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苦しんだ高校ラグビー日本代表、そして慶應大学へ

(5歳から中学生までの話はこちら

次にキャプテンになったのは北野高校時代。
選ばれたのは僕が一番上手だったこともあるが、元々自主性を重んじる学校であったので、その風土とこれまで色々なことを自分で考えて動いてきた自分自身の生き方がマッチしていたことも大きいと思う。自分たちで練習メニューなども考えたり、練習終わって帰る時も 色々なことを会話することはとても楽しかった。同期が最終的には5人だったので、意思統一が図りやすかったこともある。チームは良い形で作れたのではないか。

北野全員

3年生の最後には高校日本代表のキャプテンにも選んでもらった。しかしこの時は全然うまくいかなかった。僕のスタイルは皆に色々なことを聞きながら進めていくタイプだったので、意見を聞きすぎたこともあるのかもしれない。もしくは皆としても僕のような進め方をしている人は稀だったから、よくわからなかったのかもしれない。
チームを作る期間も特殊であった。通常は1年間かけてチームを作るが、代表は短期間でチームを作らないといけない。状況 に応じてチームの作り方やリーダーシップを変えないといけないことを全くわかっていなかった。メンバーも北野高校の同期よりもはるかに個性的な人が集まっていて、はっきりしない僕に苛立つ人が多かった。孤立した状況の僕をサポートしようと思ってくれる仲間もいたが、なかなか直接のサポートは難しい状況であったと思う。結果的に、僕自身の力不足で皆に迷惑 をかける事態になってしまった。僕自身の体調も悪くなり、全身に蕁麻疹が出て、試合を休むことになった。

少し休憩ができると思っていたが、仲間が怪我をしたので、案外早く出場機会が訪れた。パフォーマンスは良くなかったが、なんとか勝てた試合になった。その後も強い相手との試合しか残っておらず、2連敗で遠征を終えた。最後のフランスU19との試合は同じ年代とは思えない強さで、世界のレベルの高さを思い知らされる結果となった。僕自身としては、あまり良い結果が出ないまま帰国 。失敗ばっかりであった。でも、今思えば、「チームをどう作っていけば良いのか?自分自身がやらないといけないことななんなのか?」 と考える、成長に繋がる失敗をさせてもらったと思っている。

チーム作りには失敗 したが、初めての国際試合でのキャプテン経験は貴重な時間となった。フランスでのスピーチでは、フランス語を冒頭に入れるととても喜んでもらえた。Bonjour!! でまずは気持ちを掴む 。相手に寄り添うことが良いことなんだと若い時に体感できたことはとても良かった。その他にも、1人の日本人として、ランチの時間が異様に長いフランス時間に驚いた。自分たちの当たり前が当たり前ではないことにも気づくことができた。帰国したのが3月の終わり。すぐに関東に向かった。慶應大学での生活が待っていた。

その頃僕は、高校生の時の失敗やこれまでのことを踏まえ、1年間で素晴らしいチームを作ることは難しいのではないかと考えるようになっていた。よって慶應では3年生の時から、自主的に学年ミーティングをするように提案した。 狙いは2つ。 1つ目は3年の時から4年生の視点やチーム全体のことを考えることによりチームの底上げを図ること。 2つ目は4年になったときの準備である。当時の4年生から最初は懐疑的な意見もあったが、新しい仕掛けのひとつとしては良かったと考えている。

4年生になってからは皆でどういったラグビーをしていきたいのか言語化していった。大枠の方向性を示すのも割とうまくいったように感じる。ただ、マネジメントが難しかった。120名を超える部員は大きく4つのチームに構成されるのだが、特にジュニアチームのリーダーの決め方と、決めた後の運営方法が良くなかったと考えている。

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ジュニアチームは、上位30人のシニアチームに下に属する人たちである。よって、彼らはシニアチームに入りたいというモチベーションが大きい。もしリーダーをひとりに設定したら、その人は1年間上がることができないことを意味するのではないかと考えた。だから4人でリーダーグループを担って、 運営していく方法をとることにのだが、4人がリーダーになったことで、結果的に皆の使命感が減ってしまったのではないかと思っている。その点、対話を繰り返していけば良かったのだが、僕自身もシニアチームをリードすることとチーム全体を見る事に注力してしまったので、うまくマネジメントできなかった。結局、4人のリーダーにとっても中途半端な思いをさせてしまったのではないかと思う。

一方、自分自身が所属していたシニアチームも皆よく頑張っていたが、なかなか結果には結びつかなかった。僕自身もチームのマネジメントと自分自身のパフォーマンスを上げることがうまくできずに、大きな怪我をしてしまうこともあった。シニアチームの成績も出ないままリーグ戦を終えて、全国大会1回戦で後に優勝する関東学院と対戦 。大差で負けた。キャプテンとしては、成果を残せないまま引退を迎えた。そのままラグビーを辞めようかと思っている中で、最後の試合のことを色々と考えた。特に関東学院の選手たちが醸し出している雰囲気 に圧倒されたことがずっと気になっていた。その時に感じたことが、まだまだラグビーを通じて「自分が見ていない世界がある 」ということ。ここで辞めたら後悔する。今しかできないことをやろう。 決断した瞬間だった。その後は、チームを最終的に色々と 悩んだが、これまでにない環境 やチーム作りをしているところでラグビーをしたいと思い、東芝にお世話になることにした。

最後は直感であった。ロジ ックではない。想いがあるところにお世話になる。大事な軸のひとつに今でもなっている。

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