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ケアする人のカフェ

「ケアする人のカフェ」に、参加した。

「ほっこりくらぶ」を開催しているみんなのももやま子ども食堂の企画です。

今回の「ケアする人のカフェ」で話されたこと。
私にとって大切だったことをまとめてみます。

1.知識の使い方。

知識は、知恵を出す為に使う。

知識は役立つ。知識や経験から、できることや、いま選べることの見通しを立てられるのは、ケアするひとの強み。

だけど、その知識を使って、相手に「こうするべき!」と強要としたら、それは暴力となる。

褒めることだって、暴力となる。

相手を自分の思い通りに動かしたい。従わせたい。そういう思いからの行動は、暴力になりうる。

自分の暴力性を自覚し、自制する。
その為に、知識を使う。

2.一緒に居る。

自分を覚えている人がいる。
それだけで、自分の存在は、消えない。

魂も、覚えてくれている人がいるうちは、存在すると言われている。生きていたって、きっとおんなじだ。

目の前のひとを、見る。

同じ人はいない。前に上手くいったケアの方法が、別の人にも効果的かは分からない。ケアも人それぞれ。

たとえ同じ人であっても、毎回違う。前回と今回の状態は異なるかもしれない。元気もりもりかもしれないし、寝不足かもしれない。

いま、目の前にいる人と、いる。

それが、できること。

ケアする人のカフェでは、コーヒーやお菓子をいただきながら、おしゃべりをした(ごちそうさまでした!)。

一緒に過ごす。一緒に食べる。

Hさんが、「ごはんを一緒に食べることは、相手のことも食べていることになる」という話をしてくれて、とてもおもしろいなあと思った。

食べて、栄養を吸収して、出す。

その循環が、一緒に食事をすることで起こる。

食べ物の栄養素はもちろん、
相手のエネルギーも吸収しているんだ。

相手のエネルギーをお互いに吸収して、巡る。

なんだか元気になるときは、相手の元気をいただいている。
なんだか疲れたときは、相手に奪われているのかもしれない。いや、私が受け取っていないのかもしれない。

与えるだけ、は力を奪う。
自分の力はもちろん、相手の力も奪う。
それは、相手の力を認めていないから。

与えると受け取る。
私にできること。相手にできること。
お互いのちからを交換すると、心地よい。

お互いに良い循環が起こる食事をしたい。
それは、ケアも同じこと。

相手の問題を奪わない。相手の選択を奪わない。
相手と自分を分けて考える。

解決したいのは、相手の問題じゃなくて、
私の問題なのではないか。

自分の問題と、相手の問題を混同しない。

できることは、自分を整えること。

3.平和

平和については、私の個人的なテーマでもあったから、この話題が出た時に、今日集まった5人は集うべくして集ったんだなあと縁を感じて、こっそり嬉しい気持ちになった。

(1)無力であることを認める。

誰かを変えることはできないし、相手を変えようとすることは暴力である。そんな自分のコントロール欲・支配欲を自覚し、自制する。

無力であることを認めたうえで、できることはなにかを考える。

(2)心と体のケアをするチームを持つ。

ケアするひとは、誰かをケアすることは熱心だけど、自分自身のケアに疎かったりする。

なにか困った時には、話してね。

なんて、言っておきながら、自分のことは、自分ひとりで解決しようとしたりする(自覚あり)。

ひとりで自分をケアする必要は、ない。

体をほぐす。心をほぐす。
どちらも、つながっている。

ケアするひとこそ、自分をケアする方法を、増やす。整体、カウンセリングなど、別のケアの専門家にケアしてもらうのもいいし、散歩や美味しいものを食べるという気軽な方法もいい。

自分をケアすることを許す。

それは、
ひとりで頑張らなくていい。
誰かの力を借りていい。
というメッセージになる。

ケアのちからを、体感することで、
ケアの知識は、体感を伴った知恵に育つ。

誰かに自分をケアしてもらう。
それは、誰かをケアするときにも活かされる。
みんな、つながっている。

自分の心身が整っていれば、
それがまわりにも良い循環を生む。

自分を整えるチームを持とう!

(3)幸せになる。

ケアするひとは、すべてのひと。

だれかのケア。
自分のケア。

すべてのひとが、ケアとかかわる。

ひとりひとりが平和になったら、
きっと地球は平和になる。

私の平和の対義語を考えてみる。
私の平和の対義語は「混乱」だ。

恐れ、おびえ、不安、恥。

私の平和の類義語は「安心」だ。
安心した私で、毎日を過ごしたい。

私には、私を回復する為に、
ひとりの時間と場所が必要だ。

ずっとそう思っていたけれど、心身をケアするチームを持ったら、ひとりで回復するよりも、回復は早まるのかもしれない。回復に取られていた時間を、より自分の人生を豊かにすることに使えるのかもしれない。

人生には限りがある。
命と時間をどう使うか。

ケアを通して、生き方をみつめる。

まずは自分から幸せになろう。
自分を幸せにしよう!

最後の感想で、そんなことを選挙演説のように語ってしまったけれど、そんな発言さえ許容してくれる雰囲気が、ケアする人のカフェにはあった。ありがとうございました!

ケアする人のカフェを終えて、
外に出ると、大きな虹が出ていた。

とても大きく、美しい虹だった。

虹は、地球からのケアだ。

大丈夫だよ、と守られている。
そう考えることも、ケアだ。

いい気分になることを選ぶ。
私を平和にすることを選ぶ。

ケアする人のカフェ、とても良い時間でした。

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