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「深さ」と「教養」

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『いつも「話が浅い」人、なぜか「話が深い」人』(詩想社新書)です。その中から『「深さ」と「アウトプット力」』という題でブログを書きました。

本書の中に『「深さ」と「教養」』という心に響く文章がありました。

教養という先人たちの知恵を借りることで、本来、自分ひとりではなかなかたどり着けないような深さまで、自分の意見を深めていくことがで きます。 

教養とは、さまざまな知識や古典に対する造詣の深さであって、努力して学べば、誰にでも身につけることができるものです。その意味で、深さを手に入れるもっとも手っ取り早い方法が、教養力をつけるということになります。 

教養力を身につけるには、「古典」を読むことがお勧めです。たとえば、古典といわれるものを100冊読んでいれば、かなり教養があるというレベルだと思います。とりあえず3冊でもいいので、とにかく古典デビューするのが先決です。 

私は古典のなかでも、『論語』が特に使い勝手のいいものだと考えています。『論語』を1冊、しっかりと読んでおけば、そのなかの言葉をつい引用してしまう、という場面に遭遇することがよくあるからです。

意識せずとも 『論語』のなかの言葉が会話のなかに「こぼれ落ちる」というレベルにまで自分のものにしていれば、聞き手には深さとして伝わります。 教養は、ひけらかすものではなく、こぼれ落ちてしまうものです。 

日常生活のなかにあるほとんどの情報には、賞味期限があります。2~3週間もすれば、更新されていたり、過去の話となっていることがほとんどです。しかし、古典の教養というものは、いつまでも鮮度が落ちず、時代によらず本質を突いているものばかりです。 

常に変化していく新しい情報も大切ですが、それだけでは深い広がりが出ないこともあります。逆に、教養といわれるような不変の情報だけでも、現代の私たちにはピンとこないこともあります。 

この両者に軸足を置いて、新しい情報のなかに不変の情報を見いだしたり、逆に不変の情報に新たな情報を関連づけたり、両者を織り交ぜることで深みが生まれるのです。 

最新の情報を集めて提示しながら、「私はこう考えます」と言うだけでもいいのですが、そこに、「実はこの近代人の病的傾向についてゲーテもこう言っています」、「トルストイは『人にはどれだけの土地が必要か』について、こう述べています」 と展開されると、話に深みが加わり、説得力が増すのです。

◆「歴史はくり返す。 たいていのことは古典の中にある。 何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。 自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ」(安岡正篤)

我々が古典を学ぶ理由はここにある。 現在起こっている事象を解きほぐし、未来のことを予測するには古典の勉強が一番だ。 人間としての根本は少しも変わっていないからだ。つまり、これが教養、ということになる。

「深さ」を身につけるため、古典を学びたい。

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