靖国神社
靖国神社は、幕末の嘉永6年1853年以降、国家のために一命をささげられた人の霊を慰めるために、明治天皇が明治2年1869年に創建された「招魂社」を明治12年1879年に「靖国神社」と改称して現在にいたっているもの。
九段下方面から靖国神社を訪れると、最初に目にするのが大鳥居(第一鳥居)である。高さ25M。日本最大の鳥居である。
この鳥居から青銅製の第二鳥居に向けては、灯篭とイチョウ並木が続く。二つの鳥居のちょうど中間に大村益次郎の銅像がそびえている。
第二鳥居は明治20年1887年の建立。続いて現れるのが昭和9年1934年建立の「神門(しんもん)」である。
この「神門」と中門鳥居の間は、桜の木が林のように植栽されている。よく見ると一本ごとに、献木の名札が付けられている。そして、中門鳥居のあとは、明治34年1901年建立の拝殿である。拝殿の後ろに、明治5年1872年建立の本殿がある。先ほど述べた鎮霊社は、拝殿の左手奥にある。
なお、中門鳥居から右手に行くと、英霊にまつわる資料を展示する「遊就館」がある。また、本殿の裏近くには「神池(しんち)庭園」と呼ばれる日本庭園がある。
先ほども述べたように靖国神社は、幕末の嘉永6年1853年以降、国家のために一命をささげられた人の霊を慰めるために、明治天皇が明治2年1869年に創建された「招魂社」を明治12年1879年に「靖国神社」と改称して現在にいたっているもの。そのため、合祀の対象をめぐり論争が続いている。一つは神社の出発点の問題で、戊辰戦争で幕府方で戦った人、西郷隆盛に従って西南戦争で朝廷側と戦った人、などは含まれないが、それでいいのかという議論である。また一つはその後についてで、第二次大戦に至る戦争について、残虐な行為をしたとして、現地の人々から非難されている人まで果たして神霊として祀って良いのかという疑問がある。また、こうした日本国家のため亡くなったという趣旨の合祀を望まない海外の人もいる。ではどうすべきか。
他意はなく慰霊の神社だというなら、戦争で亡くなったすべての人を、国籍を問わず等しく慰霊すべきではないか。実は靖国神社には鎮霊社という小さな祠があり、そこでは靖国神社に合祀されない国内、および諸外国の人々が慰霊されているとのこと。こちらの等しく慰霊という考え方を支持したい。誰を祭神とするかという議論で、それは朝廷方だと明言している現在の靖国神社は、祀られない人たちを差別しているように思えて残念だ。
靖国の考え方の中に、朝廷方=政府方を正義、それ以外を逆賊とする明治維新時の考え方が潜んでいる。しかしそういう考え方=朝廷が善で、それにたてつくのは逆賊、に現代の私たちは容易には同調できないところがある。民主主義社会では誰でも政府批判位するだろう。政府批判する人を逆賊呼ばわりすることに無理があることは、だから現代社会ではみんな理解するだろう。朝廷が善で、それにたてつくのは逆賊、というのは、朝廷を抑えた長州の言い分。批判を封じる方便にすぎない。幕府方で戦った人や西郷に従って戦った人などを英霊から排除する靖国神社の考え方の中に、同次元の派閥意識がチラチラ見える。靖国神社を素直に国家のために自分を犠牲にした英霊を祀るところと受け止められないのは、英霊を選別する狭い考え方(あるいは政府批判を許さないような考え方)が、靖国神社の出発点にあることを感じるからかもしれない。
アクセス 地下鉄九段下より徒歩5分。
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