2020-7-17 日記. ベンチャー企業の研究者: 追憶の奄美大島1

樋口恭介というSF作家の友人がいる. 彼の卒業論文はイアンマキューアンの『贖罪』という作品で、大学卒業の際に見せてもらい衝撃を受けたのを覚えている.

もうすでに8年前近くになるだろうか.  その作品も「すべて名もなき未来」に掲載されている.

それとほぼ同時期に, WIREDでSFプロトタイピングの号が出てきていて, いつも通りの樋口さんらしさで存分に楽しんだ(踊ってばかりの国).

踊ることだけをする国の話だがあながち単なるSFという訳でもないような気がしている. 私の知り合いなんかは週末にサルサクラブに出かけては朝まで踊り狂っている生活を数年やっている.

シンガポールでは婚活目的でサルサダンスを踊る人たちもいるようだ. 成功率は低そうだが, 恋愛にはもってこいだろう.

樋口さんに教えてもらった作家の中に藤井太洋と言う方がいる. 藤井太洋は奄美大島の瀬戸内出身のSF作家だ. 

ちょうどWIREDにも藤井さんの作品があって読んでいる. 「滝を流れゆく」とある.

読んでみると奄美大島を舞台にしたSFになっており, 奄美大島の描写がいくつも出てきて面白い.

その内容について別の機会に譲るとして, 少し奄美大島のことを思い出した.

奄美大島は独立した豪族のような人たちがいたが, 琉球王朝の遠征によりその支配下に置かれた. さらに, 薩摩藩の侵略によって, 薩摩藩の支配下におかれることになり, その名残として鹿児島県の一部になっている.

特に江戸時代末期には, 薩摩藩の借金を返済するための道具としてサトウキビ栽培を強いられ, さらに島民には, 食べるには複数の工程を経なければ食べられないソテツを食べるしかなかったようだ. 

奄美大島を車で移動すると, そこらかしこにソテツが植えられているのがわかる. それは, 支配や島民の苦しみの名残なのだろう.

また島民の苦しみの1つに, 猛毒を持つハブとの共生があげられる. ハブと出逢うには森林の奥深くに入り込まなければならず島民であれば滅多に出逢うことはない.

ただ年に数人はなくなるようで, その血清の歴史を見るだけでも面白い. 

私も,  一度だけ奄美病害動物研究施設という東京大学の医科学研究所の分館を訪れたことがある. 新世界サルの飼育場所としても有名のようで, 中には知り合いの研究者がここのサルにお世話になったかもしれない.

また, 鶏飯という郷土料理もあるがこれも薩摩役人用に作ったものが現代になって庶民の食べ物になっていったという歴史がある. 小学生の頃には, 鶏飯が大好きで, 自由研究のテーマとして食べ歩きのために鶏飯をチョイスしたぐらいだ.

さて, もう1つなのだが, 奄美大島の瀬戸内はそのリアス式海岸としての特徴から日本軍の重要拠点として軍事拠点になっていた.

昔, 沖縄戦, 原爆投下で降伏しなければ, 次は奄美大島が攻撃の対象となるという話を聞いたことがある. 確かに, 特攻隊の中継基地が喜界島にあった.

現実には, 降伏したのちは, 1953年のクリスマスの日にアメリカからの占領下を離れ日本に復帰することになる.

その拠点が私が生まれ育った名瀬市になる.


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