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社会人、日本代表を通してようやく確立できたキャプテン像

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東芝に入ってからは、最初は信頼を得られるまで少し苦労したものの、すぐに試合に出られるようになった。3年目からはバイスキャプテンになり、カリスマキャプテンの冨岡鉄平選手の横で色々と学んだ。
冨岡さんはキャプテンとしての最後の年に3連覇で有終の美を飾った。その後にキャプテンになった僕自身は大変悩んだ。自分よりラグビーが上手い人。年上の人。外国人選手。そして何よりも自分よりも素晴らしい元キャプテンが近くにいた。

これまで僕がキャプテンを努めた経験の中では、元キャプテンは引退して卒業していたが、この時の冨さんはまだまだ脂が乗っていたので、当然試合にも出る状況であった。そんな時に僕自身が考えていたこと言えば、「この時、元キャプテンなら何て言うのだろう??」とか「選手は冨さんのようなキャプテンを求めているに違いない」といったことで、気持ちの矢印が外に向かってしまっていた。

つまり自分の深堀りをしなかったので、自分らしさを見失ってしまった。選手としても僕自身が考えていることが伝わらなかったり、粋に感じて動いてくれる人が減ってしまった。僕自身もどうしてうまくいかないのか分からずに苦しんだ。結局、そのままシーズンが終了。当然良い結果は出なかった。そこで、一度はキャプテンを辞めようかと考えたが、もう一度考え直して、色々とヒアリングをすることにした。同期や全員に対してアンケートとインタビューをした。

その時に皆に言われたのは「リーダー不在だった」という言葉。その時に、皆に申し訳ないという思いが出てきた。僕が辛いと思っていたが、辛いと思っていたのは皆だったんだと悟った。そこで、もう一度頑張ることにした。自分自身の言葉を大事にしよう。思っていることを伝えよう。この流れができてチームずいぶんと良くなった。夏合宿では、さらに覚悟を決めるために、禁酒を決断。きっかけをくれたのは、前監督の薫田真広さん。今思えば有難い話であったと思う。

そこから東芝は快進撃を遂げた。しかし、シーズンも佳境を迎えたときに、色々と問題が起きた。部員の不祥事が重なったのだ。最初はなぜ自分がキャプテンの時にこういった問題が発生するのだろうと周りのせいにしていたが、次第にむしろどうして問題を起こした人をサポートできなかったのだろうなどを考えるようになった。でも起こってしまったことは仕方ない。ここから何ができるのだろうと思考を変換して、前を向くようにした。これまでラグビー部には大変お世話になってきた。このチームを守るためには勝つしかないと、試合の大義が明確になった。自分自身の腹から出てくる言葉として皆に伝えることができた。その瞬間にチームは一気にまとまった。

ほとんど練習もできないまま迎えた決勝戦で、見事に勝ち切ってラグビー部を守ることができた。リーダーは心から思っていることを伝えることが大事なのだと大きな学びになった。翌年は、また別の苦労もあった。前のシーズンの決勝戦がとてつもない精神状態で試合に挑んでいたので、その時と同じような気持ちをどう作れば良いのか悩んだ。リーグ戦の試合に負けた後に、ふと考えた。去年と同じものを求めていてはダメなんだと。また新たな気持ちで、今のベストを尽くすということで良いのだ。その積み重ねしかないと腹落ちした。そこからまた快進撃が始まり、見事に2連覇を勝ち取った。キャプテンとしての自分自身のスタイルが確立できたのではないかと思える出来事になった。

その後、キャプテン会議というトップリーグに所属している各チームのキャプテンが集まる団体の代表になった。これまでのやり方を踏襲してみると、上手く進んだ。東芝だからできたのではなく、汎用性があるのだと学ぶことができた。そろそろ引退かなと思っている時に、エディジョーンズさんから声がかかり、日本代表のキャプテンをやる事になった。エディさんから直接言われたわけではないが、チームのベースを作ることを期待されてキャプテンに指名してくれたようだ。新しい歴史を一緒に作っていこうと言われて腹が決まった。

日本代表のキャプテンになったときは、自分のすでにスタイルがあったので、リーダーシップをどう発揮するのかは難しくなかった。チームの皆と良い人間関係を作って、目的のために日々精進していく。その積み重ねによって木の年輪のように強いものになっていく。そう信じてやってきた。実際チームも順調に強くなっていった。素晴らしい選手・スタッフにも囲まれて、色々なことが起きたが、楽しい2年間であった。

負けることを認めてしまっている日本代表のマインドセットを変えるということは、本当に骨が折れる仕事だったと思う。エディさんは果敢に僕らにチャレンジをしてくれた。僕らもなんとかエディさんの想いに応えよう!として必死にしがみついた。僕らも従うだけでなく、自分たちのチームなんだから、自分たちで考えてやっていこうと毎日いろいろなものを積み重ねていった。日本代表で何をやったのかは、拙著にも詳しく書いてあるので見ていただきたい。

その後、チームを次のレベルに上げるためにキャプテンを交代する事になった。自分自身としては、居場所が急になくなって、どうしたら良いのか分からなくなった。それでも、なんとか食いしばって頑張って練習している日々であった。体にも支障をきたしたし、怪我もした。色々なことを仲間と考えた。目的を達成するためには、キャプテンじゃなくても良いはずだと考えられるようになった。それ以外にも、仲間からこれまでのチームへの貢献が素晴らしかった言われて、過度に自己否定することはなくなった。スポーツ心理学博士の荒木香織さんからは、辞めて良いよと言われて、辞めたくない自分がいることを知って、主体的に動けるようになった事、そして何よりも辛い時に頑張れば新しいものが見えてくるはずだと思った事、家族が味方になってくれた事。色々なものが合わさってなんとか頑張れるようになった。

試合には出れないことが多くなったので、悔しいこともあったが、逆に試合に出ないメンバーの気持ちや裏方のスタッフの想いを体感することができた。人としての幅は広がったと思う。ラグビー選手としてめちゃくちゃ成功はできなかったけど、人として成長することができた。弱い立場にいる人はどんな気持ちなんだろうと想像することができるようになったのはこの経験が大きいと考えている。ラグビーの方は相変わらず出番は減った。ワールドカップも試合には一度も出ることができなかった。それでも目的である憧れの存在になる、日本ラグビーの歴史を変える。そのためにやれることはたくさんあったし、自分にしかできない役割を与えてもらっていたので、やり切ることができたと思っている。幸い良い結果も出て、ワールドカップを終えることができた。帰国後は、たくさんのメディア、ファンに迎えられた。日本ラグビーが変わったことが手に取るようにわかった。

僕がやれることはやり切ったと確信をもてたので、引退することを確定させた。紆余曲折があったラグビー人生は、素晴らしいエンディングで終わらせることができた。











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