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赤坂日枝神社男坂の大イチョウ

 日枝神社そのものは昭和20年1945年5月の東京大空襲で社殿のほとんどを失った。なおごく一部の樹木は奇跡的に焼失を免れた。石段を下りて左手にある背の高い銀杏はその一本である。高さは20m以上はあると思われる。
 千代田区内の戦争 この資料によれば、山王社の被災は1945年の5月25日の空襲によるもので山王社の地域は焼失地域になっている。pp.6-7
 山王鳥居 日枝神社の鳥居の形は山王鳥居といい、日枝神社が神物習合の山王信仰を示す日吉神社の系統に属することを示している。より一般的な鳥居の形は明神鳥居と呼ぶ。
 日枝神社は慶長9年1604年の江戸城改築に際し、江戸城から麹町隼町に移されたのであるが、明暦3年1657年の振袖火事の大火で社殿を焼失。萬治2年1659年に、社殿を新たに建築の上、現在地に移された。ところが昭和20年1945年の東京大空襲では山王稲荷神社を除いて社殿を再び焼失した(現在の社殿は昭和33年1958年の再建である)。日枝神社が当地に来てから、萬治2年1659年から現在まで360年余りの年数が経ったところである。
 問題のイチョウは、大変樹高が高い。見た印象は阿佐ヶ谷駅前のメタセコイヤ(高さ32m)に迫る。写真からヒューマンスケールで測ると20m以上の高さは十分ある。他方、この木はどの程度の樹齢だろうか。約300年という数字がよく見られる数値である。
 アクセス 地下鉄南北線溜池山王下車5番出口より右へ直進 最初の十字路を左手の坂道へ。坂道の右手に問題のイチョウが見える 
 男坂の大イチョウ 2005年11月撮影? 「歴史の浪漫街道」より 幹回り5m 高さ30m 樹齢約300年としている
 山王日枝神社男坂のイチョウ 2016年6月撮影 「出会った巨樹」より 
 日枝神社の大イチョウ 2016年6月撮影 「杉原梨江子  神木巡礼」より 

山王鳥居が左側に見える
いわゆる男坂


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