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カレーから入り、フレンチ経由、カレーに帰る?はず:阿佐ヶ谷 SPOON+

  始まりは、西荻窪で開業したカレー屋だった。当時は開店当初で空いてたので、カレー好きの私としては、吸い寄せられるように、入っていった。今、休日は列をなし、カレーのいい匂いが空腹の人々を悩殺している。回りのマンションは、いい迷惑かもしれない。
 そのカレー屋が、今度は新たにフレンチのお店を出したという。つまみとワイン、そして何よりも締めにカレーが出てくるという。ネットで見てはいたが、行く機会を逸していた。

 早紀と、久しぶりに会うことになった時、阿佐ヶ谷のこの店にしようと思った。会うのは、1年ぶりだろうか。コロナ禍の中で、こっそり会うほど近くも、若くもない二人は、きっちりと自粛生活を過ごしていた。テレビ電話では何度か、お互いの近況を話していたのだが。
 久しぶりのドキドキ感を持てあましながら、阿佐ヶ谷の駅で人込みの中に早紀を探した。

 芯の強そうな女。賢くて常識的なのだが、ツンデレで、猫のように、会うたびに気分が違っていた。私が東海地方に出向している時は、まだ、地元の新聞社に勤めていた。出向先でお世話になった先輩の飲み会で何度か会い、自然と、時折り飲みに行く間柄になった。

 出向が終わり、東京に帰る引っ越しの朝だった。前の日に、送別会だと言って二人で深夜まで飲んだ。早紀は自分の家に帰宅したが、なぜか、朝の9時に私の家にいた。
 引っ越し屋は単身赴任の解消かと思ったのだろう。早紀を妻と勘違いして、「奥さんはこちらをお願いします」などと言っていた。早紀は特に否定するわけでもなく、さらりと「分かりました」と答えるのを見て、私はちょっと照れた。わざわざ、否定することもなく、私たちは、あわただしく引っ越しの作業を続けた。

 あれから、1年半が過ぎようとしている今、再会した二人。ようやくと言っていいかもしれない。いつもなら、立ち消えになっていく女性の一人だったはずだが。
 ”あの時、どうして一緒に朝までいなかったんだろう”、ソムリエに注がれるラングドックの赤を見つめながら私は、一歩踏み出せなかった自分の事を思っていた。早紀は、何もなかったように白レバーのパテをパンに塗り、その上からオレンジソースを掛けている。

 近況と思い出話、たわいもない会話が続く。ツマミも進んで、そろそろ締めにしようかと、メニューを見ると、当然だがカレーがあった。ただただ、感謝!

 豚バラとビールのカレーが来た。一口食べた早紀は、もう一度、「美味しいぃぃぃ」としみじみと言った
「そんなに延ばさなくても、分かるよ」
 俳優が、クライマックスのセリフを言う前のように、ワインを飲むと一呼吸置いてから、早紀はこう言った。
「あの街でもそうだったけど、あなたはいつも美味しいお店に連れて行ってくれた。あなたのマンションでも、美味しい料理をご馳走してくれた」

「また、食べに来ればいい」

 その時、ふと、この店のマスターは、きっともう一度、カレーに帰り着くような気がした。フレンチとカレー、どちらも回り道、寄り道ではなく、意味のある道のりとしてたどってきたような味がしたからだ。どんな味かと言われると答えられないが。

 早紀にとって、私はカレーなのだろうか、フレンチなのだろうか。きっと両方なのだろう、そんな、どうでもいいことが頭をよぎった。
 

 今は、ただ、この日が2人のゴールになることを祈ろう。

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