#30 ケースのなんたる
僕が使用する”モジュラーシンセ”とは、機能が違ったモジュール、例えばオシレーターやフィルター、エンベロープ、アンプなどを自分で組み合わせて結線し、楽器として演奏するものです。ですから自分がイメージする音を出そうとすると、それなりにたくさんのモジュールが必要になってきます。メーカーによって音や機能が違いますから、プレイヤーは自分のセットを「もっと良くしたい」と思ってあらゆるモジュールを試していきます。手に入れては違うとなって売りに出し、ようやく気に入ったと思ってもその頃には自分の音楽性、哲学が変わっていたりして手放し、みたいな、いわゆる「旅」をするわけです。自分のセットをコンプリートさせる旅です。
そして、モジュラーシンセを演奏するために大変重要で必要不可欠なものがあります。そう、多くのモジュールをスロットさせる”ケース”が必要です。その単なる”ケース”にも旅はあって、つい最近、僕はその旅を終わらせることができた、そんな話をしてみようと思います。
僕は最近、ケースの旅を終えました。お疲れ様でした。ここまで五年の歳月を費やしてきました。こちらが遂に旅を終えた最終形となる私のモジュラーシンセケースです。
美しくないですか。ちょうどいいサイズと木目の美しさ! 同じケースを二つ連結させることで、この姿になります。値段もそこまで高くないし、電源は安定してるし、なんでもっと早くここに辿り着かなかったんだと自分の鈍臭さにため息が出ます。
とここまで書いて、「いやいやケースなんかどれも一緒やろ」と冷たい目で文字を追っている方も多いと思います。いや、ほとんど全員がそうだと思います。分かります。その気持ち。僕も最初はそうでした。ケースなんてなんでもいいやろと。そんなのにこだわらないと音楽ができないのかと。いやしかし、されどケースなのです!
これは五年前に揃えた僕のファーストセットです。主にアンビエント がしたいと相談して、島村楽器の阪口さん(シンセの「シ」から教えてもらいました)に見繕ってもらったのでした。これぐらいの数であれば、ケースも小さいもので充分です。木製でかわいいでしょ。インテリアとしても最適で、当時僕はあまりにもこれで演奏ができなくて(実力の問題)、こうして部屋の隅に飾ってこれを見ながらご飯を食べたものでした。そう、モジュラーシンセ はインテリアとしても優秀なのです。
こちらが僕のセカンドケース。モジュラーが増えていって、Vivicat Greenのケースが小さくなったのでした。このプラスティックでできたMantisのケースは大きさがちょうど良く、電源も安定していて、価格も高くないので人気です。前のVivicat Greenは基本的に電源がなくて、別でモジュールの電源を入れないといけませんでした。
とここまで書いて、「ケースの旅」の理由が少しお分かりいただけたのではないでしょうか? 僕がこの時点でケースを買い換えた理由は二つあります。
モジュールが増えてケースが小さくなってしまった。
電源の付いたものが欲しくなった。
〜NATTOKU〜
この時点で”モジュラーの旅”というものに納得してくださった方は相当いらっしゃるのではないでしょうか。「あぁ、だから入れ替えるのか」「だから旅をするのか」と。
ありがとうございます。そう思ってくださったなら救われる思いです。しかし恐らくまだ半数以上は目を細めて文字を追っている気がしますので、もう少し筆を進めてみようと思います。
これが僕の三代目のケースです。猫がそんなものどうでもいいとあくびをしています。
僕のモジュラーシンセ 人生の中で、これが最も大きいケースになります。
これは大きい。大きくて、重くて、安定していて、蓋が閉まって、そして値段が高い。安心感はすごくて、どうせなら一番ええやつをと思って買い換えたのでした。
ここでケースの旅の理由がまた二つ。
将来的にモジュールが増えていく雰囲気なので、ケースが小さくなる前に大きくしておく必要があった。
大切な楽器なので、壊れないものが欲しくなった。
〜AH NATTOKU〜
そしてここで注目していただきたい部分があります。それは、ケースに散見される”隙間”です。モジュールがはまっていない隙間がたくさんあるのを見ていただけると思います。人間は「穴があったら入りたい」と思うように、隙間を見ると埋めたくなる生き物です。「まだ入る」「もっとやれる」と意気込んで、モジュールは増えていくのです。隙間が埋まった時の幸福感は何モノにも変えがたい。「隙間を埋められるならもうシンセなんてやめてもいい」とさえ思うのです。
隙間というのは身近にたくさんあります。時間の隙間、心の隙間、あなたの中にも、隙間は存在します。そしてそれを埋めようと仕事をし、歌をうたい、恋愛をし、旅をするのです。隙間を埋めることそのものが人生だとさえ言えるのではないでしょうか。
例えばこの猫ケース。三段あるうちの一番下に隙間があります。あなたはこれを見て埋めたいと思うはずです。もう一匹猫をはめたい。できれば違う種類の、違う色の猫をはめてみたい。つまり、猫は二匹飼うと三匹目が欲しくなるということです。いや、それは少し思考が飛躍してしまいました。それは僕個人の話でした。
さて、ここからがまさに人生のお話です。隙間を埋め、充足感を味わい、満たされた結果、人はこう考えます。
「この全てのモジュールが本当に必要だろうか」
最も大きなケースまで辿り着いたところで旅を終えてもよさそうなところですが、腰を落ち着ける間も無く、執拗に旅は続くのです。人生はそんなに甘く単純ではない。上へ上へ登ることだけが人生ではない。
はい、いきましょう。こちらが僕の四代目のケースです。
猫の呆れ方がすごいです。全然関係ないけど、この頃はよく膝に乗ってくれたなぁ(遠い目…)。はい。四代目のケースに買い替えた理由はこちらです。
サイズが大きすぎた。
持ち運ぶには重すぎた。
蓋を開け閉めするのが構造的に一人では難しく、不便だった。
〜SUGOKU NATTOKU〜
一番大きくて一番ええやつだと思っていたケースにもデメリットはあって、それが人によっては音楽を作る障壁になるのだということです。外に持って出ることも多いですから、機動性というのはとても重要。あんな鉄の塊を持って歩くことは不可能でしたから。
そしてBehringerのケースはいわゆる”ちょ〜どええ”サイズでした。Mantisよりも大きくて、MDLRよりは小さい。しかも軽い。最高じゃないですか。あぁ最高。最高ですか? 本当にあなたはそれで、最高ですか? と、天からの声がしてくるまでに時間はかかりませんでした。そしてここで、衝撃的なことが起こります。
ん? ま、まさか…。五代目のケースをよく見てみましょう。
こ、これは…Mantis。つまり、かつて所有した二代目のケースと同じではないですか!
そう、こういったことが、旅では起こります。かつて捨てたあの街、あの女が忘れられない、そんな未練たらしい男の性よ!
しかし本当に戻ってきたのです。なぜ戻ってきたのか、その理由はこちらです。
蓋がなかった(つまり持ち運びに適さなかった)。
肩にかけられるギグバッグはやっぱり素晴らしかったんだと反省した(こちらも持ち運びの面ですね)。
ねじ止めの部分が不安定でネジを止めにくかった(構造上の問題です)。
〜HIJOHNI NATTOKU〜
そう、つまりはかつて所有したMantisの素晴らしさに気がついてしまったのです。Mantisは蓋も閉まるし、そのケースを肩にかけて運ぶためのギグバッグもある。大きさもちょうどいい。はみ出てしまうモジュールは別の小さいケースにはめればいいと考えました。
ケースはプラスティックなので軽いし、これなら肩に担いで遠征もできる! 最高じゃないですか。ええ、最高ですね。そうか、最高ですか。最高ですか? 本当に最高だと心から思っていますか? それでいいんですか? という地獄からの声が聞こえるまでにそう時間はかかりませんでした。
僕をモジュラーシンセ地獄に引き入れた阪口さんがいる島村楽器に行った時のこと。店頭に一つ、ケースが陳列されていました。そしてその出会いは僕を救ってくれました。これまで思い悩んでいた全てを解決してくれました。そう、僕は六代目でついに、旅を終えたのでした。
お疲れ様でした。ある程度の大きさ、軽さ、機動性、堅牢性、美しさ、その全てを兼ね備えたケースです。もうここから、この街から、この女から離れることはないでしょう。やっと出会えたケースです。多くの挫折、別れを経験し、やっと出会えたパートナーです。もう引っ越しをする必要もありません。もう旅をする必要などないのです。安住の地はここにある。最高です。ほんと、最高です。最高ですねみなさん。最高ですかみなさん。本当に最高ですか。こんなエッセイでいいですか。最高ですか? どうですか? 大丈夫ですか? こんなエッセイを好んで読むみなさんは最高ですが、気は確かですか? しっかりしてください。
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広沢タダシによる週刊エッセイです。ゆるっと深く、丸い手で引っ掻きます。コメント欄はありませんが、Twitterなどでコメントくださいね。 …
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