離婚せず30年間一緒に仕事ができたわけ『離婚回避のトリセツ』番外編
ひろ健作です。
きょうは、これまで語らなかった結婚生活の裏側、とくに男性側の私から見た『離婚せずに済んだ真相』を書いてみたい。
『離婚回避のトリセツ』番外編
1 最後のとりで
ときに激しいケンカとも見える議論を戦わせる私は、何年かに一度、修復不能ともいえるほど追い詰めてしまうことがある。頭では悪いことだと理解はしていても、どうしても許せないひと言と思えてしまい、怒りが収まらないのだ。
もうどうなってもいいと思えたあの日
それは20年ほど前のことだ。私は人生を賭けて取り組んでいた事業があった。その会社の理念に惚れ、出資をし、事業も軌道に乗りかけていたとき、突如№2の副社長が辞めてしまった。
社長と副社長両方の秘書をしていたU氏は動揺を隠せず、私の目をじっと見ながら、くやしさをかみしめていたのがわかった。私も最初のうちは堪えていないように思っていたが、ずっと信じていた人からいきなり裏切られた感がして呆然自失となった。
そんななか、爆弾が落ちた。
ひと通り仕事を終え、まだ幼い娘のいる家路へと急いでいた。あまり長く外へ出かけていると、子育てに翻弄されている妻の負担になるからだ。
玄関の扉を閉めるなり、娘を抱きかかえていた妻は言った。
「んもう、どこに行ってたの? 遅いじゃない。あなたはいいわよね、日中子どもの面倒を見なくていいんだから……」
ことばだけ観ると、なにげないほのぼのとした会話だ。だが私にはどうしても許せないひと言があった。
<あなたはいいわよね、子どもの面倒見なくていいんだから>
この、うらやむようなことばに引っかかった。家にいるときは家事を手伝い、妻が疲れたときは交代して泣く娘をあやした。外に出かけているときだって遊んでいるわけじゃない。自分として精一杯やっているじゃないか。それなのになんて言い草だ。
はらわたが煮えくりかえった。ただいま、といつもの声で入った玄関。そこで妻のひと言でさっと笑顔の消えたのを妻も気づいた。
「あっ。ちょっと~」
玄関に入った直後、きびすを返し、私は外へと出て行った。
もう知るもんか。どうなったっていい。怒りに震えた。その勢いのまま知り合いの店に入った。矢継ぎ早にジョッキでビールを飲む。けど酔いが回らない。チクショウ。俺の気持ちなんてこれっぽっちもわかっていないくせに。
店のスタッフと話しているときは気が紛れた。事業でうまくいかなくなり、人生の指針を見失い、行き詰まっていた私は、妻のひと言がなにげないひと言ではあることは「頭では」わかっていた。
だがどうしても心が許せなかった。からだが反応するように嫌だと言った。もう家には帰るまい。以来毎日家へは帰らず、荷物だけ取りに行く生活がはじまった。
「ねぇ、ちょっとぉ。返事してよ。そんな怒らないでいいじゃない」
最初のうちはジョークを言ってきたりして、いつものご機嫌な私に戻るよう彼女も努力した。しかしそのうちに絶対に許さないという私の決心の固さを知った妻は、事の重大さに気づいていった。
「ごめん。謝るから。機嫌直してよ」
メールが届いた。けど返信はしない。いまごろ遅いよ。そう思った。すると今度は私を探し出して手紙を手渡した。「悪かった。許してよ」
そんなんで許すもんか。もうどうなったっていい。
毎日毎日飲み歩き、二週間が経ったときのことだ。
いつもより少し長く家に留まった。そのときだった。
「私も悪かった。ごめんね。許してもらえるかはわからないけど、私もいかんやった」
そう言われたときのことだ。ぜったいに許すまいと固く決意していた自分の心が、少しゆるんだ。
「あ、冷蔵庫変えたんだ」
「うん、そう。15年くらい使ってたからね。ある日水浸しになっててね。電器屋さんのAさんに来てもらって替えた」
「そう」
その二言だけ話してまた家を出た。妻のれいこからしたら、二週間口をきいてくれなかった私が、初めて言葉をかけてくれた。そのとき、確実に歩み寄る感じがしたという。
じつは私もそのとき、どうしてそこまで頑なに怒っているんだろう。自分も大人げないなと少しだけだが思えたのを覚えている。
その日以来、雪解け水のように少しずつ傷は修復して行った。
(このときのエピソードは『大好きなあの人にずっと愛される本』P200「離婚を考えたあの日」にくわしく書いています。)
つづく
2 狂想曲
3 もう一人の自分
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