夏目漱石「それから」 ただそれだけになった

平岡はとうとう自分と離れてしまった。逢うたんびに、遠くにいて応対する様な気がする。実を云うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を立てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。

代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いて貰うことを喜ぶ人であった。今でもそうかも知れない。が、些(ちっ)ともそんな顔をしないから、解らない。否、力(つと)めて、人の同情を斥けるように振舞っている。孤立しても世は渡ってみせるという我慢か、又はこれが現代社会に本来の面目だという悟りか、何方(どっち)かに帰着する。

平岡に接近していた時分の代助は、人の為に泣くことの好きな男であった。それが次第々々に泣けなくなった。泣かない方が現代的だからと云うのではなかった。事実はむしろこれを逆にして、泣かないから現代的だと云いたかった。泰西の文明の圧迫を受けて、その重荷の下に唸る、激烈な生存競争裏に立つ人で、真によく人のために泣き得るものに、代助は未だ曾て出遭わなかった。

代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催した。そうして向うにも自己同様の念が萌していると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、こう云う影を認めて驚いたことがあった。その時は非常に悲しかった。今はその悲しみも殆ど薄く剝がれてしまった。だから自分で黒い影を凝(じっ)と見詰めてみる。そうして、これが真(まこと)だと思う。己を得ないと思う。ただそれだけになった。


夏目漱石 「それから」

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