見出し画像

【短編小説】ミラノ

彼女が参加していた「ローマ、フィレンツェ、ミラノの旅」の観光バスがミラノ宿泊日の夕食のためにそのピッツェリーアに着いたのは予定より25分遅れ。

がやがやとバスから降りると現地ガイドに先導されるまま横断歩道のない大通りを横切り店内へ。一応薪釜の店のようだけど、一見してファミレスタイプのモダンだが飾り気のない店内だった。

彼女は、雑誌などで目にしていたナポリのピッツェリーアに比べ雰囲気的に少し期待外れな印象を持ったまま、味の方は期待に応えてくれることを望んでいる自分に気付き、笑みを浮かべながら指定されている予約テーブルに着いた。

パックツアーで旅行中といっても、一人で応募して来ている彼女は、特に話し相手になってくれる人もいないため、静かにメニューを手に取り何を頼もうかと考えていたところ、ガイドの人が「既に団体扱いで、全員同じメニューをオーダーしてあります」と、彼女達のテーブルにも伝えに回って来た。

どうやら、バスを降りる前に伝達すはずのところ、言い忘れていたらしかった。ともかく、彼女は何もなかったかのように静かにメニューを閉じることになった。

自分の好きなものを注文できないのはちょっと残念だったが、それなのになぜメニューが置いてあるのか疑問に思った。

多分どうしても追加で何か食べたい人には無理を聞いてくれるのだろうと推測したところで、「まあツアーの旅行なのでこんなものか」と気を取りなおし、スプマンテが運ばれてきたところで同席の皆で乾杯した。

同席の女の子達はフィレンツェのレストランでも同じテーブルだったので、大学の同級生が就職を前に、近い人生で最後となるかもしれない自由に使えるまとまった時間を満喫するために仲良しグループでツアーに参加しているということは聞いていたが、まだ名前と顔が一致しないでいたので、あまり彼女からは話しかけないようにしていた。

彼女達の賑やかな笑い声を聞いて待っていると、窓よりのテーブルから順に料理が運ばれてきた。

漠然とミラノだからミラノの料理かと思っていたら、ナポリ風のアンチョビがのったピザがテーブルに運ばれて来た。

考えてみると、入店した時からピッツェリーアだと気付いていたので、納得して今回ツアー初のピザを楽しむことになった。

予定しているポイントを忙しなく回るパックのツアーではあまり食事に期待できないとネットなどで読んでいたけれど、焼きたてのピザは思いの外おいしく、多分モッツアレラや小麦粉の違いなんだろうけれど、日本で親しんでいたピザとは風味が全然違うので少し驚きながら完食した。

フィレンツェでは生パスタのトマトソースや炭火でグリルしたステーキのフィオレンティーナを食べたけれど、思ったよりも飾り気のない素朴な料理で、日本で食べるイタリア料理とは印象が違っていた。

ローマでは食事そのものよりも、デザートに出てきたレモンのシャーベットがおいしかった。シャーベットと聞いていたのにシャンパングラスに入って出てきて食べるというよりも飲む感じだったので印象に残ったのかもしれない。

イタリア到着から2日間滞在したローマで相席になった新婚カップルは、窓際の席で今日も幸せそうに食べているのが垣間見える。

彼女のテーブルで、おしゃべりに夢中で食べることにはあまり関心のなさそうな他の女の子達は、運ばれたピザを半分くらいしか食べていなかった。食べる前にはそれぞれスマホで写真を撮ってはしゃいでいたはずなのに。

自分の意外な食欲に戸惑いながらデザートにティラミスも食べ終え、すっかり満足した彼女は、同席の女の子達にことわってトイレへ席を立った。

先日、自由時間に立ち寄ったローマのバールで使った洗面所は、ちょっと汚くてびっくりしたけれど、この店のトイレは個室の床や壁面がすべてタイルで覆われているためか、思ったより清潔そうだったので安心した。まだ到着したばかりではあるけれど、ローマやフィレンツェに比べミラノは随分と若い街のような印象で、このお店の建物も築500年とかでなく割と近代的な感じだと思った。

ところが、安心し過ぎていたのか、少しだけメイクを直してテーブルに戻って来た彼女は、がらんとした店内にびっくりした。

「えっ、何?」

反射的に店のガラス越しに外へ目をやると、そこにあるはずの彼女の乗っていた観光バスは既に出発した後だった。

一瞬では考えがまとまりかねたので、自分の場所だった席に一旦座って状況を理解しようと試みた。

「これって私、置いてけぼり?」

ツアーで来たミラノで突然一人ぼっちになった彼女の頭をさまざまな考えが猛スピードで走り抜ける。

「とりあえずパスポートは持っているけど、イタリア旅行も終盤のミラノだからあいにく手持ちのお金はあとわずか...」

「飛行機の切符は旅行会社のガイドさんがまとめて持ってたからここにはないし、知ってる人もいないから誰に相談してよいものかも分らない... そもそもここはイタリアだし...」

「そうか、走馬灯のようにとは、こうやってパニック時に現れる溢れる思い出の行進なんだ」と自分の新発見を、口に出さずに心の中でつぶやいているとき、先程から一人で店に残って困っている様子の彼女を見守っていたウェイターのおじさんと目が合った。

決断は早かった。おもむろに立ち上がると、彼女に同情的な笑顔を絶やさないウェイターの所につかつかと歩み寄った。そして英語で開口一番「ここで働かせて下さい。」

思わぬ展開に、状況がよく分らなくなってしまったウェイターの顔色が見る見る変る。正直な人だと思った。

「a... aspetti un attimo (ちょ、ちょっと待ってて下さい)」とイタリア語で言うと、奥のレジの方に行って誰かとひそひそ話している様子だった。

しばらくすると、落ち着いて待っている彼女のところへ、ウェイターと一緒に店主らしい人が姿を現した。そして一言「Va bene. (いいだろう)」と言った。

店主に簡単ないきさつを話すと、その場で誰かに電話して大きなジェスチャーで話し始めた。外国人のこんな唐突な話に世話を焼いてくれるなんて、悪い人ではないなという確信が彼女の心に芽生えた。

とりあえずなるがなるに任せるしか選択肢はなさそうだと、自分に言い聞かせながら成り行きを見まもることに。

しかし、イタリア人はジェスチャーが大きいとは聞いていたけれど、電話でも自分の姿が見えない相手にジェスチャーをフル稼働させて会話している姿は、少しコミカルな感じがした。

やっと電話で何か話がまとまったらしい店主が、急に元通りの物静かな風を装い、彼女の方を見るなりウインクした。

彼女の新しい生活が始まった。大学に通う店主の娘のアパートに間借りして、夕方からピッツェリーアで働く日々が始まった。言葉の問題があるので、働くと言ってもまずはウェイターのアシスタント的な感じでしばらく試してみることになった。

ちょうど先週店主の娘のアパートの部屋をシェアしていたトルコ人の学生が母国へ帰ったということで空き部屋があったらしく、本当に少ない荷物での入居となった。

いざ全く新しい生活を始めてみると、思いの他戸惑う事も少なく、快適な環境に恵まれている実感がわいて来た。

まず仕事がピッツェリア / リストランテなので、毎日プロの作るおいしいご飯が食べられる。問題の言葉の方も、1歳年下のイタリア人の女の子とアパートで部屋をシェアしている状況なため、めきめきと上達するのを彼女自身も楽しんでいた。

それに、「ポケット旅の5ヶ国語」の”イタリア語/レストラン編”のページがとても助けになった。

置いてけぼりになったピッツェリアで仕事をすることになり、不法滞在ということではまずいだろうという店主の考えで、その娘が通うミラノの大学で外国からの留学生の友人に相談して滞在許可の申請をすることになった。

とりあえず最初の滞在許可は学生として申請した方が簡単らしいということで、午前中は外国人向けのイタリア語学校へ入学することになった。

私立の学校なので一年中いつでも入学の手続きや滞在許可申請に必要な書類の発行をしてくれ、他の必要な書類の入手にもあれこれと助言してもらい、大変助かった。本来なら本国で学生ビザを発行してもらっておかないと滞在許可はもらえないのだけれど、こうやって事後報告的にイタリアで既に学校に入っていれば学校が終わるまでの期間滞在許可が下りることもあるらしいと説明もしてもらった。何しろ全て突然のダメ元の挑戦なのでそれで許可が降りなければ別のやり方を考えればいいよと、学校側はあくまで楽観的だった。とにかく許可申請の結果が出るまでの間は滞在も合法扱いとなるということだったので気持ち的には落ち着くことが出来た。

そして何より、彼女には、きちんと文法からイタリア語を学ぶ機会を得ることが出来たことが嬉しかった。

外国人向けということで、語学学校では日本人の友人もできるのではないのかと、ちょっと期待していたけれど、彼女のクラスはフィンランド人、トルコ人、ブラジル人、韓国人、フィリピン人という構成だった。

学校の事務で聞いたところによると、一昔前は日本人が多かったけれど近年はほとんど日本人の生徒は来ないらしい。逆に韓国からの留学生はここ数年一番多いということだった。

滞在先の住所や賃貸証明などは、店主が娘のために借りているアパートの間借りということで、店主が書類を直接発行してくれ、順調に滞在許可の申請手続きの準備は進んだ。

全ての書類を揃えて申請許可をミラノ警察署へ送るのは、彼女がイタリア入りした日から3ヶ月以内という締め切りがあるらしいのだけれど、何とか間に合いそうだと少し安心した。

午前中に1時間の語学学校、休憩して夕方からピッツェリアで仕事という生活のリズムが出来た。

そして、彼女が始めて彼と会ったのは、働き始めて2ヶ月目のある水曜日だった。

一人で来店するボローニャ出身の若者で、ミラノの会社で働くため故郷を離れ一人暮しをしていた。

ピッツェリアでの仕事を始めて間もない頃は、ウェイターの見習いをしながら日本人の団体観光客が来るときの接客担当が主な役割だった彼女も、彼が来店した頃にはもう自分でイタリア人の客からも注文を聞けるようになっていた。

語学学校の成果もすぐさま仕事で活かすことが出来るのも彼女にはちょっとしたゲームのようで、面白みを感じることが出来た。

そして、彼が座った2人用のテーブルは彼女の担当だった。

「飲み物は何にしますか?」「ガス水で。」そんな何気ない言葉の遣り取りから2人の恋は始まった。少なくとも彼女にはそう思えた。

「2皿目はお決まりですか?」「はい、ポルペッテとパターテ・アル・フォルノを願いします。」そんなさりげない言葉の中に彼女には何か感じるものがあった。「きっとこの人は、ポルペッテよりもパターテ・アル・フォルノが食べたいんだ。私には分かる気がする。」

時々来店する彼は、いつも同じ時間に店に入って来る。

多分近くの職場から仕事の後にそのまま歩いて来店するためだと思っていたけれど、それにしては時間が遅いし、鞄も持ち歩いていないところを見ると、いったん家に帰ってから自分の決めた定刻に外出するからなんだろうと思いをめぐらした。

多分、イタリア人にしては珍しく、時間に几帳面な性格なんだろうと一人で納得していた。

その日も定刻の7時45分に彼はやって来た。

「1皿目はお決まりですか?」「えーっと、じゃあ、ペンネのカルボナーラを。」初めての出会いから1ヶ月が過ぎたその日の2人はいつもと変わりなく見えた。

思いがけない展開からイタリアで働くことになった彼女も、最近では仕事で使う言葉には不自由しないようになり、少し心にゆとりが感じられるようになった。

ルームメイトともすっかり仲良くなり、不安で一杯だった毎日が、何かしら楽しみを発見する日々になっていた。

海外旅行先でピザを食べたお店でそのまま働くことになるなんて、運命というものがあるとしたら、多分その運命に身を委ねるのが一番の解決策になるんじゃないのかと思うことにしていた。

運命の人生が動き出したのであれば、運命の出会いも用意されているのかもしれない。そんなことを考えているときの彼女は決まって一人で微笑んでいた。

切り出したのは彼女の方だった。「甘いものは何がありますか?」と聞かれ「チョコレートと梨のトルタにティラミス、レモンのシャーベット、季節の果物… ところで、今度一度ゆっくり2人で話することは可能ですか?」

イタリア人のコミュニケーションでは非常に重要なジェスチャーもそれなりに理解し、少しずつ自分でも使うようになっていた彼女は、ウインクすることも忘れなかった。

唐突な彼女の誘いに100メートル先からでも分るほど赤面してしまった彼が、一口だけ残っているワイングラスを手にしたまま石のごとく固まり時間が止まった。

止まった時間の中で、彼女は彼の答えにある確信を持っていた。彼女は、その言葉を待っていた。

どのくらい2人は見詰め合っていたのだろう、止まっていた時間から戻ってきた彼がやっと口にした言葉、「結婚しよう。」

2人は結婚することにした。

彼女の人生はまた新たな展開、それもイタリア製フェラーリのごとく猛スピードで進んでいった。もっともフェラーリはミラノの会社ではないけれど。

店主の助言などを参考に、2人で話し合った結果結婚式は市役所内の教会ですることになり、あわただしい準備の日々がはじまった。

午後の開店前にはお店の近くの教会で「結婚について」の勉強会が3ヶ月も続く。そうだ、イタリアはカトリックの国だったのだ。

そして婚約から4ヶ月後の日に結婚式の日取りも決り、突然に思えた彼女の「婚約」も段々現実味を帯びてきた。

ただ、正直なところ、勉強会での神父さんのお話は、彼女の語学力では全く歯が立たないことが分かった。

戸惑う彼女に、神父さんの話の要約をできるだけ簡単な言葉を選んで優しく教えてくれる彼に心から感謝し、円満な将来を既に夢見るようになっていた。

結婚の話が急に決まったため、イタリア人の配偶者になる彼女には、学生としての滞在許可の申請手続きではなく、入籍のための手続きに別種の書類を用意する必要が生まれた。

こんなドタバタにも全く嫌な顔をしないで、自分の娘の婚約のように喜んでくれる店主は、あれこれと彼女を助けることに変化はなかった。

自分の周りに繋がって行く不思議な縁に、彼女は常に運命という言葉を考えないわけにはいかなくなっていた。婚約者に言わせると、運命は巡って来るものではなく、自分で手繰り寄せるものということだけれど。

調べている内に、日本の戸籍謄本のイタリア語訳を日本にあるイタリア領事館で認め印を押してもらった書類を用意する必要が出来たため、日本の実家にお願いすることになった。

考えてみると、自分のイタリアでの新しい生活の基盤を作ることばかりに集中していた彼女は、実家には全く連絡を取っていなかった。

彼にそのことを話すと、大変驚き「家族に連絡を取っていなかったなんて信じられない。一刻も早く両親に近況を教えてあげなよ」と、自分の使っているスマホを差し出し、すぐ電話するように勧められた。

時差もあるし、落ち着いて手紙で報告したいと言うと、今度は封筒とコピー用紙を用意してくれた。

戸籍謄本のイタリア語訳を実家の両親にお願いするついでに、そもそもその書類が必要になった原因であるイタリア人との婚約報告と、結婚式への招待も短い手紙にしたため、ミラノ中央郵便局から速達で送り出した。

日本で彼女の捜索願を出していた父の所に、思いがけず本人の彼女から国際郵便で結婚の知らせが届いた。

何がなんだか状況がよく把握できない父は、その日の内に妻と供に初めてのイタリア行きを決意した。

最初に妻と一緒に訪れた近所の旅行会社窓口で、接客担当の女の子に勧められるまま「ミラノ6日間お買い物プラン」というツアーで出国することになった。

有給休暇で休める日を計算すると、このプランが一番経済的であった上、英語に自信がなく、海外になれない夫婦にはガイドが世話をしてくれるというのも重要なポイントに思われた。

父は予定が決まり次第、会社に休暇届を出した。

それまで有給休暇を1日も使ったことがない父が、突然妻と「ミラノ6日間お買い物プラン」とやらでイタリアに行くと大変神妙な顔で報告され、少なからず驚いた上司も快く休暇の許可を出してくれた。

格安ツアーで娘の安否を知るためにミラノまで来た両親は、「自由行動」の取れる週末の2日間に娘の居場所を探す必要があった。

まず、結婚式の後の食事会に指定してあるピッツェリアに情報を得るため足を運んだ。

ホテルでタクシーを呼んでもらい、運転手に目的地のピッツェリアの住所を渡してから後部座席に乗り込んだ。思いがけず日本車、プリウスのタクシーだった。

ミラノ市街の石畳の道は、プリウスのタクシーでもがたがたと振動が気になるようだった。歴史的な趣きはあるが、アスファルトの道になれた両親にはいかにも異国な乗り心地と街並みに緊張感がほぐれない道のりとなった。

15分ほどして目的地に着いたらしく、運転手があそこのお店だとゼスチャーで教えてくれた。

2人は丁寧に日本語でお礼を言ってお金を払いタクシーを降りた。

丁寧にお礼を言いチップまでくれたのに、ドアを開けっぱなしでピッツェリアに急いで向かって行く日本人の客を、車から降りて後部座席のドアを閉めつつ、不思議そうな顔をして目で追っている運転手の姿があった。

彼は日本のタクシーが自動でドアが閉まることを知らなかった。そして彼女の両親は海外のタクシーは自動でドアが閉まらないことを知らなかった。

予約が入っているからと言ってお客さんの個人的な事情をお店の人が知っているとは思わないけれど、少しぐらいは彼女の情報の引っ掛かりを得ることが出来るかもしれないというのが両親の本音だった。

店に入り、前もって調べてきた単語を並べた英語で来店の事情を説明すると、以外にもそこが娘の職場だという事が分かった。父は涙した。

お互い片言の英語ながら、店の主人から娘のことについていろいろと情報を得る母親。

店主が「残念ながら、今週末に限ってルームメイトである私の娘と海沿いの別荘へ行っている」と言っていることを泣きながら立ちすくんでいる父親に説明し、父親は「娘のことをよろしくお願いします」という旨のことを伝え、せっかくなので夕食をすませてホテルに帰ることにした。

お店の人に、彼女が好きな料理を食べてみたいとお願いすると、任せてくださいという感じのジェスチャーをしてにこにこと奥に下がっていった。

ナポリ風というピザを食べ、ビールを飲んだ。

二人とも食べきれないようなので店の人に「おいしいけれど、お腹がいっぱいで残してしまいました。日本人にはピザが大きいようです。」と英語とジャスチャーを交えて伝えると、「あなたの娘は簡単に食べますよ。」と笑顔で教えてくれた。

もう一度店主に娘をよろしくお願いしますと伝え、店を後にした。

本人には会えなかったけれど、一応の状況を理解した両親は、「自由行動」の日程を終え、ツアーの目玉になっているミラノ近郊アウトレットモール巡りに参加した後、帰国することになっていた。

母親は連れて行かれたアウトレットのお店の一つで娘の結婚式に着ていく服を選んだ。旅行中ほとんど無言で通している父親にも式に来て出られそうな服を彼女が選んだ。

イタリアでの冠婚葬祭の習慣は分からないので、せめて服くらいはイタリアの服を着ることにしようという母親のアイデアで買い物を始めたところ、気が付けば同じツアーに参加している若い女の子達に負けないくらいの量の買い物袋を手にホテルに戻ることになった。

スーツに合わせてシャツや靴まで買い揃えていた。そして、両親ともイタリアのブランドの服を買うなんて初めてのことだった。

お店の人には「結婚式へ着ていく服が欲しい」と言って買ったので、多分場違いな格好にはならないはずだと、母親は少しだけ気持ちが落ち着くのを感じていた。

ホテルの部屋でミラノ最終日の夜を迎えた両親は、言葉少ない会話の中で、日本へ帰国次第、捜索願を早急に取り下げることにした。

一方、ルームメイトの家の別荘で週末を過ごすという話がまとまり、海を眺めながらのんびりして来るつもりでミラノを離れた彼女だったけれど、実際には海辺のディスコテカでルームメイトの友達と連夜明け方まで遊ぶことになった。

最初はルームメイトが彼女を海の家へ招待すのを口実に、自分が羽を伸ばしたかったのだろうと思っていたけれど、実際には、結婚を控えた彼女に嫁入り前最後のバカ騒ぎをさせてあげようという心遣いであったことが分かった。

どうもイタリアでは、結婚する新郎新婦それぞれの友人達が、それぞれに独身最後の羽目を外す機会を作るのが恒例となっているらしかった。

気持ちは嬉しく思いながら、結果的にのんびりするどころか目の下にクマを作ってミラノに帰ることになる彼女だった。

それにしても、夏季限定営業らしい海辺のディスコテカで騒ぎ、人生に一点の不安もないような無邪気なはしゃぎ方をしている老若男女のイタリア人達を目の当たりにし、今までの人生で味わったことがないような高揚感を体験したことは印象的だった。

日本で過ごしてきた人生を振り返っても、こんな雰囲気に身も心もどっぷり浸かって過ごした時間というのは思い出せない。

魔性の輪にちょっとだけ足を踏み入れた感触だけが体の中に残っていた。

「人生を楽しむということは、遊ぶ時にはその他一切のしがらみを忘れて楽しむ割り切りが必要なのかもしれない」と思いながら、多分こんなことを理屈っぽく考えている内は、あの輪の中に入ることは出来ないだろうと感じていた。

日本ではあまり海水浴に出掛けたことがない彼女だったけれど、イタリアのビーチパラソルの並ぶ砂浜での体験は、夜のディスコテカの大音響と共に原色の思い出として心に刻まれることとなった。

帰りの電車でも居眠りしているルームメイトの日に焼けた顔を眺めながら、「こんなに原色の思い出って日本であったかしら」と考える彼女の頭に浮かんでくるイメージは、どれも色が褪せている感じがするようだった。

翌日お店に戻ると、留守をしていた間に両親がお店まで直接尋ねてきたことを知り、彼女は「やっぱり家族は私のこと覚えていてくれたのね」と、ちょっと嬉しかった。

しかし「それならなぜもう少しの間帰りを待っていてくれないのかしら」と思うとなんだか残念でもあった。

店主が、彼女の両親が日本から彼女を探しに来るのに「アウトレットなんとか」という制度を利用していたため時間がなかったらしいということをしきりに残念がっていた。

その制度とはどういうものか質問されても、彼女にも全く思い当たるところがなかった。

どちらにしても再会できる結婚式の日はだんだん近づいていたので、あまり深く考えないことにしようと思い、間近な原色の思い出に頭を切り替えて元気を取り戻そうと努めてみた。

この数日間に覚えたカクテルの名前だけでも、反芻している間に自然と笑顔に戻ることが出来るようだった。

実際には、彼女がお店に帰ってきた日の夜にもミラノのホテルで父親は相変わらずハンカチを目に当て、母親は買い物をスーツケースに詰め込んでいるところだったのだけれど。

教会での「結婚について」の勉強会も無事終了し、イタリアの青年との将来に確信を持ち、彼女はいよいよ結婚式の当日を迎える準備に入った。

日本からも少ないながら招待した友人達が祝福に駆けつけてくれることになっていた。

友人達は前回の両親のように、「ミラノ・アウトレットツアー」に参加して、自由行動の週末に彼女の結婚式に出席するという事だった。

後に話を聞いてみると、旅行代理店のカウンターで強く勧められたということだった。

そして結婚式前日には両親も再びミラノ入りすることになっていた。

彼女にとって人生初めての宗教的な講義となったカトリック教会での「結婚について」の勉強会も無事終了し、公式にイタリア人の彼との結婚式を迎える準備が整った。

イタリアの教会で結婚式をするためには、この勉強会を受けることを義務付けられていることを知り、実際に教会へ足を運んだ彼女は、日本で形式だけキリスト教的な式を挙げる習慣があることに初めて違和感を覚えた。

「なんで日本ではまったく宗教的な意味合いを持たない見せかけだけの式を挙げるのだろう。少なくとも私は教会で結婚式を挙げる意味を彼と共に勉強できたので、納得して神父さんの前に出ることが出来ることは幸せなことだなあ」と、心安らかに思えることが少し嬉しくなった。

そして前日には再びイタリア入りした両親と再会を果すため空港まで迎えに行き、タクシーでホテルまで直接向かった。

前回はパック旅行を利用した両親も今回は式の日程に合わせ旅券だけの来伊となっているため、ホテルのチェックインや移動など彼女がいろいろと世話を焼くことになっていた。

久しぶりに娘の元気な姿を見た父親は、安心と、戸惑いと、不安と、諸々の感情で言葉を失い、彼女の問いに答える以外はほとんど無口のままホテルに到着した。

母親は旅の疲れも見せず、今まで海外旅行などしたことがなかったのに、最初は驚いたものの急にイタリアに来る縁が出来たことをうれしく思っているということを饒舌に彼女に伝えた。

「それに、今までイタリア製の服なんて買った覚えがないのに、今回は私もお父さんも全身イタリアンファッションよ」と笑った。

両親をホテルに送り届け、翌日の朝には一緒にホテルで朝食を取る約束をし、彼女は独身最後の夜を過ごすべくルームメイトの待つ家へ向かった。

当日、結婚式は予定通り市役所内に設置された教会でつつましく行われた。

大がかりな街中の教会での結婚式よりも、安上がりで実務的に式をすませるために市役所内の結婚式を選ぶ人も少なくないと聞いていた。確かに出席する人が限られる場合は悪くないと彼女も思った。何しろ婚姻届けを市役所に出しに行く二度手間が省けるのはいいアイデアだと彼も言っていた。

彼女の母親は自分の娘の結婚式なのに神父が何を言っているのか理解できないもどかしさを感じていた。教会では、イタリア語の神父の言葉を英語でも同時翻訳して伝える配慮をしてくれていたけれど、日本語でなければどの道同じ事であった。

イタリアに到着したばかりで時差ぼけているため、なんだか眠いような気もしていた。

彼女が空港へ迎えに来てくれた時、ミラノの空港内にある教会というのも教えてくれたことを思い出した母親は、キリスト教の人達は信心深いんだなあと、漠然と思うようであった。

父親は式の間中うつむいてしくしく泣いていた。本人も、いっこうに止まらない涙に困惑するばかりであった。

そして式が終り、場所を友人達も待つ彼女の働くピッツェリアに移し披露宴となる。

新婚夫婦とそれぞれの両親がタクシー2台でお店に到着すると、店主やお店で働く人達が総出で彼女達を派手に歓迎してくれた。お店の人に交じって、彼女のルームメイトの姿もあった。

彼女の潤んだ目は素敵に輝いていた。新郎は「今日の君の瞳はダイヤモンドで出来たアーモンドみたいだ」と、日本の青年では決して発せられない言葉を彼女に贈っていた。

式には来ていなかったけれど、お店には日本からやって来た彼女の大学時代の友人達が奥のテーブルで彼女を迎えてくれた。

式を終えているので、すでに彼女の夫となったイタリア人の青年を友人達に紹介した。

友人達は慣れない英語で挨拶した。彼もイタリア語なまりの英語で丁寧に出席してくれたことへのお礼を言った。

彼が席を外すと、友人達は彼女の近況を知らないまま、突然結婚式の招待状が届きびっくりしたといったと話し、彼女にどうしてイタリアに住んで、どのように彼と知り合い、どうして結婚することになったのかと矢継ぎ早に質問した。

しかし、彼女から得られる信じがたい答えには、何一つ現実味が伴わない感じがして、結局誰も真相を理解できないまま、あいまいな笑顔を返すしか術がなかった。

出席者全員が既に前菜が豪華に並べられたテーブルに着いたところで、まずはスプマンテで乾杯となった。「アウグーリ!」「乾杯!」とそれぞれが新しい夫婦の門出を祝って食事会が始まった。

結婚式の後の食事会と言っても、日本の披露宴のように司会者のような人がいるわけでもなく、食事中新郎新婦に話がしたい人は、席を外して2人が座っているテーブルへ足を運び、ワインを片手に飲みながらお祝いのおしゃべりをする感じだった。

彼女は初めて会う彼の親戚や友人達とも楽しくおしゃべりができた。

イタリア人は一様に彼女が短期間でイタリア語を理解するようになったことに驚いていた。

こういう時は社交辞令的に皆似たような祝福の言葉をかけるものだと思っていたら、イタリア人はそれぞれの人がそれぞれの立場で必ず冗談を交えて面白い言葉をかけてくれるので、挨拶を受ける立場だった彼女も飽きることがなかった。

前菜の後に2つのプリモ(パスタとリゾット)を楽しみ、和気あいあいに風変りながら幸せな食事会だったはずが、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。

日本からやって来ている彼女の父親の涙が止まらない。しかもだんだん激しくなり、我を忘れ声をあげておいおい泣いている。

周りの人も始めの内は「よっぽど嬉しいんだねえ」と微笑ましく見ていたのが、だんだん場違いな大泣きに嫌気がさして来た様子だった。

新郎の父親がとうとう怒り出した。「なんだあいつは、めでたい席なのに大声で泣き喚いて、全く場違いなおやじだ!」

彼女の父親は、肉料理が出てくる頃になっても運ばれて来る料理には全くの手付かずで、ただひたすら小さな子供のように泣き伏している。

席を立って父親の席まで行き、「お父さん、水でも飲んで少し落ち着いたら」と声をかける彼女の声も全く届いている様子が伺えなかった。

「弱っちゃったなあ。」彼女は苦笑い。次の料理に予定されているオラータのグリルを、魚の好きな父親に食べさせてあげたいという彼女の思惑は、既に意味を成さなくなっていた。

母親も、横の席で泣き伏している父親に声をかけてみるが、全く反応がないため、段々他人事のような感じがして来て、すでに諦めている様子だった。

他の出席者にも、始めの内は、何とか元気付けようと声をかけてくれる人もいたけれど、事態は悪化の一方となり、店内はざわめき始めていた。

泣き崩れている父親が、嗚咽してもどしてしまったのをきっかけに、 まるで名画座で上映される一昔前のイタリア映画のごとく、会場は大騒ぎになってしまった。十人が十人人の話を聞かずにそれぞれ言いたいことを叫んでいるようなカオス。

新郎の父親を筆頭に激怒した親戚達が、彼女の父親にイタリア語で罵声を浴びせながら、ついには店から出ていってしまった。

彼女の友達も、コースの料理が終わったところで、気まずそうな顔をしながら励ましの挨拶をして出ていった。彼女達にしてみれば、イタリア語の大騒ぎは意味が分からないため特に意味をなさないながら、他の客が出ていくので自分達も従ったに過ぎないのだけれど。

タガが外れたように泣崩れている彼女の父親も母親に付き添われ、とりあえずホテルへ引き上げる事になった。

父親も惰性で泣いているだけで、内心娘の結婚には好意を持っているのだけれど、どうした訳か泣くことを自制することが出来なくなっていた。酒に酔っても今までこんな状態になったこともないため、自身に対する怒りや哀れみの感情が全て涙に直結したかのようだった。

母親にタクシーを呼ぶよう頼まれた彼女も、言われるままにホテルまで1台をスマホで手配した。

披露宴で賑わっていたのも束の間、皆大騒ぎしながら出て行ってしまい、がらんとしたピッツェリア。

あっけにとられるまま1人席で事の成り行きを傍観していた彼女は、ふと思った。「何だか・・・、何だかまたあの日みたい。私だけ置いてけぼりになったみたい。」

一人ぽつんと、唖然とした様子で考え込んでいる彼女を、あの日と同じようにウェイターのおじさんが、そっと見守っている。彼女には祭りの後のような空間に「しーん」という音がはっきりと聞こえる気がした。

するとそこへ、あの日の彼女のごとく、奥のトイレから戻って来たのは新郎。

空っぽの空間にあっけにとられるも、そこに彼女に姿を見付け、落ち着いた様子で彼女の隣の自分の席に腰を下ろした。

言葉もなく、ただ見詰め合っている2人のところに、ウェイターが何事もなかったかのように精一杯の笑顔で「そろそろカフェにしますか?」とやって来た。

ふと我に返った彼女に笑顔が戻った。「私にはいつものマッキャート・フレッドでね。」

彼女の笑顔に安心した彼もすぐに「じゃあ、僕にはカッフェリッショで」と、感謝のこもった笑顔でウェイターに注文した。

彼女は目の前の彼を見つめながら思っていた。「この人でよかった。だってこの人は私を1人ぼっちにしないもん」と、あの日とは違っている現実に胸を撫で下ろした気分になった。

彼女がどうしてこのお店で働くことになったのかを知っていた彼は、このとびっきり幸せなはずの日の思いがけない展開に、きっと彼女はあの日のことを思い出しているんだろうなあと思いつつ、出来る限り自然に振る舞うようにしようと決めたところだった。

キッチンからは店主がトレイに二人分のカフェを、自分にはリキュールのアマーロを運んで来た。

「思ったより早く終わったね」と、ジョークめかして言う店主は2人と一緒にテーブルに着いた。

店主の娘のアパートでルームシェアしていた彼女は、今日から彼のアパートに引っ越すことになっていたので、少ない荷物を取りにタクシーで娘のアパートへ一旦立ち寄る段取りになっていることや、新婚旅行の予定などを話し、最後は涙ぐむ店主と抱擁して店を後にした。

翌日には新郎の家族から、日を改めてボローニャでもう一度食事会を行おうと申し出の電話があり、既に出発が予定されている新婚旅行から帰って来た後に日取りを決めるということに決まった。

2日後、彼女は未だ放心状態でいる父親と、必要以上に式の日の父親の失態を謝り続ける母親の2人をマルペンサ空港まで送って行った。

チェックイン後に休憩していた空港内のBARで母親が、早めに2人で日本にも来るように、その時には日本の親戚を呼んで改めて披露宴をしたらいいということを言っていた。

日本に帰れば父親も少しは落ち着くだろうという話もし、基本的には彼女の突然の結婚を心悪く思っているわけではない両親の提案をありがたく感じている彼女は、彼と相談して出来るだけ早めに日本へも行けるようにすることを約束し、ドタバタの再会となった両親に別れを告げた。

今までの人生をごく普通に過ごしてきたつもりでいたのに、気が向いて参加したイタリアパック旅行で突然波乱万丈な状況になった感じの彼女と、なにが起こっても「都会のミラノならこんなものか」と落ち着いている彼の新婚2人は、予定通りその3日後の便でギリシャへ向け新婚旅行に旅立った。

エピローグ

新婚旅行で訪れたアテネで2週間のんびりと過ごして来た彼女は、既にピッツェリアで働く日常に戻っていた。

彼のアパートはお店から歩いて行ける距離にあり、新婚の住まいからの往復は以前よりも楽になった。

その日も開店より1時間早くお店に入り、店主から「今日は日本人の団体18人で予約が入っている」と告げられた。

自分自身がこのお店で働くようになったきっかけも日本からのパック旅行だったので、新婚旅行から帰って来たばかりの日焼けした自分が接客することになるのも何かの縁かもしれないと、なんだかおかしな気持ちがする彼女だった。

この日も既にメニューは決まっていて、特に注文を受けることはないようだけれど、一応メニューを予約席に並べ、テーブルのセットをして来客を待つことになった。

働き始めて分かったのは、日本人のお客さんは予約の時間にほぼぴったりやって来ることが多く、イタリア人のお客さんは予約の時間から1時間以上遅れることも珍しくなかった。

そして開店間もない時間の予約に合わせるように、観光バスが店の前にやって来た。

駐車できる場所の関係で、このバスも店の前の通りの向こう側に停車し、ぞろぞろと降りてきた観光客をガイドの女性が引率する形で横断歩道のない通りを渡ってお店にやって来た。

「ブオンジョールノ」と入って来た人を迎えているところで「あっ」と目が合ったガイドが硬直してしまった。

彼女も思わず声に出そうになったけれど、落ち着きを崩さないように他の客をとりあえず席へ誘導し、注文は既に団体メニュー用のオードブル盛り合わせとナポリ風ピザを承っていることと4人に1本ずつミネラルウォーターと白ワインがでること、余分に食べたい人だけメニューから追加注文できること、飲み物の追加注文も可能なことなどを説明した。

オードブルと飲み物をテーブルに運んで一段落したところで、先程からぎこちなくしているガイドに席を離れるよう目で合図をしてキッチン前のバーカウンターの方へ来るよう促した。

緊張していることが一目瞭然のガイドが小さな声で「やっぱりあなたは」と言った。

彼女は笑顔で「そうです。私もパック旅行でこのお店にやって来て...」と、その日からの出来事を話した。

彼女の話を非常に驚いた顔で聞いていたガイドは、段々と落ち着きを取り戻してきたようで、新婚旅行から帰って来たばかりと話が終わったところで「とりあえず、おめでとうございます。」とやっと笑顔を見せた。

あの日彼女がいないことに気づかぬままバスを出してしまったのがこのガイドだった。

何でも、あの日は誰も彼女がいないことに気づかないでホテルへ到着し、チェックインのところで予約の女性が一人足りないようだとホテル側から言われ、ガイドもやっと気づいたらしかった。

その後ガイドも独りでタクシーに乗ってこのお店の様子を見に来たけれど、そこには彼女の姿はすでになく、どこか別のホテルにでも泊まったのかと思い、翌日の帰国便に合わせ空港に直接来ることを祈っていたけれど、彼女の行方が分からないまま他の客だけを空港で見送ったことを早口で説明した。

旅行会社からは客を見失ってしまったことの責任から半年ガイドの仕事を回してもらえなかったこと、日本の家族などから問い合わせがなかったことから事件性はなかったと判断され、やっと仕事を再開できることになったこと等、ガイドの方でも色々と大変だったことを聞き、今度は彼女が驚くことになった。

このガイドの女性はイタリアに既に12年住んでいるということで、改めてどこかでゆっくりお話をしましょうと約束し、連絡先を交換してこの日は別れることになった。

団体客がバスに乗り込むところを確認し、会釈をしてお店に戻って来た彼女が、今しがたガイドから聞いた話を思い出しながら、お店の人にも教えてあげようとカウンターへ向かっていたところ、店の奥のトイレから出てくる人がいることに気づいた。

第一部完

Peace and Love

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?