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長崎きまぐれ案内 その4 ーお盆

長崎きまぐれ案内シリーズ 

その1で江戸時代の出島と明治維新後の石炭について触れた。

https://note.com/hiroshi_m1121/n/n697348441206

その2は長崎の果てしなく続く海外線について書いた。

https://note.com/hiroshi_m1121/n/ndefbd049ed9d

その3では長崎市市内を走る路面電車について書いた。

https://note.com/hiroshi_m1121/n/n7771efc6bb0d


4回目の今回は冠婚葬祭の祭に当たるお盆について書いてみたい。

長崎は坂の町であり中心街を通る路面電車の路線は比較的凹凸はないもののどこを車で走っても歩いても山が迫っている。長崎港を取り囲むのもほぼ3方が山で浦神駅に向かって細い平地が北へ伸びている。そんな坂の町なので山の中腹にお墓が点在している。お墓を建てた頃はそこが町の外れであったのだろう。町の発展に合わせてなのだろうか、そのお墓の更に上に民家が建ち並ぶ。長崎ならではの光景だ。

そのお墓が長崎独特なのである。墓石がある。その墓石を囲う低い塀がありその塀伝いにお墓に向かってどちらか一方に長椅子の様に人が座れる石作りかコンクリート造りの箱がある。下は扉がついていて掃除用具やらお水を汲むためのバケツやらお線香やろうそくのパッケージを置いておく。その箱のようなベンチの様なところにそのまま座るのだ。そう。長居するのが長崎でのお盆の過ごし方なのである。お盆は8月の一年で最も暑い最中である。朝の比較的涼しい時間帯にいったんお墓により一通り掃除をする。更に提灯などを吊る棒などを立ててお盆の準備をしておく。本番は夕方に始まる。日が陰った頃合いを見計らって三々五々家族や親戚がお墓に集まる。お経を読んだりろうそくに火を灯してお線香をつけたりする。そうこうするうちに夕陽が沈み暗闇が訪れる。ここからが本番である。花火を楽しむのだ。長崎のお盆である。精霊流しの爆竹の音があちこちで鳴っている。爆竹の白い煙があちこちで高く漂う。

初めて長崎のお盆を地元の人間として過ごしたときはカルチャーショックだった。

父の実家は大阪でどちらかと言えば冠婚葬祭は最低限で済ますといった感じであった。母の実家は福岡である。母方の実家の方はそれなりに冠婚葬祭はしていた。だからだろう。冠婚葬祭のしきたりは大抵母から教わった。お墓は明るいうちに、特に朝のうちにお参りに行くものだ。夕方以降、特に暗くなった夜に行くところではないとよく教えられた。

そんなしきたりというか教えを聞かされていたので長崎でお盆を過ごすことは新鮮だった。所変われば品変わる。所変わればしきたりも変わる。

精霊流しは長崎の観光にもなっている。爆竹を鳴らす騒々しさは普段日本人が静かに死者を迎えるお盆のイメージとはかけ離れている。これは中国の影響を受けているのだろう。爆竹もお盆が近づくと華僑のお店に皆が買いに来る。爆竹を鳴らして亡き親しい人々をここだよ、ここにおいでよと呼ぶのだそうだ。騒々しいのではなく大きな音で亡き魂を呼んでいるのである。


初盆の家庭でするのが精霊流しならそれ以降のお盆は町に船を出すことはなくお墓の前で過ごす。爆竹や花火で先祖の魂を呼ぶ。夜に呼ぶ。昼間の暑さから解き放たれ幾分涼しさが訪れた夜にお墓の前で座って話をしたり花火を楽しんだりして過ごす。長崎のお盆の風景。

墓石のすぐ近くにある石作りかコンクリート造りの箱はお盆の夜にあの世に度だった愛しい人とゆっくり語り合うために腰掛ける場所だった。

おそらく日本では長崎でしか見られないお盆の風景である。

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