怒り、嫌悪感、違和感など…不快な感情とどう向き合えばいいか?

生活していて、些細なことから怒りを募らせることがある。
 職場の同僚が気に入らないとか、増税や保険料増額に対する政治への不満とか、そういったことだ。

怒りなどのネガティブな強い感情を感じても、社会生活の中でそれをなかなか表出するのは難しい。よって、自分の中にどんどん蓄積してしまうことになる。
 しかし、このように蓄積された感情は自分自身を傷つけると考えられることから、できるだけ避ける方が良い。一方で、これはいったん収まったように見えてもじつは心底でくすぶり続けることが多いので、根本的な対処がむずかしい。
ではどうすればいいのか?

わたしは次のような手順を勧めてみたいと思う。
1 とりあえず呼吸に意識を向ける。口から吐き出し、鼻から吸う。
2 自分自身の内面を、注意深く丁寧に観察してみる。
3 沸き起こる感情や想念に対して、「私は誰か?」「この想念は誰に起こっているのか?」と問いかける。

以上のステップを踏むのである。もっとも、言うは易しで行うはなかなか難しいのだが。誰が口にしたか忘れてしまったが、「己の心を支配するものは世界を征服するよりも価値がある」というような箴言がたしかあった。

南インドの聖者ラマナ・マハルシによると、呼吸を制御しても一時的に心を落ち着かせるだけにすぎないのだという。そこで、マハルシは「私は誰か?」という探求を直接的な方法として強く勧めていた。

この「私」という想念は純粋ではありません。それは身体や感覚と結びついて汚れています。誰にとっての問題なのかを見なさい。「私」という想念にとってです。それをとらえなさい。そうすれば他の想念は消え去るでしょう。…
「私、私、私」と考えなさい。他のすべての想念を排除して、その一つの想念だけをとらえるのです。
『ラマナ・マハルシとの対話 1』(ナチュラルスピリット)

本当に大切な哲学とは、べつに難解で深遠な教義とかではなくて、こうした身近で単純な問いかけの中にこそあるのかもしれない。

南インドの沈黙の聖者といわれたラマナ・マハルシ(1879-1950)


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