求め合う関係が壊れ、再び近づくとき
恋愛と結婚、夫婦関係カウンセラー ひろ健作です。
いま、ウクライナが大変な問題となっています。
ロシアが武力行使し、言うことを聴かなければ侵攻を止めない。
一方のウクライナは徹底抗戦。最後の最後まで国を見捨てないとばかり一般市民も交え、戦いに挑んでいます。
負けを認めないウクライナにいら立ち、次々と兵器による脅しをするロシア。一方圧倒的に劣る戦力であっても気力では負けないウクライナ。
戦いは続き、ウクライナ市民が犠牲になっています。この戦いの落としどころはなくなってしまったのでしょうか。
ウクライナのゼレンスキー大統領が言うように、西側諸国が一致団結して戦いに協力しなければ後がないのでしょうか。
皆さんはどう考えますか。
私は、ラブラブだった夫婦が泥沼になり、裁判になった状態から和解して行く道すじを手伝った経験から、まだ和解(停戦合意)する余地はあると思っています。
というのもプーチンが全面的に悪いには違いないけれど、1部の理はプーチンにもあると言えるからです。
プーチンがキレているのには、さまざまな説がささやかれていますが、私は積年の想いが怒りとなって爆発したものと観ています。
それには、ゼレンスキーの発言や巧みなメディア戦略がプーチンの堪忍袋の緒に障った感が見て取れるからです。
1990年のゴルバチョフによるペレストロイカ以来、NATOは約束を破り、次々と東ヨーロッパ諸国を加盟させ、ロシアへの脅威(核配備)をして行った。
最後の砦のウクライナのうち、親ロシア派の州の独立をロシア派是認、一方のウクライナは認めず、ゼレンスキーは落ちた支持率を上げるため、ドローン攻撃をしかけているのです。
そして大国ロシアの皇帝に対して、「テーブルに付け!」とか、アメリカに対しても「我々を見捨てた! 失望した」と言い放ち、分不相応な物言いになっている感がします。
これはプライドを持つ相手国に対しての礼儀としてちょっとあり得ない態度ではないでしょうか。
もちろん有事だからというのもわかります。しかし彼は有事になる前から対等な物言いをしています。
プーチンは過去の対応を観ていると、礼儀を尽くす相手には敬意を持って接しています。ユーモアも理解し、決して話の分からない相手ではないのです。
しかしここまで悪人になってしまった一因には、彼のプライドをひどく傷つけたこと、ロシアを包囲するように西側諸国が囲みはじめたこと、ウクライナが大国を相手に、まったくと言っていいほど配慮しない物言い(〇〇しろ! 〇〇になれ!)をしていることです。
これ、大会社のワンマン社長に途中入社の社員がタメ語で接し、説教するようなものです。そんなことをされたらいくら道理が通っていたとしても言われた本人は面白くないのではないでしょうか。
もちろん市民を巻き込んだ戦争はぜったいダメです。許されるものではありません。プーチンの今回の行動は異常だと言えます。
しかし人はあるとき、狂気の沙汰と思えるような行動に出ることがあります。
それは往々にして、積年の想いを踏みにじられたと感じたとき。夫婦においても、企業人にしても、長年ずっとため込んでいた想いが怒りに変わるとき、別人格(もうひとりの自分)が出てくるのです。
じっさい私は、善人でずっと通してきた人が、ある日豹変してものすごい形相に変わる瞬間を観てきました。その鬼のような形相は、過去の幼い頃の受けた仕打ちや、ずっと虐げられてきた想い、抑え続けてきた感情の現れでした。
夫婦関係においても収拾の付かない激しい言い合い、争いがあります。
それはどういうときに起きるかと言うと、幼い頃の育った環境や積年の想いから来ることが多いです。
その想いにこちらが理解を示し、過去の想いにまで想いを馳せた時、怒りに震えた顔は、とてもやさしい少年のような顔になって行きました。
もちろんゼレンスキーはゼレンスキーで国を守る英雄です。過去ナチスと戦った祖父たちの想いを胸に、今度は圧力をかけてくるロシアに徹底して対抗する姿勢はりっぱです。
しかしそれはどこか挑戦的、挑発的なところがあります。世界を巻き込んで、これは自分たちの戦争だけじゃないよとたきつけるところは、どこか危うい面も感じさせます。
その意味で、少しプーチン側への想いを理解し、ロシアを脅威にさらさないような配慮(武装解除・中立化)をすれば、ここまで泥沼にならずに済むのではないでしょうか。
侵攻するなら戦う、ではなくて、侵攻する理由、精神的背景にまで想いをはせ、自国だけで解決できないのなら、協議のテーブルを他国も交えて行う。ロシアの要求を発展的な和解案で解決できないかを考える。それができれば、より上のレベルでのアプローチになっていくのではないでしょうか。
泥沼となってしまったいま、修復は非常に困難です。けれども夫婦関係も何かのきっかけで修復、復活できます。怒りに震える「何か」があると気づくことができたとき、ドアの向こうから和解への光が射しこんでくるのです。
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