橋本治「90s」 商売の考え方

これは別に日本だけのことじゃないと思うんですけど、やっぱり「今までのまんまがいいかどうか」ってことを考える時に、「何をもって、“今まで”とするか」っていうことをちゃんと考えたほうがいいと思いますね。

世界は、産業革命がスタートした時に生まれた“商売”という考えから全然自由になってない。「食うか食われるか」の緊張は、別に武力によって作り出されるもんじゃなく、工場で製品と一緒に作られるようになっちゃってるんだということを、もう少し考えたほうがいいと思う。

19世紀の帝国主義は、武力をバックにしたとっても野暮くさい悪辣商法だったけど、それが20世紀後半になって、武力を使わない販売競争に変わった。その変わり方は、ピストルを突きつける紳士強盗みたいなセールスマンが、「ヘッヘッヘ、戦争はやめましょうや」という気持ち悪いセールスマンに変わった程度のもんで、“商売第一”の帝国主義は全然変わってなんかいないんだ。みんな平気でそのことを前提にして、それを勝手に“現実”だといってる。商売が取引で、その取引をフェアにしたいっていうんなら、少しは“ルールの改正”だって考えたほうがいいと思うよな。

たとえば、1990年に食糧輸入自由化のウルグアイ・ラウンドとかそんなもんが問題になって、「日本は米の自由化をやるべきだ」とかあった。「やっていいんだったらすりゃいいじゃん」とか、そんなことを私は無責任に思いますが、ところで、パリでそういう国際会議をやってるところに、韓国の農民の代表の一人が「食糧自由化に抗議する」で、自殺を図ったことをご存じですか?それを告げる小さな新聞記事を見て、私はハッとなりましたね。「そうだよ、どの国だって食料を自給する権利ってあるよな」って。「やっぱりまだ、帝国主義って生きてるんだな」とか。

“攻撃”が日本ばっかりじゃなく、“新興工業国”である韓国にまで向かうってことは、欧米列強のエゴイスティックな“自分達優位”が、まだ前提として生きてるってことなのかもしれないなっ、て。

今、アジアと欧米はどっかで不思議な逆転を演じてしまって、アジアは今や工業製品の輸出国、ヨーロッパ・アメリカは農業製品の輸出国になりかかってる。向こうは食糧が余ってるんですね。でもさ、ヨーロッパ・アメリカがいつも商売で「自由化を要求する!」ばっかりやっての、へんだよな。「そんな居丈高な商売があるもんか」って思うな。帝国主義の時代に、中国が「門戸開放!貿易の自由化要求!」でボロボロにされたんだしな。そこら辺を聞いて、昔の日本人は「虎狼のような欧米列強・・・・・・」って、怯えたんですからねー。

「売るもんないから」っていう理由だけで「農産物の自由化要求!」をやって、韓国の農民まで追いつめんなよなー、とは思いますね。バターやチーズが余って生産調整なんかやってるんだったら、少しはゲルマンの森に戻そうぐらいのこと、考えたっていいと思うんだ。

ヨーロッパって、その昔は森だらけだったんですよね。それを全部切り開いちゃった。「せっかく長い時間をかけて切り開いて来た農地を元に戻すなんてできない!」とか言ったって、日本の農民は減反政策で、「せっかくの農地を荒れ地に戻す」ってことをやったんだもんなー。勝手だよな。自分とこだけ森切って農地にして工場作って、その工場で世界を制覇して、それが斜陽になったら「農業で勝負だ!」って、そんなムチャクチャな論理がいつまで通ると思ってんだろ?不思議だね。

たとえば、熱帯雨林のジャングルですよね。あそこから膨大な量の酸素が発生して、それを切ったら地球が危ないとか言われてる。でも、膨大なる熱帯雨林を抱えている国は、それゆえに“産業”が起こせない・・・・・・だから貧乏だということだってある。「地球のためにそれを切るな」って言ったって、それはムチャデでしょう?“先進国”と呼ばれるところは、さっさと自分とこの木を切って、商売用の工場敷地に変えちゃったんだから。その前に、森を農地に変えちゃってるんだから。

自分たちのとこは酸素出す森切って、それで商売やりやすい前提を確保しといて、それで後進国に森を切るなって言ったって、そんなのよないよなー、としか言えない。「お前達は地球環境保護の人柱になって、ずーっと貧乏してろ」って言うのとおんなじなんだから。

帝国主義の時代は、「金のために自然を追放する」で、全部を平気で工場用あるいは従業員用の宅地にする“都市化”から始まった。そして、それをそのまんま世界の“前提”にしといたら、広大なる熱帯雨林を抱えている国は、貧乏に甘んじるか、自然を崩壊させるかのどっちかしか選ばない。こんなメチャクチャな残酷ってないと思うけどね。

広大な“未開”をそのまんまにしといたら、貿易赤字は平気でかさんで、莫大な債務を抱えるしかない。ブラジルなんかそうなっちゃってる。「さァ買え!じゃなかったら自分達のところも商品作れ!」という形で世界全体が出来上がっている以上、金儲けは悪じゃない、貧乏は敵だ」で、熱帯雨林は平気で消滅するでしょうね。その“保護”という責任を現地の国にだけ負わせて、後は平気で「さァ買え!さァ金払え!」じゃ、地球のレベルの地上げ屋とおんなじだよなー。

「“さァ買え”とは言っていない、“フェアな貿易をしよう”と言っているだけだ」なんて言ったって、そんなのはずるい。どう考えたって、広大なる熱帯雨林は“産業戦争”に不利だもの。地上げの発想は、実のところ、帝国主義の植民地侵略とおんなじなんだよなー。

膨大な累積債務を抱えたブラジルじゃ、不景気な年を追われた人間が、熱帯雨林の中で焼き畑農業をやってるっていうじゃないの。熱帯雨林で、一度焼くなり切るなりしちゃったから、もうそこの土壌はボロボロになって、もう一度“森”に戻すのにはとんでもない時間がかかるっていうのに、平気で“貧乏”は森を焼く。「貧しいから可哀相」は、もう通らない。「無知の暴力が森を切る」だってあるんだから。でもだからって、それをやめたら貧乏人は死ぬしかない。赤字はどんどん増えて不景気という名の戦禍はどんどん拡大して行くんだし。

俺なんか、「どうして酸素は商品にならないんだろう?」って思いますけどね。「熱帯雨林を膨大に抱えている国は、絶対に地球全体の酸素製造費用を徴収する権利を獲得するべきだ」って。それだけ熱帯雨林を持っていて、でもそれが“産業”の邪魔になって貧しさから脱却出来ないっていうんだったら、それを“商品”として認めればいい。それこそがフェアな取引だと思う。

観光地が観光客から金を取るとか、国立公園が入園料をとるとか、ネパールなんかじゃ「山に登りたい」という外国人からちゃんと登山料を取ってる。だとしたら、熱帯雨林を守ってる国は、“酸素量”を世界に対して要求したって全然いいと思う。一ヘクタール当たり一円でも十円でもいい、その熱帯雨林の広さに応じて生じる金額を、各国が分担して払えばいいと思う。人口に応じてとか、そこにGNP比率をかけて、車の生産台数に応じてとか、そういう分割計算をちゃんとして、あんまし膨大な金が入ったら、かえってそれで人間は働かなくなるっていうことだってあるんだから、酸素の値段をそんなに高くする必要ってないけど、ともかく「自分達はそういう立派な条件を持っているんだ」ってことを、熱帯雨林の国に与えてあげるべきだと思う。そういうことをフェアと言うんだし、それができなかったら、世界はいつまでも帝国主義の汚名を引っかぶってるままだ。

生態系の問題は、ともかくなんらかの形で維持しなくちゃいけないものではあるけれど、でも自然維持と人間の生活を折り合わせるのは、今の状態じゃ難しい。みんな産業革命以来の「産業第一主義」に冒されてるんだから。自分たちが勝手に工場作って勝手に商品を売り込んで、それで相手を貧乏にして、勝った金持ちが“慈善”だとか“援助”とかって形で忍び寄るのは、もうやめたほうがいいと思うね。そんなことされたら、される方は委縮のしっ放しだ。

生態系を守るための金と、そういう自然を前提条件として持っていることを“不利”にしないためにも、“酸素=商品”という発想をするべきだと思う。18世紀以来「金ばっかりの歴史」を続けて来ちゃった現在は、そういう解決方法を必要としてるんだと思う。どうせしないと思うけど、でも日本は、世界に対してそういう提案をすべきだと思う。「熱帯雨林を守るために、我々は“酸素料”を支払おう」って。金持ちの国だって言われて、「金出すしか能がない」って言われてるんだから、金持ちは金持ちなりに「私はちゃんと金を出すことの意味を提案したい」って、日本はちゃんと言ったらいいと思うね。

熱帯雨林が地球の空気をいっぱい作ってるということが明らかになってしまった段階で、もう国境という概念はある程度無意味になってしまったんだもの、そういう負担は全世界で共有しないきゃいけないことだと思う。

東のある国と西のある国が一つになった。この国はもともと一つの国だったのが、“商売に緘する考え方の相違”で二つになった。お互い「自分とこのやり方が正しい」と主張してたのが、気がつくと、一方は貧乏で一方は金持ちという差が生まれてしまっていた。貧乏な国の政府は「そんなことはない、わが国は貧乏じゃない」と主張し続けて来たけども、国境を越えて飛んで来たテレビの電波は「そんなこと嘘だ」としか言ってなかった。かくして二つの国は一つになって、貧乏と金持の格差はなくなったのか?

確かに、二つの国の格差は“一つの国”になったところで消えたけれども、今度は一つの国の中で“進んだ都会”と“遅れた田舎”の格差が生まれる。「地球は一つ」で「国境はいらない」という考えは、今のまんまじゃ“わけのわかんない質に関する差別”を生むだけだ。「なんだか分かんないけど激しく対立してる」という、湾岸戦争状態を全世界にばらまいたってしようがない。それを防ぐためには、どうしたって価値観の修正ってのが必要になるはずなんだけどね。

だから、せっかくの金持ちなら、「損をする」という発想をしなくちゃ。

ここ何年かの“日本の異常な状態”は、結局のところ「金の使い方が下手!」の一言につきてる訳ですね。貿易という帝国主義の戦争で買ったはいいけど、「その金を貯めこむだけでなんにもしない」と非難された。そんなの当たり前ですね。経済というのは“物”に象徴される“経済活動が流れて行く”という、その状態そのものを指すんだもの。経済は、流れなかったら不健康になる。

長い間、日本の好景気というものは銀座に代表される“水商売”を潤すことだったんですよ。せっかくの金が、そういうへんな湿地帯みたいなところにしか流れない。そういう流し方しかしない。おかげで、どれほどの日本の文化は不健康になったことか。OLが「水っぽい」といわれるようになったのも、みんなオヤジのせいですね。銀座は“水商売の頂点”に立って、「銀座なら一流」というステイタスが生まれて、そこの地価が高騰して、それが日本中に広がった。一体日本は、どういう“基準を作って世界中の地価を吊り上げてんでしょうね?銀座のホステスの喜びそうなもんばっかり高くなった。ブランドものとか、絵とか、リゾートとか、ゴルフの会員権とか・・・・・・。

今のいびつな価値観は、みんな「土一升、金一升」の銀座のクラブの密室の中から生まれたものだといっても、過言じゃないね。“銀座”と“オヤジ”の公然たる密通は“オヤジギャル”という究極の醜悪を生んでな。もういい加減にやめにしろよな。

だから歴史は、率先して“奇想天外な金の使い方”を発見するべきだと思う。新しい価値観はそういう風にしか生れないんだし。そういう新しい価値観を生み出さないと、世界は“帝国主義”によって滅ばされちゃう。日本は、さっさと“銀座のクラブ”なんていうつまんない価値観と手を切って・・・・・・どうせお前なんか足短いんだから、ゴルフウェア着たって似合わないんだし・・・・・・「熱帯雨林に金出そう運動」でも始めたほうがいいと思う。

アラブだって、“なんにもない砂漠の地”が“黒い黄金の湧く場所”に変わって、立派にアメリカと戦争が出来るようになったんだから、今度は熱帯雨林の国が“金の林”になったっていいと思うな。どうせ欧米列強以下の諸外国は反対するだろうけど、奇想天外は孤軍奮闘しか招かないんだから、それでいいんだ。

「真実とは、時間をかけて定着させていくものである」って、俺はちゃんと知ってるぞ。

橋本治 「90s」

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