赤坂日枝神社
山王鳥居 日枝神社の鳥居の形は山王鳥居といい、日枝神社が神物習合の山王信仰を示す日吉神社(比叡山の麓にある日吉大社が本社である。なお日吉大社も昔は、比叡神社、日枝神社と言ったのだが、枝を縁起が良いとして吉に置き換えることがあり、さらに神社を大社と言い換えることがあり、日吉大社とよぶようになった。)の系統に属することを示している。より一般的な鳥居の形は明神鳥居と呼ぶ。
日枝神社は山王社とも呼ぶ。比叡の山の神を祀っていると考えればよい。日枝神社の名称は、比叡を日枝とも書いたりするところからきている。
鎌倉初期に、武蔵国江戸郷を治める秩父重継が江戸貫主を名乗って居館に山王社を勧請した。文明年間(1469-1487)には大田道灌が江戸城築城にあたり、山王社を再び勧請した。その後、江戸に入府した徳川家康も、山王社を城内鎮守の神、産土神として崇めた。
その後、慶長9年1604年の江戸城改築に際し、江戸城内の山王社は麹町隼町に移されたが、明暦3年1657年の振袖火事の大火で社殿を焼失。萬治2年1659年に、社殿を新たに建築の上、現在地に移された。しかし昭和20年1945年の東京大空襲では山王稲荷神社を除いて社殿を再び焼失した(現在の社殿は昭和33年1958年の再建である)。
日枝神社が当地に来られてから、萬治2年1659年から現在まで360年余りの月日が流れている。
アクセス 東京メトロ南北線溜池山王下車 徒歩5分 出口5から右に直進。最初の十字路で左手の坂道を上がると男坂の階段に達する。
川越の山王社と永田町の山王社 山王社の勧請はさまざまに行われたようで、それら山王社と永田町の山王社(日枝神社)との関係には、未解明な点が残る。確かなことは、代々の為政者が山王社を勧請して崇めたことではないか。山王社がオオヤマクイノカミを主たる神として祀っていることが背景であろう。
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