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浅草寺のイチョウ
治承4年1180年、後白河天皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)はかねて平氏に恨みがあり、源頼政の進言に従い、平氏討伐の令旨(りょうじ)を出した。鎌倉にいた源頼朝は迷ったものの挙兵するが、小田原の戦いで大敗。一旦、房総に逃れ、再度軍備を整えて江戸川を渡り進軍する。そのとき、浅草寺(せんそうじ)に参内し戦勝を祈願した。その際に頼朝が植えた苗が育ったとの伝承がある。この伝承に従えば、樹齢800年あまりの古木になる。こうした戦勝祈願の由来をもつものとして「馬場大門のケヤキ並木」あるいは「練馬白山神社の大ケヤキ」などを思いだした。
浅草寺の中で現存する大変大きな古木であることは間違いない。御神木といわれながら、しめ縄などをされていないことが気になる。幹回り5.5m、高さ8m、台東区の保護樹木である。場所は本堂の斜め前である。
決して、見て見事といえる樹木ではない。ただ浅草寺が伽藍のほとんどを失った昭和20年1945年3月10日の空襲により、この木は頭部を焼失したほかほかの被害を受けた。激しく火の手を受けたのである。現在の緑はそこから70年余りをかけての復興である。この木は伽藍焼失の中、自身も焼かれたがともかく生き延びたのである。焼けた跡は今も残り、主幹内部は、理由は不明だが、大きく空洞化している(焼けて炭化した部分が除かれて、その結果、空洞化したと思われる)。同様に1945年5月の空襲で頭部を失った「善光寺坂のムクノキ」のことを思い出した。
「浅草寺のイチョウ」 2011/07撮影 「巨樹と花のページ」より
関東の巨木リスト 「巨樹と花のページ」より
浅草寺の銀杏 2012/03撮影 「出会った巨樹」より
浅草寺の戦災樹木 2020/02撮影
東京大空襲77年 燃えた大イチョウ 東京新聞2022/03/10
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