三島由紀夫「わたしのきらいな人」

この雑誌は何を書いてもよいそうだから、他の雑誌に書いたら顰蹙を買いそうなことを敢て書かせてもらおう。

私の来るべき老年の姿を考えると、谷崎潤一郎型と永井荷風型のうち、どうも後者に傾きそうに思われる。念のため申し添えるが、これは決して私が両氏のような文豪になるであろうなどと言っているわけではなく、文士の老年の二つの相反する型の、どちらに属するか、ということを言っているのである。しかし、私は荷風型に徹するだけの心根もないから、精神としては荷風型に近く、生活の外見は谷崎型に近い、という折衷型になることであろう。

荷風はあのとおり、フランス式人生観に徹して、金よりほかに頼るものなしと大悟したのはよいが、医者に出す金さえ吝しんで、野たれ死に同様の死に方をした点で、いつも金に結びつけて考えられている。一方、潤一郎は出版社から巨額の前借を平然としながら、死ぬまで豪奢な生活を営み、病気になれば国手の来診を乞うた。

しかし或る人曰く、

「谷崎先生の根本理念はお金ですが、荷風先生の根本理念はお金ではありません」

もちろんこれは谷崎氏を誣いるものであろう。しかし荷風のように実生活で預金通帳と心中したような人でも、その人の根本理念が実はお金ではなかった、ということは大いにありうることである。又、潤一郎の根本理念をお金だと云ったところで、氏の文学を完全に否定することにはならない。

潤一郎は商人で、荷風は侍であった。人生観の大本がそうだった。或る人はそう言いたかったのにちがいない。それが証拠に、荷風は一切借金をせずに、人との約束は潔癖に守ったが、潤一郎は、死んだときに帳尻が合えばいいという考えで、借金も財産のうちと考えていた。

潤一郎は晩年にいたるほど一見円転滑脱になり、誰にでもびっくりするほど腰が低かったが、荷風は晩年に近づくにつれ、猜疑心が強くなり、しかもさしで会えばおそろしく鄭重であった。ここらに両氏の都会人らしい共通点がうかがわれ、かつ、その現われ方こそちがえ、両氏の人間ぎらいは実に徹底したものであった。潤一郎は、自分をほめてくれる人間しか寄せつけず、荷風は、そういう人間でさえ遠ざけた。潤一郎は、おひいきの有名女優にだけはやさしかったが、荷風も無名のストリッパーにだけはやさしかった。物として扱える人間だけが好きだったのである。

どうも小説を永いあいだ書いていると、こういう風な人間ぎらいになるものらしい。もちろん、人間ぎらいでは、実業家などがつとまる筈はなく、潤一郎の精神がいくら商人型と云っても、会社の一つも持てば、早速つぶしてしまったに決っている。

志賀直哉のような純芸術派の作家も、あのまま書きつづけていれば、小説の毒で、両氏にまさる人間ぎらいになったかもしれないが、中道で筆を折ったので、あのような晴朗な老年を過ごしておられるのである。

私が荷風型になる兆候は、汚ないボストン・バッグをぶらさげて、国電に乗って出かける姿から容易に窺われるそうであるが、このごろは雑事に忙しくて国電にも乗れず、鞄も時折アタッシュ・ケースを携えるようになっては、荷風に追随する資格はなさそうである。

しかし、だんだん荷風型に近くなる兆候は、いろいろと見えている。お金の点ではまだ吝嗇になっていないつもりであるが、同業の文士の顔を見ることが、だんだんいやになって来ている。文士の出そうなバアや料理屋は、つとめて避けて歩いている。私だって、二十代のころは、文士附合を面白がっていた時期もあるのである。しかし今では、文士ほど、人の裏を見る、小うるさい存在はないと思うようになって来ている。これは多分、自分もそうだから、という理由に過ぎまい。自分が明瞭に見えてきたので、文士一般が耐えられなくなってきたのであろう。

むかしから人の好悪の激しいほうであったが、年齢と共に、それがだんだん我慢がならなくなった。人はこういう傾向を老年の兆候だと云うが、必ずしもそうではない。ただ、若いうちは、何分自分に社会的な力が乏しく、人にたよって生きて行かなければならないから、打算と好奇心が一緒になって、イヤな奴とも附合っているけれど、次第に社会的な力が具わってくると、今まで抑えていたものが露骨に出てくるだけのことであろう。

何がきらいと云って、私は酒席で乱れる人間ほどきらいなものはない。酒の上だと云って、無礼を働いたり、厭味を言ったり、自分の劣等感をあらわに出したり、又、劣等感や嫉妬を根に持っているから、いよいよ威丈高な笠にかかった物言いをしたり、・・・・・・何分日本の悪習慣で、「酒の上のことだ」と大目に見たり、精神鍛錬の道場だくらいに思ったりしているのが、私には一切やりきれない。酒の上で最も私の好きな話題は、そこにいない第三者の悪口であるが、世の中には、それをすぐ御本人のところへ伝えにゆく人間も多いから油断がならない。私は何度もそんな目に会っている。要は、酒席へ近づかぬことが一番である。酒が呑みたかったら、別の職業の人間を相手に呑むに限る。

何かにつけて私がきらいなのは、節度を守らぬ人間である。一寸気をゆるすと、膝にのぼってくる、顔に手をかける、頬っぺたを舐めてくる、そして愛されていると信じ切っている犬のような人間である。女にはよくこんなのがいるが、男でもめずらしくはない。荷風がこんな人間をいかに嫌ったかは、日記の中に歴然と出ている。

われわれはできれば何でも打ち明けられる友達がほしい。どんな秘密でも頒つことのできる友達がほしい。しかしそういう友達こそ、相手の尻尾もしっかりつかんでいなければ危険である。相手の尻尾を完全につかんだとわかるまで、自分の全部をさらけ出すことは、つねに危険である。それだけ用心しても、裏切られる危険はつねに潜在している。ほんとうの心の友らしく見える人間ほど、実は危険な存在はあるまい。というのは、いくらお互いに尻尾をつかみ合っていても、その尻尾にかけている価値の大小の差はつきものだからである。

私が好きなのは、私の尻尾を握ったとたんに、より以上の節度と礼譲を保ちうるような人である。そういう人は、人生のいかなることにかけても聡明な人だと思う。

親しくなればなるほど、遠慮と思いやりは濃くなってゆく、そういう附合を私はしたいと思う。親しくなったとたんに、垣根を破って飛び込んでくる人間はきらいである。

お世辞を言う人は、私はきらいではない。うるさい誠実より、洗練されたお世辞のほうが、いつも私の心に触れる。世の中にいつも裸な真実ばかり求めて生きていると称している人間は、概して鈍感な人間である。

お節介な人間、お為ごかしを言う人間を私は嫌悪する。親しいからと云って、言ってはならない言葉というものがあるものだが、お節介な人間は、善意の仮面の下に、こういうタブーを平気で犯す。善意の過ぎた人間を、いつも私は避けて通るようにしている。私はあらゆる忠告というものを、ありがたいと思って聞いたことのない人間である。

どんなことがあっても、相手の心を傷つけてはならない、ということが、唯一のモラルであるような附合を私は愛するが、こんな人間が殿様になったら、家来の諌言をきかぬ暗君になるにちがいない。人を傷つけまいと思うのは、自分が(見かけによらず)傷つきやすいからでもあるが、世の中には、全然傷つかない人間もずいぶんいることを私は学んだ。そういう人間に好かれたら、それこそえらいことになる。

・・・・・・ここまできらいな人間を列挙してみると、それでは附合う人は一人もいなくなりそうに思われるが、世の中はよくしたもので、私の身辺だって、それほど淋しいとは云えない。荷風も、一時は無二の親友のように日記に書いている人間を、一年後には蛇蝎の如く描いているが、それはあながち、荷風の人間観の浅薄さの証拠ではなく、人間存在というものが、固定された一固体というよりも、お互いに一瞬一瞬触れ合って光り放つ、流動体に他ならぬからであろう。好きな人間も、きらいな人間も、時と共に流れてゆくのである。

とまれ、誰それがきらい、と公言することは、ずいぶん傲慢な振舞いである。男女関係ではふつうのことであり、宿命的なことであるのに、社会の一般の人間関係では、いろいろな利害がからまって、こうした好悪の念はひどく抑圧されているのがふつうである。

第一、それほど、あれもきらい、これもきらいと言いながら、言っている手前はどうなんだ、と訊かれれば、返事に窮してしまう。多分たしかなことは、人をきらうことが多ければ多いだけ、人からもきらわれていると考えてよい、ということである。私のような、いい人間をどうしてそんなにきらうのか、私にはさっぱりわからないが、それも人の心で仕方がない。ニューヨークの或る町に住むきらわれ者がいて、そいつは悪魔の如く忌み嫌われ、そいつがアパートから出てくると、近所の婆さん連がみんな道をよけて、十字を切って見送るという男の話をきいたことがあるが、きらわれ方もそこまで行けば痛快である。私も残る半生をかけて、きらわれ方の研究に専念することにしよう。


三島由紀夫 「わたしのきらいな人」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?