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「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」 けど、おぼえてしまったから、僕も話します。


詩人のラディゲかリルケの本に、こう書いてある。

「夜中にひとりで考えてみて、それでも書きたいと思ったのなら、書いたらいい。別に書かなくてもいいやと思ったのなら、書かなくてもいい。どちらも尊い」

ネットで調べたら、原著はリルケの『若き詩人への手紙』で、僕はおそらくこれを大学時代に買って読んでいる。めちゃくちゃ薄い本なのに、1行1行の中身はとんでもなく濃くて、創造者への経典みたいだ。もう一回読みたいからあとで本屋に行くかも。

書かなくても別に死にはしない。でも、書かないと生きていけない、というひとが書く文章がホンモノだ、と僕は思っていた時代があった。

深夜にひとりで考えてみても、僕はそうではないので、別に書かなくてもいいという結論に達した。大学時代の話。

自然の美しさなんて言葉にはできないし、人との交わり、ほんとうにあったことも言葉で表現することは難しいし、実際にあったことのいろんな部分を削除して、切り刻んで、並べて、そうこうしているうちに朝になって僕は会社に行く。

会社では、要件だけを短く伝える文章を書く。ここで書いているテンションとはまったく違っていて、前頭葉の真ん前だけをつかう。違う世界の違う言語を扱っているみたいに。


言葉なんかおぼえるんじゃなかった。という詩人の言葉がときどき頭に浮かぶ。

好きなら手を触れてキスして抱き合えばいい。大人になってから「あなたのことが好きですセックスしてください」なんて口にだして言ったことはほとんどない。

ただ綺麗な景色を見て、それは夕陽でも地平線でも水平線でもよくて、机の上のマグカップでもよくて、見ながら僕らは触れあって、言葉なんか必要じゃなかった。


で終わると断筆宣言みたいだけど、今回の文章のきっかけは、東京文学フリーマーケットに行ったからです。浅生鴨さんの『異人と同人』を買いました。

僕がnoteを知るきっかけになったのが写真家の幡野広志さんのブログで、その幡野さんと、あと燃え殻さんと、田中泰延さんと、古賀史健さんと、ってこんなに著名人が書かれているのに同人誌ってどういうこと?? という思いで、初めて文学フリマに行きました。浅生鴨さんについてはごめんなさい、「他人を褒める」を拝見するまで知りませんでした。

そもそも日曜日は朝から仕事の予定でした。急遽、夕方出勤になったので、これは神様が文学フリマに行けと言っているんだと早とちりして東京モノレールに乗った。モノレールは久々。こんなに揺れたっけ?

(到着後、会場に向かうエスカレーターで、やたらと10代の女の子が多くて照れていたら、間違えてとなりの建物に入っていました)

会場の熱気と人口密度に圧倒されて(このなかに入っていくのは無理だわ)と半笑いですぐに引き返し、見本誌を閲覧できる部屋に行った。何冊か手にとって拝読しつつも、滞在時間は40分しかなかったので、意を決して会場にもどった。

もうね、くらくらしました。

出展ブースが1000席ぐらいあって、魂を込めた作品が並べられていて、それらの想いが宙を舞っていて、『異人と同人』の売場までやっとたどり着いたら綺麗な女性が二人いらして、アイコンのまんまの浅生鴨さんで、リアル幡野さんが笑っていて、もうね、二千円出す手が震えました。サインもらえばよかった。



最初に幡野さんの『すこしは写真の話を』を読みました。カメラの技術的な話と、そもそもの写真の話と、後悔の話。幡野さんの文章を僕が信用するのは、言葉の重心が低いからです。僕も好きをたくさん見つけます。

スイスイさんの『ずっと目の前にいる』は、ひとつひとつの言葉をご自身の言葉で書かれていて、借り物じゃないので、すっと最後まで読めました。心の底から出る物語は大好きです。小説は相性なので、二作目もとても楽しみにしています。

浅生鴨さんの『わかるはわける』。この文章は、僕はほんとうはわからないけれど、わかるような気がしました。僕は誰ともほんとうにはわかりあえないけれど、5%や10%はわかりあえるんじゃないかという希望をもって、希望があるからこそ、言葉にしている気がします。

『異人と同人』、ありがとうございました。まだ半分ぐらいしか読んでいないので、ゆっくり読ませていただきます。文学フリマに行けてよかった。こうしてまた何かを書くきっかけになったし、また物語みたいなものを書けたらいいなと思いました。諦めの絶望からは、なにも生まれないので。


追伸

Aso Kamoさんとゴトウ マサフミさんの漫画も思わずニヤニヤしてしまって、好みです。漫画で一冊でも購入したかもしれません。


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