椎名燎平

一造船技師兼海事ライター。海洋国家日本🇯🇵の礎は海事業界がこれまでもこれからも担うと信じ…

椎名燎平

一造船技師兼海事ライター。海洋国家日本🇯🇵の礎は海事業界がこれまでもこれからも担うと信じています。第二の故郷長崎、アトピー、ブラジルのことなど気まぐれに書いています。

最近の記事

終わりは始まり

やっとたどり着いた終わり。と思ったらそれは始まりだった。 終了のゴングが第1ラウンドの始まりの合図と気付いたらどうなるのだろう。 今日は正にそういう日となった。 「『4年かけて1ミリ背が伸びた』ことに喜んでるようじゃどうしようもない。」 そりゃそうなんだけど。 しかも実際のところ、身体的には4年で1ミリ縮んでいるんだよなぁ、、、 気が付けば160センチ台から150センチ台への転落。ま、それはどうでもいいけど。 学生時代に終わりを告げ晴れて社会人になるという春のある日

    • 実家の断捨離

      今住んでいる神奈川県から実家のある兵庫県までドアツウドアで5時間程度かかる。JR在来線、新幹線、バスを乗り継いでのこと。 東海道新幹線での車窓は楽しい。山陽新幹線もそれなりに楽しいのではあるが、路線が新しい分線路を通す土地買収の困難なためだろうかトンネルが多くて少しイライラする。それに比して東海道新幹線の車窓は富士山をはじめ風景にバリエーションがありさまざまな工場も見えて日本の大動脈といった感がある。 いきなり話が逸れた。 昭和1桁生まれの父、その父と1歳違いの母。幼少

      • 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を聴いて

        文藝春秋『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平著 「読んで」ではなく「聴いて」としたのはAudible(Amazon)で聴いたからです。 学生時代就職活動で大学の研究室仲間と共に関東方面にいた。その際横浜でプロ野球ナイターを観戦した記憶がある。確かロッテに在籍していた落合博満選手が2打席連続ホームランを放ち淡々とホームベースを周っていた。ベンチに戻る前に観客席に手を振って声援に答えていた。 直接観た落合博満という人間は後にも先にもこの1回のみだが、もう

        • 小学校時代の忘れられないクラスメート

          父は転勤族だった。自分が生まれてから高校までで引っ越しを要する転勤を5回。それに伴い中学入学までに4回引っ越しした。小学校入学と同時に初めて関西から関東に、茨城県に引っ越しした。昭和40年代半ばのことである。 6歳の子供にとって関西から関東に移るのは一種のカルチャーショックだったのだろう。ズーズー弁を話すクラスメートにびっくりした記憶がある。そこで小学校4年生の半ばまで、つまり3年半を暮らした。 私立の学校など近辺にない環境である。もちろん通っている小学校も地元の町立の学

        終わりは始まり

          意識と気付き

          僕「どうしたの?」 彼女「りょうへい、聞いて。私、できちゃった。」 僕「できたって、何が??」 彼女「貴方と私の間にできたのよ。分かるでしょっ!」 僕「ええっ、、、」 かくして彼女と別れてから家への帰り道にどうしようどうすれば良い??とアレコレ悩む事となる。お金がない。彼女の実家になんて挨拶すれば良いのだろう。そもそも自分は父親になれるのか、、、 独りになってからの帰り道ベビーカーがやたらと目につく。赤ちゃんをおんぶした母親の姿。子供をあやす夫婦。 これは急に通りに赤ちゃん

          意識と気付き

          アトピー考その30 お風呂に何を入れる?

          今試していることがある。 お風呂に何を入れるか。 一戸建てに住んでいた頃24時間循環風呂をしつらえていた。それは長崎に住んでいた頃。東京に出てからは独身寮、アパート2軒と5年で3カ所を回り何となく放浪生活になってきた。 東京、関東圏は不動産関連が他の地域と全く違う。お風呂もバスタブが無かったりする超狭いワンルームもざらにある。バスタブがあっても追い焚き機能がない!って初めて知ったときなんじゃそりゃ??と思ったが一度知るともうそれが当たり前。入る際に熱めに温度設定したらい

          アトピー考その30 お風呂に何を入れる?

          カバン

          カバンというものは厄介だ。 上さんと二人暮らししていた頃。パートナーに言ったことがある。「カバンなんて大中小の3つあれば十分じゃないの?」即反論された。「男の人はそう言うけど女性はそうはいかないのよ。季節に合わせる。着る服に合わせる。だから色々カバンも合わせるものに合わせて3つで足りる訳ないわ。」「そういうものかな??」「そういうものよ。」 かくして議論は終わった。見事完敗。反論する余地なく押し切られた。かくして押し入れには色とりどりのカバンが所狭しと並ぶ。並び続ける権利を

          自由には責任が伴うのか。

          結論から言う。自由には責任は伴わない。そもそも責任が伴うという時点でそれは自由とは言わない。 責任が伴うのは権限である。例えば、職場で課長は人事という権限を持つが故にその業績に責任を持つ。権限と責任は2つで1セット。この関係が崩れると組織は崩壊へと向かう。権限だけを行使して責任を負わなければ組織は膿む。 では、自由には何が伴うのか。少なくとも責任ではない。あえて言うなら危険である。人はその時その時何かを選択している。その選択肢に制約が無く自由であれば時には無茶なことをする

          自由には責任が伴うのか。

          アトピー考その29 -遅延型食物エネルギー

          久しぶりに投稿する。 TwitterやInstagramなどでアトピーをツイートしたり投稿したりするのを時折、というかよく見る。 そんな中で自分自身がアレルゲンの食べ物を日常的に食していた頃の、正に皮膚が炎症を起こしていた頃にそっくりな皮膚をしている人を時折見かける。不思議なものでアトピーの人はアトピーの人を良く見分けられる。不思議ではない。当たり前か。いや、ただアトピーというだけではない。その病状、症状の進捗状況も何となく想像出来る。どれほどの痒みなのか。あるいは痒みよ

          アトピー考その29 -遅延型食物エネルギー

          かつて妊活をした

          GW中は特に大きな予定もなく遠出もせずのんびり過ごす。晩春は気温も上がり春眠暁を覚えずで寝ても寝ても眠い。そんな時は家で過ごすに限る。 そんな休暇の過ごし方は結局好きな映画を観るとほぞを固めるとamazonのprime videoで何か探して観る、というパターンになる。 で、たまたま、「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」という映画を観た。 観ていて30代後半の妊活をしていた頃のことを思い出していた。下関造船所に勤めていた頃で当時上さんが言い出して通いだした。北九州は折尾にある結

          かつて妊活をした

          ライバルは昨日の自分

          “Don’t compare myself with others. Compare myself with yesterday’s myself.” 「自分を他人と比較するのではなく、昨日の自分と比較せよ」 直訳すればそんなところだろう。一言で表現するなら、ライバルは昨日の自分。 毎日キャッドポストで「マット竹内の1日5分ビジネス英語」を聴いている。その水曜日(2021年4月14日)のリリース版で最後にいわゆる「マット説法」と言われるマット竹内さんの「説法」がある。そ

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          アトピー考その28 -喘息とアトピーと肺と腎臓

          幼少の頃の経験を通じてアトピーと喘息が表裏一体の関係にあることは実感していた。アトピーが悪化して痒みがひどいときは喘息は収まっていた。(おさまっていたと言っても一時的なもので治(なお)っておさまっていたのではない)逆に、喘息の発作がひどいときは皮膚の痒みはあまり感じないで済んでいた。まるで喘息の発作と皮膚の痒みのトータルの辛さが常にイーブンになる様に身体が調整しているかの様な印象を持っていた。 喘息の発作 + 皮膚の痒み = 一定 ←みたいなイメージ 今現在ある先生から陰

          アトピー考その28 -喘息とアトピーと肺と腎臓

          六甲縦走

          大学の3回生から院の1回生までの3年ほどどこに就職するかでずっと悩んでいた。大学3回生のとき大分の製鉄所に2週間か3週間ほど工場実習に行った。 その頃はマスコミにも少し関心があった。今思い出せばその頃から物書きになってもいいぐらいの色目が無くもなかった。その一方で、学んでいるのは工学部の機械物理工学である。普通ならメーカーに勤める。その頃はメーカーに勤めることイコールモノ作りのアイデアを毎日頭からひねり出す、というイメージがあり自分にはとても無理だと思っていた。そんなイメージ

          六甲縦走

          長崎きまぐれ案内その19 - 黄砂

          平成3年に学生を卒業し長崎に赴任した。社会人1年生の長崎での生活は結構大変だった。仕事で大変というのではない。(新しい環境で新社会人、初めての仕事は一言で言えば楽しかった。)大変というのは自然災害でだった。4月に新生活をスタートさせてすぐの5月に雲仙普賢岳で噴火による土石流が発生した。更に6月には火砕流が発生。このとき火砕流という言葉を初めて知った。その年長崎市内に一度だけ火山灰が降った。日本は概して偏西風が吹いている。長崎も例外ではない。長崎市から見て真東に位置する普賢岳か

          長崎きまぐれ案内その19 - 黄砂

          ながさき気まぐれ案内その18 −カステラ

          長崎を訪れたらお土産に何が良いか。この命題(というほどのこともないが、、、)の答えはたいがい地元の人はカステラ、と答えるだろう。では、どの銘柄が良いか。 これもたいがいの地元の人は福砂屋、と答えるのではないだろうか。なかには松翁軒、とか言う人もいるだろう。全国的に知られているのは文明堂だ。長崎駅から路面電車で2駅海側に行ったところの交差点に立派な構えの文明堂総本店のお店が建っている。これに対し福砂屋は思案橋の入り口から丸山公園に向かって進んだ途中に本店がある。味に関しては

          ながさき気まぐれ案内その18 −カステラ

          長崎気まぐれ案内その17 - ランタンフェスティバル

          長崎に赴任して3年目に結婚して長崎市を離れ隣町の長与町の社宅に移った年だったと思う。1月か2月の一年で1番寒い頃に長崎ランタンフェスティバルの第一回目が始まった。最初は中華街の側の中央公園に小さな幾多のランタンを吊るし幾ばくかの人形を飾った小規模なものだった。お祭り好きの地元の人に何故冬にはおくんちや精霊流しに匹敵する催しがないのかという声と何か企画したらという要望があったと聞いた。 夏の精霊流しと秋のおくんちの二つがやはり全国的に有名な長崎の催しだろう。そうなればもう一つ

          長崎気まぐれ案内その17 - ランタンフェスティバル