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生涯現役とリカレント教育

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『斎藤孝式 “学ぶ”ための教科書』(辰巳出版)です。その中から「学ばない人は、走らない風車」という題でブログを書きました。
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田中真澄氏は 「人生、勝負は後半にあり!」と言っています。これはこんな話です。

潜在能力の開発は年齢不問です。 20世紀までは「人生は60歳までが勝負」の思いできましたが、平均寿命が伸び続ける長寿時代、「人生は65歳からが勝負」との考え方が必要です。 人生の勝負が後半に移って、定年以後の生き方が問われるのです。 65歳以後も活き活き生きるには、100歳まで生きる可能性に賭け、死ぬまで働く終身現役を目指すことです。
少なくとも定年後は、年齢不問の潜在能力の開発にどこまでも挑戦し、得意なことを仕事にしながら、己を高めていく生き方を選ぶべきです。 私たち凡人にとって怖いのは年齢情報です。 例えば還暦を迎えた人は「もう60歳」と受け止めても、「まだ60歳だ」とは思いません。 人間は、前向きに生きることを心掛けていれば、いくつになっても自分の能力は開発していけるのです。
そのことを教えてくれたのは日本の正確な地図を初めて作成した伊能忠敬です。 彼は千葉県佐原の大地主で醸造業を営む伊能家に17歳で婿養子に入り、49歳で家督を息子に譲るまで稼業に専念し、伊能家を繁栄に導きました。 しかし彼が本当にやりたかったことは天文学と国土の測量でした。
そこで50歳で息子に家督を譲ると、江戸に出て、19歳も若い幕府天文方・高橋至時に弟子入りし猛勉強。 ついに至時が舌を巻く程の力をつけたのです。 そして55歳から73歳で亡くなるまで日本全国を踏破し、後半の人生を測量に傾けました。 伊能忠敬の後半の人生を知ると、勇気が湧いてきます。 好きなことを本気で続けていけば、年齢を超越して願望を達成できることを実感できるからです。(田中真澄の88話/ぱるす出版)より

人生100年の時代、「定年後は余生」という考え方は通用しません。なぜなら、仮に60歳で定年になると、残りの人生があと40年残っているからです。20歳から60歳まで勤めたとすると、会社人生は40年です。つまり、定年後と同じだけの期間が残っているということです。

だから、田中真澄氏の説く「生涯現役」の人生を本気で考えないと、人生の後半生が空虚で、生きている実感のない寂しい人生となってしまいます。人生の後半を豊かで確かな手ごたえのあるものとするために必要なのが「学び」です。学校を卒業してからの学びなおしのことを「リカレント教育」といいます。

それを大前研一氏はこう言っています。

リカレント教育とは、基礎学習を終えた社会人が、自身のキャリアのために10年ごとなどに学び直しを繰り返し行うことである。なぜ、リカレント教育に本気で取り組まなくてはいけないのか。これを理解するためには、今、日本が置かれている経済状況の劇的な変化を理解しなくてはならない。
20世紀の日本社会は、大学などで高等教育を受ければ生涯働き続けることができた。「教育」「勤労」「引退」の3つのフェーズを経験すれば事足りる「単線型」のライフモデルだ。社会人になって学ぶべき知識は、会社が研修やOJTで与えてくれたので、受動的な姿勢でもなんとか定年までやっていけた。
しかも、手厚い退職金や社会保障を受けることができたため、積極的に学び直しを行わなくても、老後も安泰だったのだ。しかし、今はそうはいかない。社会全体の急速なデジタル化により、産業構造そのものに破壊的な変革が加速して起こる、いわゆる「デジタル・ディスラプションの時代」に突入したからだ。
社会全体のデジタル化により既存の産業が破壊される時代においては、大学や大学院で学んだ知識であったとしても一瞬で陳腐化してしまう。それだけで定年まで乗り切ろうとする発想では生き残れない。老後の生活費が公的年金だけでは不足することを考えると、生涯にわたり稼ぎ続けることができる力を、誰もが身につけなくてはならない時代になったといえる。(大前研一稼ぐ力をつける「リカレント教育」/プレジデント社)より

現代は、生涯にわたって学び続ける時代です。ITやAIによる産業構造の急速な変化による、古い体質の会社の崩壊が目前に迫っています。だからこそ、だれもが学び続けることが、必要となっているのです。生涯現役を目指し、あの世に行く直前まで学び続けることができたら幸せです。

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