の会話で台本用意しませんよね(笑)
「尺」が厳しかったりする場合もあるので、そういうときは箇条書きぐらいは用意します。
でも、たいてい、あまり意味ないですね。流れでそれも無視して話しちゃうから。
「収拾つかなくなったらどうすんねん」って?
だから!自分以上のモノは、本番では出ませんから!
それは、もう、しょうがない!
と、何やらヤケクソな感じになってますけど、でも、これホントにオススメというか、その方が良いんですよ。
台本読んでエエこと言ってるように聞こえるようにするのって、それが自然体に聞こえるまで練習しないとダメなんです。
政治家のここ一番のスピーチなんかはそうでしょうね。
でも、そんな暇ないし、そんな勝負どころ、そうそうないですよ、ふつう。
そうするとですね、「台本読んでる」と察知された時点で、聞く方の耳がスッと離れるんですよね。
コミュニケーションとして不自然だから。
「読むぐらいならテキスト配れよ」と。
この不自然さで被る損失に比べたら、「自然体のアドリブ」で行くリスクなんて、大したことないです。
どうせ、自分以上のモノは、本番では出ませんから!
さて、ここまでくどいほど繰り返してきたのに、最後にひっくり返します。
「自然体のアドリブ」で行くと、本番で「自分以上のモノ」が出ることがあります。
これは何というか、ケミストリーみたいなものなんでしょうね。聴衆と場と話す人が起こす化学反応。
「話す」という運動の中から、口をついて生きた言葉が出てくることがある。自分以上というか、「普段の自分」以上のモノがポンと飛び出てくることがある。
普段のおしゃべりだってそうですよね。
話しているうちに、自分でも思ってもみなかった表現や感情が出てくることがある。
それが会話の楽しみです。何が出てくるか、話してみるまで分からない。
自然体のアドリブ。
試してみてはいかがでしょうか? 結果には責任持てませんが(笑)
ま、いずれにせよ、自分以上のモノは、本番では出ないから。
結局、元にもどったな(笑)
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