自衛隊高級幹部の靖国神社参拝を軍事アナリストはどう見ているか https://note.com/pkutaragi/n/n978031619abe


◎判断力が問われる自衛隊首脳

能登半島地震から1週間あまりだというのに、しかも第一線部隊が災害派遣に血の汗を流しているというのに、陸上自衛隊の高級幹部が脳天気さを世間にさらし、当の陸上自衛隊の内部からも「陸上自衛隊が国を守れないことを世界に露呈してしまった」と深刻な声が挙がっている。

ひとつは1月9日、陸上幕僚監部の副長(陸将)ら20人が航空安全祈願の目的で靖国神社に参拝した件、いまひとつは前日の8日に旧陸軍の流れをくむ偕行社が靖国神社内で賀詞交換会を催したおり、東部方面総監(陸将)ら3人が参加し、靖国にも参拝した件である。陸幕副長らは時間休暇を取り、背広姿だったが、東部方面総監らは制服を着用し、双方とも公用車を使用ししていた。防衛省は公用車使用について陸幕副長ら9人を訓戒などとしたが、宗教行事への参加を規制した次官通達には違反していないとの判断となった。

実を言えば、陸上自衛隊内に衝撃が走ったのは、靖国参拝や公用車使用以前に、東部方面総監と陸幕副長がタイミングを判断ができなかったことだ。ただでさえ靖国参拝は問題視される。能登半島地震の直後だけに目を引かないはずはない。地震対処や政治資金パーティー問題が一段落した段階でメディアと国会で集中砲火を浴びることは覚悟しなければならない。これが戦場なら攻撃され、壊滅的な損害を出しかねない場所に部隊を投入したに等しい。高級幹部が判断力を欠いている自衛隊の姿は、中国、北朝鮮、ロシアからも「戦えない軍隊」とみなされるのは間違いない。

こんな問題が生まれるのは国を挙げた戦没者の追悼が存在しないからだ。この問題を機にメディアが取り上げ、国会で正面から議論されるべきは靖国神社の位置づけである。国民的に戦没者を追悼するのは当然のことだが、心情的に「べき論」を叫んでいても問題は進展せず、かえって慰霊の場を喧噪の中に置き続けかねない。以下、かねてからの私見を紹介させていただくが、いまだ反駁されたことはない。

まず、日本国憲法が信教の自由を前提としている以上、神道の施設である靖国神社で戦没者を国が慰霊することには無理があることを明確にした上で、たとえば米国の先例などを参考にするのである。米国の場合、有名なアーリントン墓地は宗教を問わず国家に献身した人物を追悼しており、故・安倍晋三首相が「靖国は米国のアーリントン」と述べたときは、それを米国側に指摘されたが、その一方、大統領就任時の宣誓にはキリスト教の聖書に手を置く伝統の形式が踏襲されている。それと同じ発想で、信教の自由を前提としつつも、日本の伝統宗教である神道の様式で国家に殉じた人びとを祀るために靖国神社を国家護持すると定めるのである。その場合、戊辰戦争の賊軍側を祀らないとした考え方を廃し、宗教を問わず国家に心身を捧げた愛国者を祀ることを原則とし、中国側が問題視する極東軍事裁判の「A級戦犯」はむろんのこと、たとえば昭和19(1944)年9月当時、ビルマ国境・拉孟守備隊の玉砕時に退避命令を断り、部隊とともに戦って死んでいった15人の日本人慰安婦まで顕彰するようになれば、日本は国際的な理解を得る形で戦没者の慰霊に踏み出したことになるのではないか。(電気新聞2024年2月14日号掲載)






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