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三国志に専念するため会社辞めます!

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

三国志に専念するため会社辞めます!
(勤続15年、最終出社日は今月末)

昨日の職場にて。 上司「このたび佐藤さんが三国志を研究するためにご退職されます」 オンライン会議なので自分を客観視でき、その場で、「こうやって聞くと、ふざけているみたいですね」って自分で言っちゃいました。

これまでの経緯を年表形式であらわします。
2006年4月、大学を卒業し社会人になる
2020年秋、会社を休職、三国志の研究を学び始める
2021年4月、科目等履修生(早稲田)
2022年4月、修士課程に入学
2023年4月、週4勤務で会社に復職(兼業で修士課程2年生として修士論文を書く)
2024年4月、博士後期課程に入学
2024年6月、復職後1年3ヶ月で職場を去る

あえて矛盾したことを言いますが、三国志を【独学】する方法や手段を現代日本にシェアするために、ぼくは早稲田大学の大学院で、博士後期課程の学生として渡邉義浩先生に師事して学んでます。

大学院に入学して専門家と応酬し、論文を書いて成果を出して学位を取得するには、それなりに時間・お金がかかります。ある種の適性・能力も必要でしょう。現代日本で、エンタメなどを入口として三国志に興味を持ち、「もうちょっと詳しく調べたい・知りたい」と思った人がいたとき、全員が大学院に入学するべきだとは思えません(恐ろしくてそんなに無責任なことは言えない)。しかし、ちまたの三国志の解説本やサイトでは得られない知見(養分)が、わずか丘を一つ越えたところにあるはずです。この隔絶した状況が惜しい(とぼくは感じる)。
そこで自分が一度、アラフォーながら大学院生になって、ちょっと丘の向こうを覗いてみて、それをインターネットや同人誌を媒介し、現代日本に細々と持ち帰ってきても罰が当たらないのではないか。商業的に成功し続けるべき事業(出版社など)が拾いきれない役割を、個人単位ならばできるのではないか。これは、暴露とか垂れ流しではなくて、ちゃんと味付けやアレンジ、発信の仕方を工夫しないと、伝わるものも伝わらないし、元来の価値を毀損しかねないので、そこはちゃんと考えたいと思っています。

まだ大学院と接点がゼロだったときに作った同人誌『三国志独学ガイド』を書いたときから(2017年)、ぼくの基本的なポリシーは変わっていない。【独学】推しです。
正史『晋書』完訳プロジェクトで、自分が翻訳を作るときの設定・構図も同じです。大学院で、知識や技量の不足を痛感し続け、恥?と失望?にさらされながら歴史書を読む訓練を受けています。ときおり丘の向こうから帰ってきて、ネットを通じて社会の「こちら側」に歴史書の翻訳を供給できれば、いちおう「やりたいこと」に繋がっているのではないか。

大きな言葉を使えば「社会貢献」となり、無限遠方の第三者に説明するにはこの言葉を使うのが適切かも知れませんが、ぼくの場合は受取手や関与者にそれほどの大人数を想定しているわけじゃなく、もの好き同士のあいだで情報や学びの楽しさが循環すれば最高ではないか、という肌感覚です。

ぼくの先生は、もちろん立場や学問との関わりがぼくとは違いますけど、この「生き方」の部分は”積極的黙認”に近い立場だと思います(かってな解釈なので違ったらすみません、怒られます)。
この研究室での三国志の地位の高さ(研究の題材としての重要性、共通言語として三国志が流通している状態)と相まって、学んでいて楽しいです。【独学】の題材やノウハウを提供することをゴールに見据えながら、三国志の勉強を続けることは、あまり心理的な葛藤を抱えずにやらせてもらえそうです。

こうやって書くと大学院に誘っているみたいになり、事実としてぼくはいい環境だと思っているのでポジティブな書き方になりますけど、全員が同じ道にきたほうがよいとは思いません。
3年に1人ぐらい、気まぐれで同じ道に迷いこむ同志?社会人を経由した大学院生がいたら、もっと楽しいなと思わないことはありませんが。

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