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「ほっこり授業」の柱!他者の中に「自己」を見いだすしかけを作ろう②

まずは「協働的な学び」のバイアスを外そう!

「他者の中に自己を見出す」「自己の中に他者を見出す」ことは、「子ども相互が関わるしかけ(←協働的な学び)」のある授業でしか、得られない副産物ともいえます。なぜなら、子どもたち自身が「計算ができた」という結果重視の価値観から、「みんなが支えてくれて、計算ができた」というプロセスへの価値が加わるからです。
つまり、この副産物は、これまで「できた・できない」という結果で価値が左右された自己から、「このプロセスを経れば、できないものができるようになるかもしれない」という安心材料が付加された自己に変えてくれたのです。もちろん、計算がスラスラできる子は、「このプロセスを経れば、友達を助けることができるようになるかもしれない」という人間性が付加されるかもしれません。

自己の価値という、ちょっとエグイ表現をしましたが、子どもは、「できたら良い(と人から思われる)」「できないと悪い(と人から思われる)」という独りよがりな思い込みをしていることがよくあるのです。

さて、こんなバイアスを外しませんか?
協働学習は、力を合わせることです
人+人+人+人→人×4

こんな見方にしませんか!
協働的な学びは、個をアップデートすることです
ひと+人+ヒト+ひト→ひと!+人!+ヒト!!+ひト!
あるがままの自分でいいんです。

どうして「協働的な学び」は後回しになるのか

「対話は、やってますよ。 グループで対話する活動は、5分位いつも入れてます。みんなの前で発表するのが苦手な子が多いんです。自分の考えを発表する練習してないと自信持って言えないから。」
筆者の自治体の小学校の先生たちは、対話について問われると半分くらい同様な内容を答えます。少なくとも異論をもつ人は少ないです。
対話活動は、発表の練習なのかと疑問をもった人はいませんか?

対話的活動が導入され始めた頃、現場は、言語活動一辺倒で、「話す」活動の置き換えと捉えられていました。なぜなら、「今までと変わりません」と学校へ指導に来た講師の先生たちが、説明していたからです。その頃の言語活動は、トレーニングの要素が強かったのです。つまり、発表の前は、練習させてあげるという指導が、今も語り継がれています。
こんな経緯もあり、子どもの目標が「失敗しない発表をする」に置き換わり、みんなの意見を活発に言い合う交流場面が、いつの間にか発表会になっていったのです。

こんなバイアスを外しませんか?
練習してないと発表を失敗して、失敗したらかわいそう。

こんな見方にしませんか?
発表は、1人で終わらせない。

これが、他者の中に「自己」を見いだすしかけ②です。
次回に続きます。

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