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あの日のぼくは学校に慣れるのに必死だった。ようやくなじんだと思えた小1の秋、事件は起きた【エッセイ】

いじめ事件はなぜなくならないのか



〇〇小学校いじめ事件
〇〇教育委員会いじめ隠ぺい

いじめ事件で被害を受けた児童が帰らぬ姿となって親のもとに帰って来たとき、親は悲嘆にくれ、誰も助けてくれなかったことへの拭いきれない怒りを持つ。

なぜ、娘が同級生の陰湿ないじめを受け続け、助けてと訴えても誰も助けてくれなかったのか。担任に言っても同級生を注意・指導しただけで、その後いっそういじめがエスカレートして行き、不登校になった。

さらにはネットに書き込みをされ、娘は部屋から出られなくなった。そうしてあるとき……

学校も同級生の親も謝らなかった

親は市教育委員会に訴え、市は数か月のちにようやくいじめがあったことを認めた。しかし学校も同級生の親も謝罪の形だけは取ったが、正式に謝られてはいまでもない。

いじめ防止。ことばだけがひとり歩きしている。いじめをした加害児童や担任もさることながら、周りの生徒たちも誰一人として助けてはくれなかった。いじめが目の前で起きているというのに。何度も学校側に訴えたというのに。誰も親身になって耳を傾け、対応してくれなかった。だから娘は帰らぬ人となってしまった……。

いじめがいつまでもなくならない理由

私自身パワハラに遭い、話は聴いてもらえても誰も上司を指導せず、パワハラを助長するだけで助けてはくれなかった経験がある。だからいじめの当事者になった人たちが苦痛を訴えている姿が目に浮かんでくる。

一方でエスカレートするいじめはブレーキが利かず、止めてもまた起きてしまうのはなぜだろうか。きょうは一緒に考えてみたい。

1 先生に余裕がない

学校の先生は教えるのが仕事。生徒を教育し、指導するのは基本。しかしいまの学校はデリケートな親やモンスターペアレントなどもいて、心身ともに疲弊している。そのため生徒の悩みに付き合える時間や心の余裕がない。

2 いじめの質が陰湿、巧妙化

昔と違っていじめの質が陰湿・巧妙化している。昔は仲間外れくらいのかわいいものだったが、いまではSNSが普及し、裏アカウントで悪口を書かれる。ことばで言われるのと違って、公の場で書き込まれると、ネットでの批判や攻撃のターゲットになり、ダメージがとてつもなく大きくなる。

3 被害者が加害者に変わる

あるときまでは被害者だった生徒が被害から逃れるために加害者側に回ることがある。被害者意識が強くなってくると攻撃的になり、自分の身を守るため暴力を振るう。ときに大きな事件になってしまうのがこのパターンだ。

4 いじめを防止する有効な手立てがない

いじめが起きたとき、担任は双方の生徒を呼んで、いじめた事実があれば、加害児童を指導する。しかしこれだと加害児童は密告されたと感じ、被害児童を別の児童を使うなどしていじめを継続する。当該児童は手を下してはおらず、匿名で投稿するなどしてあらゆる手を使う。

5 番人のような人がいない

学校には先生の集まりや学校側の責任者はいても、子どもたちを守る守り神みたいな人がいない。いじめの芽が出て来たときに番人のように見守ってくれる人がいれば、いじめが起きたときブレーキがかかる。大きな心で包み込み指導する、できれば心身が強く包容力のある大人がいてくれるとよい。

6 無関心・無責任

問題が起きても、さわらぬ神にたたりなしの気持ちで問題を避ける。いじめが現場で起きていても、そ知らぬフリをし、スルーする。自分にいつ火の粉がかかって来るかわからないし、できれば問題に関わりたくないからだ。

これは心情としてよくあること。担任もふりかかった問題はスルーできない。しかしぜんぶがぜんぶ関わっていると、時間はなくなり、ほかの生徒への対応ができなくなる。担任も問題解決のプロではないため、いかんせん素人判断になり、問題が沈静化すると後は次の仕事へと行ってしまう。

教頭や校長もできれば学校の不祥事は表ざたにはしたくない。学校内で片づけられれば、責任を問われることはない。自分の身を守るためにも、あまり事を荒立てたくはない。それは心情としてわからなくもない。

また周りも余計なトラブルに関わると、自分にも火の粉がかかるため、避けようとする。実際街中でのトラブルで正義感の強い人が注意して、暴力の矛先がこちらへ向いてしまい、被害者は助かり、助っ人が命を落としてしまうという悲しいできごとも起きている。

7 学校だけの問題にしている

じつは、意外と盲点になっているのがこの点だ。いじめはどこにでもあり、いつでも起きる。しかしその問題を学校側の対応のせいにしがちだ。被害を受けた親も誰かのせいにしたい。となると学校側の対応が悪い⇒いじめ防止コール が毎回くり返されるだけである。

∞>市>市教委>学校(校長・教頭)>スクールカウンセラー・指導員>生徒<親<仕事のストレス<世の中への諦め<社会構造

じつは、子どものいじめは背景にさまざまな要因がある。親からの圧力を受けていてそのはけ口がいじめとなっている。義務感で通う学校へのストレスがいじめへと発展する。親が仕事でストレスを抱え、その圧が子どもへと向かっている。社会での孤立感・無力感が力を奪い、親たちの余裕もなくまた社会も学校側の問題だけで片づけている。

転校をくり返したぼくが、受けた差別

振り返ってみると、学生時代のぼくは、定期的に差別を受けていたようだ。まだ昭和で体罰も許されていたころ、小1で転校生として編入したぼくは担任の体育の女教師にあだ名をつけられた。

「あなたはアホだからアホだ」
友だちにも
「あなたはいっつもビリだからビリ男」
「そしてあなたは……」

3人のどうしようもない男子として扱われ、間違いをすると、黒の油性ペンで大きくほっぺに「×」罰点を入れられた。休み時間ともなると、なんとかその「×」点を取るべく、手洗い場に行って、せっけんでごしごしと顔を洗った。休み時間ぜんぶを使ってなんとかようやく取れた。

割れた花びん

ある日のことだ。ようやく学校にも慣れた小1の秋、給食後のお昼休み。机をすべて後ろに下げ、みな元気に飛び跳ねていた。当時はまだ床が木でできていたから、飛び跳ねる振動は次第に大きくなっていた。

ガシャーン

教壇の上に置かれていた大きな色鮮やかな花びん。それがズレて床に落ち、割れたのだ。落とし物入れにどんな落とし物があるかなと覗いていたぼくは、一番近くにはいたものの、まだそう溶け込んではいないせいもあって、皆と一緒に飛び跳ねずにひとり手遊びをしていた。

「あーーー割れたー。どうする?」
「せんせいに言わなきゃ」

生徒代表の学級委員が報告に行った。しばらくすると、「せんせいが呼んでるよ」とぼくに声をかけた。

「うん、わかった」
なんだか胸騒ぎをしつつ、ひとり職員室へ向かった。するとまるで男のせんせいみたいな怖い女のせんせいがイスに座り、横を向いて話しかけてきた。

「ひろくんが割ったんだって?」
「ち、違いますっ! ぼくじゃないっ! せんせ違います。ぼくはただ落とし物入れを覗いていただけで、飛び跳ねてなんかないです。みんなが飛び跳ねていたから揺れて花びんが落ちたんです」

「そう、じゃあもう一度聞いてみるね」

そういってFせんせいは別の生徒を呼んだ。ふたりの生徒も同じことを言った。
「ひろくんです。ひろくんが一番近くにいて、花びんを落としたんだと思います」
「せんせ、違います!!!」

「わかった。ご両親にも相談して返事をもらってちょうだい」
<この花びんは小学校6年生の卒業記念に先生にと、みんなで作ってもらった記念の花びんです。ですからとても思い入れの強いものです。もしよかったら、別の花びんを親ごさんのほうで用意してもらえると助かります>

連絡帳に書かれた内容を母に渡した。

「まぁ、そういうことだったの」
「ちがうよ、ぼく割ってない。」

「わかったわ。まあ先生も困るだろうから、別の花びんを用意するから持って行ってらっしゃい」

後日、子どもにはちょっと抱えきれないほど大きな花びんを胸に抱え、ぼくは学校へ持って行かされた。

「せんせい。はい」
「あら持ってきてくれたのね、わかった。また教壇に置いておくから」

教壇にはま新しい花びんが置かれた。その花びんを見るたびに悔しい想いでいっぱいになった。

<僕じゃないのに……、ぼくじゃ。どんなに訴えても誰も助けてはくれないんだ。お母さんでさえも……>

心に大きな傷を抱え、ぼくは転校をくり返した。その際編入するときは、いつも嫌がらせを受けたり、のけ者扱いをされた。天然でちょっと浮いている変わり者。それがぼくのレッテルだった。

犯罪者扱いされたあの日以来、花びん事件はぼくのトラウマになった。



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