相馬野馬追(甲冑競馬・神旗争奪戦)
国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追(そうまのまおい)」。
甲冑競馬と神旗争奪戦を観覧。騎馬の迫力と、旗が風を斬る音、そして、騎馬武者の猛々しさ。福島県相馬地方に受け継がれてきた馬事文化と、この土地の力強さをガツンと感じた。
1.相馬野馬追とは
相馬野馬追は、馬を追う野馬懸、福島県南相馬市の「雲雀ヶ原祭場地(ひばりがはらさいじょうち)」で行われる甲冑競馬と神旗争奪戦、騎馬武者が行進するお行列などの神事の総称。相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の3つの妙見社の祭礼。東北六大祭りの1つともいわれる。1952年(昭和27年)に、国の重要無形民俗文化財に指定された。
毎年7月に開催されていたが、猛暑対策の為に今年(2024年)から5月に開催される事になった。昨年は、猛暑により馬が死んだと茨城新聞に書かれている。私が行った日は快晴で5月でも暑かった。7月の開催は想像しただけでも熱中症になりそう。
軍事演習を神事として継続してきた歴史もあり、神事でありながらも、血気盛んで活力に溢れる雰囲気。騎馬武者は、かっこいいけど、ちょっとこわい。馬は大きいし、馬を煽るように荒々しい声をあげる騎馬武者がいると、驚いて萎縮してしまう自分がいた。世が戦国時代なら、騎馬武者のような男性が活躍し、輝いたのだろうな。令和の時代にのほほんと生きている私は、きっと生き残れない。
余談だけど、競馬用語で「馬をあおる」とは、スタートで出遅れることをいうらしい。馬を煽ってあおったら残念だね。
2.甲冑競馬
甲冑競馬は、先祖伝来の旗指物(はたさしもの)をなびかせ、人馬一体となり風を切り疾走する。
雲雀ヶ原祭場地は広い。1周1000mもあるコースを、旗指物を背負って走り切る。途中で旗が折れると、失格となる事もあるそう。競馬のようにスターティングゲートはない為、騎馬武者たちの準備ができたら、無音で一斉に走り出す。
先祖伝来の旗が、猛スピードの風に煽られて勇ましくはためく音。馬蹄がドドッドドッドドドッ!と土を蹴散らす音。目の前で起きている出来事に、どきどきする。血湧き肉躍るって、こんな感じなのかもしれない。
疾走する騎馬武者たちは、とても生命力に溢れていて力強い。
騎馬武者を振り落とした放馬馬は、制止しようとする人達から逃れて、コースを走り続ける。きっとあの馬は、一直線に走って逃げているつもりなのだろう。同じ場所を何度も回っているとは思っていないのだろう。なんだか切なかった。そして、馬の体力の凄さも感じた。
甲冑競馬でレースを終えた騎馬武者達は、山上の御本陣に報告へ行く。
羊腸の坂(ようちょうのさか)と呼ばれる蛇行した坂を、勢いよく駆けあがる姿は、これまた勇ましくてかっこいい。
3.神旗争奪戦
数百騎の騎馬武者が、打ち上げられた二本の御神旗を奪い合う神旗争奪戦。
甲冑競馬を行った1周1000mある会場の、どこに御神旗が落ちてくるか分からない。花火が打ちあがるたびに観客の歓声があがり、落下する御神旗を目がけて騎馬武者が移動する。
鞭を上手く使って、御神旗を絡めとるのが良いらしい。空中を舞う御神旗を確保するのは難しく、地面に落ちた御神旗を、鞭を使用してすくい取っているようだった。馬と鞭を操り、風を読む技術が試される。
御神旗を奪い合ってお互いに譲らず、なかなか勝敗が決まらない事もあったし、二人で御神旗を握った状態で羊腸の坂を上る騎馬武者達もいた。
神旗争奪戦は、何度でも挑戦でき、御神旗を2回も獲得した強者もいた。
女性の騎馬武者2名も御神旗を獲得していて、素敵だった。乗馬の技術と、先を見通す力(風を読み、落下地点を予測する力)があれば、男女の差は関係ないんだと勇気づけられた気分だった。
御神旗が敵の首になぞらえてあるとは知らなかった。だから、羊腸の坂を上ったあと、御神旗を確認していたのか。納得です。
副賞の紙袋を携えて、下山する騎馬武者。
神旗争奪戦の途中で行われるお下がり行列(会場では、おあがりって言ってたように聞こえたけど、おさがりだったのか)は、立派な行列だった。雲雀ヶ原祭場地の中央に作られた道は、御成参道(おなりさんどう※漢字は違う可能性あり)と呼ばれていた。お下がり行列は、山上から羊腸の坂を下り、御成参道を通って、会場から退場。その後、神旗争奪戦が再開された。
ちなみに、花火を打ち上げる方は、作業服なのがいいね。
4.封建時代の名残り?
審判席と書かれたやぐらの上にいる副軍師が、マイクを使用して、甲冑競馬や神旗争奪戦を取り仕切る。山上の御本陣に、戦果(1位の騎馬武者や、神旗獲得者の名前)を報告したり、状況確認や、次の甲冑競馬のスタートや、神旗花火の打ち上げなどを告げる。
それとは別に、場内アナウンスが、会場内の注意事項を放送する。
この2者のやりとりが、嚙み合っていなくて、おもしろかった。場内アナウンスの女性は、副軍師が、御本陣への戦果報告を終えた後に話し出す。だけど、副軍師は、場内アナウンスなどお構いなしに遮って話し出す。
そのたびに、場内アナウンスが声を止め、副軍師の話が終わるまで、声をひそめる。そして、副軍師が話し終えた後、また最初から場内アナウンスを言い直していた。
相馬野馬追の神事が優先されるとはいえ、場内の安全管理や注意喚起も必要だ。副軍師さんは、場内アナウンスが終わるまで、ほんの少しだけ発言を待ってもいいのになあ。あのくらい強気でなければ、馬に乗って戦うことはできないのかも。戦国時代に生まれていたら、私なんて、きっとすぐに潰されてぺしゃんこだ。
5.送迎バスと焼きそば
各指定駐車場から会場まで無料送迎バスが運行していて、とても助かった。大きなバスが何台も運行していたけれど、それでも帰りのバス停には長蛇の列ができていた。約3万3千人が来ていたのだ。そりゃ待つよね。
会場内で販売していた焼きそばを買う為に並んでいたけれど、12時頃には売り切れた。並んでいた列は、最初は1列だったはずが、なぜか2列になっていた。でも、どちらの列に並んでいる人も、並んで待っていた事に変わりなく、交互に商品を買った。ずっと待っていたのに焼きそばを買えなかった人からは、暑さと苛立ちから文句も聞こえた。私も焼きそばを買えなかったひとりだけど、他の売店で買えたおにぎりはすでに売り切れていたし、会場で食べ物を買えるのは、その屋台だけだったのもあって、約1時間並んで、たこ焼きと唐揚げを購入した。
購入後、一緒に行ったEと「1時間待つなら、会場の外にあるコンビニへ歩いて行けばよかったね」と反省。調べてみたら、会場から最寄りのデイリーヤマザキまでは約750m(徒歩11分)。臨機応変に対応する大切さを学んだ。
売店が立ち並ぶエリアは、騎馬武者が御場内(ごじょうない:甲冑競馬や神旗争奪戦が行われる会場)に出入りする場所にあり、観覧席への入口にもなっていた為、とても混みあっていた。騎馬武者が出入りするたびに、会場スタッフさんが、大声で注意を呼びかけなければならず、とても大変そうだった。
相馬野馬追のお作法として「馬の前を横切ってはならない」「馬の後方には立たない」「馬に手を出したり大声で驚かさない」等が公式サイトに記されているけれど、焼きそばを買う行列に並んでいると、何度もその作法を破ってしまいそうで、ひやひやした。それでも、騎馬武者を間近で見ることができて、私個人的には嬉しかった。
6.馬事文化、土地、人の力
人生初の相馬野馬追。土地が変われば、文化も変わる。福島県相馬地方で培われた馬事文化の力強さと、騎馬武者の迫力や、土地の持つ力に圧倒されたのか、帰宅後は、頭痛と体調不良に襲われた。ただの熱中症だったのかもしれないけど。
東日本大震災と原発事故が起きた福島県。相馬野馬追が開催された南相馬市は避難指示区域だった時期がある(2016年7月に解除)。避難指示が解除された現在も、警戒区域(帰還困難区域)が残っている。
この南相馬という土地を、ここで育まれた自分たちの文化と歴史と生活を、なんとしてでも繋いでいくんだ、という無言の怒りを含んだ意地のような気迫と気概を、相馬野馬追から勝手に感じた。力強かった。私にはそれが強烈だったのかもしれない。
天災は起こる。暮らしを奪う事故が起き、今も続く。それでも、生き抜く。相馬野馬追は、この土地の生き方を体現している。ここで暮らす人達の覚悟と逞しさをガツンと感じる祭りだった。
おわり
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