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国境の高さ

ほんの1年ちょっと前まではおいらが製品のデザインを任してもらっているイタリアの会社の会議中に「そうだ、来週のハンブルグの見本市にヒロシもおいでよ。そうすれば他社の製品も実物が見れるし、何かヒントがあるかもしれない」なんて、突然ドイツ出張に行ったりしたものです。国境がすごく低かった。それがコロナのパンデミックで様子が一変しました。

国ごと、地域ごとに感染状況も違うのですが、よっぽどな事情がなければ外国へ飛行機に乗って出かけるということができなくなりました。出来ても移動先で2週間隔離とかね。とにかく、あっという間に国境がぐんぐん高くなってしまった。「あれ、お出かけ?」「うん、ちょっとハワイまで。」なんてことが出来なくなりました。

奇跡的な速さでワクチン接種が多くの国で始まっていますが、全世界の人口の過半数がワクチン接種し、人込みではマスクする程度で普通に生活していればコロナ感染はないような状況なるには、まだ数年、多分もっとかかるため、ある程度制圧できる国が増えても以前のように国境が低くなるのは難しいみたい。

例えば、中国が日本人はビザなしでも2週間の滞在はOKだったように戻してくれるのかどうかは分からないし、多分数年はムリなんじゃないのかと思ったりしてるわけです。そうなると、ちょっと上海出張というわけにもいかず、ビザ申請やら何やらと前準備が必要になりますね。

ヨーロッパと日本は双方の感染者が減少し、市中感染の可能性が低くなればビザなし隔離なしでの往復もまたできるようにはなるだろうけれど、しばらくは1週間以内のPCR検査陰性証明なりワクチン接種証明なりが必要になるのでしょうね。ああ。

約30年前に2ヵ月滞在したNYがおいらの初海外で、その話は「NY昔話」に書いてるので省きますが、大学卒業後にイタリアへ留学し、そのまま住むことになりました。イタリアの中ではローマが首都ですが、ミラノはイタリア経済の中心的街なので、ある意味もっとも国際的な街でおかげでおいらもミラノにいながら外国の仕事をしたり外国へ出張へ行ったりできるわけです。珍しいところでは「テヘラン出張」なんてのもありました。

ミラノに住み始めた頃は、イタリアからパリに行くのも当時は格安航空会社みたいなのはなく、アリタリアやエールフランスの正規料金になるため、安く済ませるために夜行列車を利用したりしたものです。パリからの夜行列車でミラノに向けて帰って来る途中、南仏辺りで真っ暗な夜道に窓の外をぼんやり眺めていると、時々そこだけ灯りが灯った箱庭のような家や駅舎が現れては消え現れては消え、とても美しく、何だか絵本の中の世界みたいだと思ったものです。それがいつの間にか列車よりも安く飛行機でヨーロッパ中行ける時代になり、ずいぶん国境が低く、あるいはほとんど見当たらないくらいになっていたのに、コロナで再び以前にもましてググンと高くなった国境を思うと、何だか大きなものを失ったような気がしてしまうわけです。今なんか、ミラノからフィレンツェに行くのも大仕事。

それで、「あの頃はよかったなあ」と、ついつい過去の外国体験を思い出しては懐かしんでしまうわけです。そして、おいらでも、それなりにあちこち行けた方だと思うので、それはそれでラッキーだったのではないかと思ったりするのです。でも、やっぱり、まだ行っていないけれどいつかは行きたいと思っていた街にはその内行ってみたいよね。何も今諦めることはないので、いつかそういう世界が戻って来ることを期待するのです。

何が言いたいかというと、やりたいことがあれば先延ばししないで直ぐにやった方がいいということ。どこかに行くことでもいいし、仕事や環境を変えることでもいいし、何かチャレンジしたいことがあれば試してみればいい。とにかく、またその内と思っている間に機会が失われることもあるということだけは頭に入れておいた方がよさそうです。国境もこんなに簡単に低くなったり高くなったり出来るのだから。

ガメさんの本を読んでいたら、失敗する権利の話が出てきたのだけれど、権利は使い倒してしまえばいいと思います。

おいらは仕事で訪れる街でも、時間があればホテルの周りや駅の周りを迷子にならない程度にぐるぐる散歩して街の雰囲気を味わうことが大好きです。百聞は一見に如かずというけれど、雑誌やネットで得る情報も便利なことには変りないけれど、ネットで評判のお店よりも、その近くで通りかかった時に気になったお店の方が気に入るなんてことは珍しくありません。

体験して初めて理解できる魅力なんてのもあります。個人的にはイタリア以外で一番多いのがドイツ出張なので、ドイツには割と馴染みがあり、ケルン、ミュンヘン、フランクフルト、デュッセルドルフ、ベルリンなどを訪れています。ミラノでも我が家で友人を招いてオクトーバーフェストとしてドイツビールを飲む会を開いたりしていました。でも、ミュンヘンには見本市会場への出張に行って、ついでに仕事先の人とハードロックカフェで飲んだりしたことはあるけど、オクトーバーフェストの時期に訪れたことはありませんでした。

2年ほど前、ちょうどオクトーバーフェストの時期にケルン出張へ行く機会があり、思い立って帰りの飛行機をミュンヘン経由で1泊してからミラノに帰ることにして、本場のオクトーバーフェストを体験することにしました。

初めてだし、一人なので、オクトーバーフェスト会場のどこか隅の席で飲んで、回りのドイツ人の雰囲気を楽しんで来ようと見物するつもりで予定を立てました。

ケルンでの仕事が一段落し、ミラノに帰る途中の一休みで訪れる久しぶりのミュンヘン。さて、ケルンの早朝の空港でミュンヘン行きの飛行機が出るゲートに着き、空港内で朝食にしようかと思ったら、かなりの数の人がミュンヘンの民族衣装を着て朝からビールを飲んでるんですよね。さすがに気合が違うなあ、こんなところに日本人一人で行って浮いてしまわないだろうかとちょっと心配になってきます。

飛行機はミュンヘンに到着し、予約していたホテルへ着くとまだチェックインができる時間ではない昼前、そこで散歩がてら下調べにオクトーバーフェスト会場の広場へ行って様子を見て帰ってくればいい時間になるだろうと、ホテルにトランクだけ預かってもらい身軽に会場まで出かけました。すると、街中でもかなりの人は民族衣装着てるし、どうもパレードが街中を行進しているらしい。思ったより街ぐるみのイベント感にワクワクしながら会場へ着くと、肩にかけていた小さな鞄を荷物預かり所へ預けてこいと言われる。とにかく会場内はみんな手ぶらということらしい。これは酔っぱらった人が忘れ物をしたり置き引き被害がないようにしたりの予防策なんだなあと感心しながら荷物を預け、会場内へ入ります。

オクトーバーフェストの会場の公園には、多くのビールメーカーが巨大なテント(常設パビリオン)のビアガーデンを開いていて、好きなビールメーカーのところで酔っぱらう方式。多くの来場者は予約してあるテーブルに指定の時間に向かいます。

おいらはホテルに荷物を預け、下見で来ただけだったけれど、まあ、どこか入れるテントがあれば小さいグラスにいっぱいくらい飲んで帰ろうと思い、見覚えがあるビールメーカーのテントに入りました。団体は予約必須ですが、1人や2人の少人数の人はどこかのテーブルに相席できるので中へ入れてもらえるようです。

おいらがテントの中で席を探していると、ウェイターの人が「1人?」と聞いて、相席ができるところへ案内してくれました。さて、生バンドの演奏を聞きながら座っていると、話しかけてくれる人が何人かいて「オクトーバーフェストは初めてだ」と言うと「これはホントに素晴らしいお祭りだよ。普段あまりおしゃべりでないドイツ人もみんな酔っぱらって楽しめるからね」と、ビールの注文の仕方などを教えてくれます。ビールはウェイターやウェイトレスに個別に頼んでも持ってきてくれないので、テーブル近くにビールを運んでくる人がいればその時にキャッシュで買うのだということ。そんなものかと運ばれてくる順番を待っているとおいらのテーブルにもドカンとジョッキがやって来ました。そういう感じだから同じテーブルの人は同じタイミングでビールを買うことになり、ここで乾杯します。

まず、ビールはグラスで注文とかいう予定は吹っ飛び、買えるビールは1リットルのジョッキのみ。これで周りの初対面の人達と乾杯するのですが、向かいの人が「これがドイツの軍隊方式だ」と、ジョッキで完敗した後にテーブルにもゴンとぶつけます。おいらもマネしてドイツ式乾杯。「日本人んだけれどミラノに住んでるから、明日にはミラノに帰る。」「そうか、ミラノか、ミラノのインテルではロナルドがプレーしてたね。No.1の選手だった。」「おお、その通り、メッシでもなく、CR7でもなく、歴代No.1の選手はロナルドだよね。」なんて感じで話がはずみます。「そうか、君は日本人でイタリアに住んでいるのか、でもな、次はイタリア抜きでやろうぜ。わはは」「おっと、それはイタリアでも言われたよ。仕事先の社長が次はドイツ抜きでやろうってね。あんた達、おいらみたいな日本人がいなければ『次は日本人抜きでやろう』って言ってるんでしょ。わはははは。」「わははは。」と英語で喋ってるはずだけれど、周りの人とはどんどん仲良くなっていきます。この「次は○○抜きでやろう」というブラックジョークは割とイタリア、ドイツの古典のようです。

「今日はヒロシは1人なんだろ、大事なことを教えてあげるよ。ほら、女の子の民族衣装は腰のところにリボンが結んであるだろ、あのリボンがこっち向きならパートナーがいて、こっち向きならシングルってことだよ。ヒロシはこっち向きの子を探せばいい。でも、向かいのこの人はダメだぞ、オレの母ちゃんだ。こっちがオレの彼女だ。」なんてリボンの秘密も教えてもらいました。

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生バンドの演奏は、時々ドイツ人ならだれでも知ってる曲を演奏するようで、そういう時は皆で大合唱します。おいらはもちろん知らない曲だけれど、何だか知らないうちに周りの人と肩を組んでベンチの上に登って一緒に知らない歌を大合唱していました。オクトーバーフェストの魔法にかかったようです。

そうこうしている間に時間は過ぎ、ウェイターが「ここのテーブルはこれから予約の人が来るから開けてもらえますか」と言ってきます。ちょっと様子見に立ち寄ったつもりが3リットルもビールを飲みすっかり楽しんでしまい、テーブルの周りの人どころか、テント中のみんなと友達になったような気分で会場を後にしました。

このあと、どうやって預けた荷物を取り出したのか、どうやってチェックインしたのか全く覚えていないのですが、気が付いて目が覚めるとホテルのベットの上でした。時間は午前2時。さすがにそれからまた出かけるには遅いので、結局下見だけで終わった初のオクトーバーフェストでしたが、ホントに楽しかったのです。ちょっと大きめのビアガーデンみたいな感じかと思っていたら、他では換えの効かない魔法の空間でした。こういうのはやっぱり体験しないと分からないのですね。

下見で酔いつぶれてしまったのもささやかな失敗体験。でも多くを学んだ失敗体験。何しろ3リットルのビールを飲むのに食べたのはプリッツェル1つだった。

さて、おいらがまだ行ったことないけど、その内ぜひ行ってみたいと思っている街はイスタンブール。あと、モンディゴベイでのんびりしてみるのもいいなあと思っています。

Peace & Love


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