見出し画像

思いつき長崎案内

学生を卒業して初めて社会人となったと同時に長崎に赴任。それから足掛け20年余り長崎ですごした。今現在は鎌倉に住んでいるが長崎は第二の故郷という思い入れがある。

なので思いつきの長崎案内。

長崎と言えばまずは出島。江戸時代の鎖国政策において唯一の海外への玄関口。最近は出島の復元に力を入れている様だ。出島という特殊な役割からだろうか。江戸時代長崎は幕府の直轄領だった。その名残が今でもあるのは「じげもん」だ。長崎の地元の人という意味である。漢字で書けば「治下もん」で幕府の直轄地の生まれといったところだろう。
そんなじげもんの雰囲気というかイメージがある。(あくまで個人的なものだが)あるときたまたまタクシーに乗った際運転手の人が嘆いていた。その運転手は関西かどこだかの九州以外の土地から移り住んで来た。タクシーを運転していて対向車がパッシングしてくれたことがないと嘆いていたのだ。つまり警察のねずみ捕りを知らせる合図である。その合図を地元の車はしてくれないと運転手は嘆いていた。お上に逆らわないのが心情。むべなるかな。じげもんの特徴である。(あくまで個人的な意見です。)

明治維新後の長崎を街としての特徴づけたのが炭鉱である。石炭の街。長崎市内そのものは炭鉱の町ではなかったがその周辺が石炭採掘場として長崎は近場であった。軍艦島は最盛期には国内で最も人口密度が高い町であった様だ。長崎の北部の池島炭鉱は日本国内で最後の2番目に廃鉱となった。当時北海道に比するほどコスト競争力のある炭鉱だったことが分かる。今でも長崎駅から大波止まで採掘した石炭を運ぶ単線の鉄道の名残がある。大波止は海の長崎の玄関口である。
長崎の港は時代とともにその湾口を埋め立てで狭く小さくした。J Rの終点駅長崎駅の手前に浦上駅があるがその名の通り昔は浦上駅が浦の上(かみ)つまり岸辺だった。大波止の山側の五島町辺りに道には不自然な断崖絶壁があるがかつての海岸線である。その断崖の海側は今は普通に海側まで土地が続いているがかつては海であった。大波止の桟橋から見える水辺の森公園や長崎県美術館は比較的新しい埋立地である。

長崎には中華街がある。日本では横浜、神戸とともに中華街があるのはこの3都市だけ。長崎は中国に近い。今は無いが上海〜長崎航路の定期便があった。初めて長崎に赴任した際長崎の女性は中国系の顔立ちに近いのか面長な人が多い気がした。(この印象はあまり自信が無いが。)ただ、横浜や神戸の中華街より規模は小さい。十字の形の通りは端から端まですぐに歩き切ってしまう。だがその文化的影響は大きい。おくんち、精霊流しに観光客は集まるが近年冬の風物詩として有名になっって来たランタンフェスティバルは中国の旧正月に因んで開催される。精霊流しもその習わしには中国の影響が垣間見える。精霊流しに必須の爆竹はまさに中国の文化から来ている。お盆前に精霊流しの準備のために市内の花火屋さんに爆竹を買い求めたことがあるがあれは華僑のお店の様だった。

長崎には長崎にしか無い独特の雰囲気がある。その空気を感じるとき思い出すときたまらなくなるときがある。近い将来その空気は失われるのでは無いか。消えてしまうのでは無いか。そこまで行かずとも長崎に帰った際その空気を再び味わえることが出来るのだろうか。そんな不安がよぎる。そう感じるのは何かをあの土地に置いてきたからなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?