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削って、削って、削る! 「おカネの教室」ができるまで⑩

小説のリライトはどう進めるのか。あくまで一例として、「おカネの教室」のプロセスをご紹介する。要諦は、削って、削って、削ることにある。

初稿から2割カット

まず「おカネの教室」の初稿と第2稿の分量を比べてみよう。

初稿  21万4600文字 229ページ
第2稿 16万9600文字 175ページ

文字数、ページ数とも2割ほど圧縮している。
初稿は7年にもわたる長期連載で、しかも各回で読者=娘を楽しませようとウケを狙った内輪ネタも多かった。その気になれば、「削りしろ」には困らない
どんな調子でガシガシやったか、冒頭シーンだけ引用してみる。
少し長くなるが、先に第2稿から。

 予想通り、教室はがらんとしていた。
 ちょっと迷ってから、僕は窓から三列目、前から三番目の席についた。校庭の真ん中でサッカークラブが準備体操をしている。ため息が出た。クラスの男子十五人のうち十人がサッカークラブを希望して、当選枠は五人しかなかった。僕は四年生、五年生に続く三連敗で落選した。バスケ、野球クラブの抽選でも続けて落ちて、残ったのは英語クラブと、ここだけだった。英語は大嫌いだから選択の余地はなかった。こんなクラブ、五年の時には無かったし、「なんで、いまどき」とは思ったけど。
 もうクラブ開始時間を五分過ぎているのに、誰も来ない。よっぽど人気がないんだろう。それにしても顧問の先生すら来ないってのは、どういうことだ。
 「ようこそ!」
 突然、教室の後ろから大きな声がして、僕はビクッと飛び上がった。三センチくらい、ほんとにお尻が浮いた。振り向いて、今度は目の大きさが一センチくらい広がった。ドアから見えていたのはグレーのチェックのシャツと、白いズボンだけだったからだ。
 「よいしょ」
首なしおばけが入り口をくぐると、丸メガネをかけたおじさんが現れた。それは僕が今まで生で見たなかで、一番でかい人間だった。
「では、あらためて、ようこそ!」
でかいおじさんは、ツカツカと歩いて黒板の前に立ち、チョークを手にすると、黒板をかるく見下ろしながら、体に似合わない几帳面な字でこう書いた。
 そろばんクラブへようこそ!

次に初稿。読む必要は全くない。削った部分を大まかに太字にしておくので、生き残った部分とのバランスだけざっとご覧いただきたい。

 思ったとおり、教室はがらんとしていた。
 こういうとき、どこに座るかってのは、なかなか難しい問題だ。
 教壇の真ん前に座るのはいやだ。でも、一番うしろとかもまずい。「さ、空いてるから、前に」なんてちょいちょいと呼び寄せられて、結局、先生の目の前に座らされるかもしれない。
 ねらい目は真ん中あたり、しかも右か左にずらした席だな。
ちょっと迷ってから、僕は校庭の窓側寄り二列目、前から三番目の席についた。
 外をながめると、校庭の真ん中では野球クラブとサッカークラブ、正門近くのスペースではテニスクラブが準備体操をしている。ため息が出る。
 こんなところに座ってなくちゃいけないのは、ひとえに僕のくじ運が最低の最悪だからだ。
 
 姉貴はいつも「くじ運は生まれつきの才能」と自慢する。確かにヤツは、強力な「引き」を持っている。この前なんて、ショッピングモールの抽選で、わずか六回のチャンスで二等と四等を引き当ててみせた。商品はポインセチアかなんかの植木とやわらかティッシュ二箱だったけど、父さんも母さんも大喜びだった。「さすが」とか言って。僕だってガラガラポンって球が飛び出るやつ、回してみたかったのに。母さんははじめから「ここは千秋の出番ね」なんて言って僕を軽く無視してくださった。
 まあ、いい。それより、僕のくじ運がひどいって話だ。

 サッカークラブから落ちたのは仕方ない。クラスの男子二十人のうち十八人が希望して、当選枠は五人しかなかったんだから。でも、四年生、五年生に続く三連敗は、けっこうへこむ。
 ひどかったのは野球クラブの抽選だ。希望が十人で五人が通るっていうわりと「広き門」だったのに。
 気がついたらバスケットボールとかほかのクラブはみんな埋まってて、
残ったのは英語クラブと、ここだけだった。英語は論外。姉貴が下手くそな巻き舌で教科書を読んでるのを聞いてるだけで鳥肌がたつ。
つまり、僕に選択の余地はなかったのだ。
 でも、こんなクラブ、五年の時には無かったよな。「なんで、いまどき」とぼやいたら、小木曽先生、ニヤニヤして「英語にしてもいいんだぞ」だって。さすが三年生から続けて担任だっただけに、僕の嫌いなものをよく知ってる。
 時計を見上げると、もう三時半を回っている。でも、まだ誰も来ない。よっぽど人気ないんだろうな。というか、顧問の先生すら来ないって、どういうこと?

「ようこそ!」
 突然、教室の後ろから大きな声がして、僕はビクッと飛び上がってしまった。大げさじゃなく、三センチくらい。ほんとに、飛んだ。
振り返って、今度は目の大きさが一センチくらい広がってしまった。
なぜって、ドアから見えていたのはグレーのチェックのシャツと、白いズボンだけだったからだ。首なしおばけ?
 「よいしょ」
 首なしおばけが入り口をのそっとくぐると、丸メガネをかけたおじさんが現れた。
 おばけじゃなく、ただのおじさんだった。いや、でも、ただの、じゃない。それは僕が今まで見たなかで一番でかい人間だった。
 「では、あらためて、ようこそ!」
 でかいおじさんは、ツカツカと教室のど真ん中を通って黒板の前に立った。そして、チョークを手にすると、黒板をかるく見下ろしながら、体に似合わない几帳面な字でこう書いた。
 そろばんクラブへようこそ!

「僕」ことサッチョウさんの独白とお姉さん(初稿では名前があったのか、と今驚いている)のエピソードはすべてバッサリ。結果、このシーンは半分以下になっている
連載時にはちょっと面白げな描写も、通して読むとなれば冗長以外の何物でもない。サッチョウさんがうじうじする描写は気に入ってはいたのだが、さっさと主要キャラクターを登場した方がよいと思い、切り捨てた。
ちなみに、書籍版は第2稿からさらに1~2割削っている。物好きな方は見比べてみてほしい。

「削りまくり」は、例のごとく、スティーブン・キングの教えに従っている。
「書くことについて」から面白いエピソードを紹介しよう。ハイスクール時代、キングは雑誌に小説を投稿しまくり、次々と不採用通知を受け取った。そのうちの一通にあった言葉が、キングの方法を一変させたという。

編集者の署名(印刷されたもの)の下に、こう記されていたのである。”悪くはないが、冗長。もっと切りつめたほうがいい。公式 ーー 2次稿=1次稿マイナス10%。成功を祈っています”

それまでキングは、初稿に描写や説明を書きくわえてさらに長い第2稿を作っていたそうだ。同書のなかでは、具体的に「副詞を全部削れ」「受け身の文章を撲滅しろ」といった削りのノウハウを挙げている。実施の添削例もあるので、興味があれば読んでみてほしい。

ちなみに、この「削り」は経験上、本業の新聞記事でも有効な方法だ
私は、締め切りに余裕があるときは、最終形が120行程度(企画記事の分量)の原稿なら初稿を150~160行ぐらいで作る。その後、「10%カット」の作業を2回やり、濃度の高い原稿に仕上げる
「どうせ削るから」と200行の初稿を作ってはいけない。それは単に頭の整理ができていないから長くなっているのであって、不要なパラグラフが3つも4つも挟まっている。それでは「濃縮」して最終形120行にできない。
キングのノウハウに日本語特有の例を補足すると、「こと」は削りの有力候補だ。会話は別にして、地の分では「削ること」は「削除」で間に合う。当たり前のように思うかもしれないが、実際、世には「削除することを実施した」といった冗長な文章が驚くほどあふれている。

「穴」を埋める

閑話休題。
こうした贅肉をどんどん落とす作業とともに、ストーリーとキャラクターの一貫性の確保にも力を注いだ
「できるまで」総集編(リンク貼っておきます)で書いた通り、連載はキャラ任せ・筆任せの「キング方式」で執筆した。
同じように「いきあたりばったり、思いつくままどんどん即興的に」書くという村上春樹は、第2稿の作り方についてこう語っている。

そういう書き方をしていると、結果的に矛盾する箇所、筋が通らない箇所がたくさん出てきます。登場人物の設定や性格が、途中でがらりと変わってしまったりもします。時間の設定が前後したりもします。そういう食い違った個所をひとつひとつ調整し、筋の通った整合的な物語にしていかなくてはなりません。(「職業としての小説家」より)

「おカネの教室」の場合、初稿には以下の2つの大きな「穴」があった。

①ビャッコさんのキャラが微妙にぶれている
②「かせぐ」「ぬすむ」「もらう」の説明が混乱している

①は、村上が言うように、キャラの性格が書いているうちにずれていった結果だった。
第2稿にも少しその名残があるのだが、初稿ではビャッコさんは物語の初めのころ、もっとクールで、感じの悪いキャラとして描かれている。口数は少ないし、クラブが終わるとさっさと姿を消してしまう。実に感じが悪い。ちなみに作者の脳内イメージは、「なぜか怒っている短髪の椎名林檎」だった。
心を閉ざし気味だったビャッコさんがクラブが進むにつれて打ち解けていく、という流れ自体は変わっていないが、あまりに前半と後半のキャラのギャップが大きすぎた。ここは変化をマイルドにした。

厄介だったのは②の、講義内容の混乱だった。
これも「行き当たりばったり」の産物で、詳細は省くが、要はビャッコさんとサッチョウさんのツッコミが鋭くて、それに応じるカイシュウ先生の説明が、回りくどかったり、前後が食い違ったりしていた。
書籍版では華麗な(?)立て板に水の講義を展開する彼も、実際は大いに苦戦していたのだ。無論、書いている私も一心同体で四苦八苦していたわけだが。
この②の解消には相当の作業が必要で、ばっさり落としたり、全面的に書き直したりとかなりの手間がかかった。

なんだかんだで、全体のリライトには1か月程度かかった。

原稿を寝かせる

話は前後するが、リライトの前には、「原稿を寝かせる」という儀式も必要だった。
再びキングの「書くことについて」から。

原稿をどれだけ寝かせたらいいかはひとによってちがうが、私は六週間を最低の目安としている。(中略) あなたはその原稿のことが気になってならず、何度もそれを取り出したいという衝動に駆られるだろう。(中略) だが、誘惑に負けてはならない。(中略) 機はまだ熟していない。(中略) かつて数か月にわたって毎日数時間をあてた非現実の世界をほぼ忘れかけたときが、ようやく引き出しのなかの原稿に向きあえるときなのだ。

昔から「夜書いた手紙は朝読みなおしてから出せ」と言われる。今ならSNSの投稿がそうだろう。
だが、「寝かす」には、そういう「頭を冷やす」という効能以上の意味がある。キングを引こう。

はじめて経験する者は、六週間ぶりに自分の原稿を読むことに不思議な感慨を覚えるだろう。(中略)「自分と瓜ふたつの他人が書いた原稿を読んでいるような気がするにちがいない。それでいい。それこそが時間を置いた理由なのだ。いつだって、自分が愛している者より、他人が愛している者を切り捨てる方が気が楽だ。

誰でも自分の文章には愛着がある。距離を置いて、「他人」の気分で向き合わないと、バサバサと削る作業は難しい

キングの教えにならい、私は2016年10月の完成から1か月ほど寝かせてから第2稿にかかり、リライトに1か月ほどをかけた。

「世間」に出た家庭内連載

家庭内連載の私的読み物にそんな手間をかけたのは、「せっかくだから完成形にして残したい」という気持ちからだ。通読できる形に仕上げて、娘たちに繰り返し読んでもらいたかった。
もう1つ、「友人にばらまこう」と思ったのも大きかった。
記者として文章で飯を食っているわけだし、見栄っ張りなので、友人とはいえ、未完成のものを拡散するのはプライドが許さなかった。きっちり読み物として仕上げをしたかった。

そして2016年12月14日、私は上の写真を添えてFACEBOOKに投稿した。

三姉妹向けに書いていたお話が書きあがった。「おカネの教室」というタイトル。ということで、完成特別記念で(笑)、読んでみたいという奇特な方、以下のアドレスにリクエストいただいたらファイルをお送りします。Word形式です。

私用のメールアドレスの後には、執筆の経緯やどんなコンテンツか、といった簡単な説明をつけておいた。

この時点でもなお、私には、KDPも含めて出版の心づもりはなかった。その傍証に、配ったファイルの作者名は「おとうさん」のままで、目次もつけていなかった。
こんな調子で、7年間、2人の娘だけ(三女には解禁しておらず、奥さんにはずっとスルーされていた…)を相手に書いてきた物語は、初めて「世間」の目に触れることになった。
そして、それは予想外の反応を呼び起こしたのだった。

次回は「⑪予想外の大反響」です。

乞うご期待!

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