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『おかえりモネ』と「なないろ」がスルメどころか“はっと”くらい味わい深くて、木のようにゆっくり成長し、いつの間にか大木になっている件 (4週分を見届けた感想)

登米生まれ、登米育ちの人間として、登米も舞台になっているこのドラマは見逃せないと思っていた。しかも主題歌が大好きなBUMPだから、さらに楽しみになった。

2週目まではまるで登米の観光PRかと思うほど、登米の良い部分を最大限、引き出してくれた気がする。私は登米育ちと言えども、すべてを知っているわけではなかった。風車のある長沼や石ノ森章太郎、木工品やはっと汁、油麩はメジャーなので、もちろん知っていたけれど、登米能とか組手什は実は知らなかった。
だから登米にこんな素晴らしいものがあったのかとドラマを通して教えてもらった。地元の人間でさえそんなに詳しく知らないのに、こんなに魅力的にPRしてもらえるようにドラマの中で扱ってもらって、ありがたいことだなと思った。

きっとかなり念入りに下調べをしてくれたんだろうと、ドラマ関係者の方々の努力が伝わってきた。そうじゃなきゃ、こんなに脚本にぴったり合うように名物を登場させることはできないはず。しかもはっと汁なんて一回のみならず、何度も登場させてくれて、モネの家族が仲直りするきっかけとなる重要アイテムに選んでもらえて、登米のゆるキャラ、はっとンもさぞかし喜んでいることだろうと思う。
(※ちなみに私は近年あまりはっと汁を食べていません…油麩は肉代わりに食べるほど好きでよく食べますが。かつ丼のかつの代わりになります。)

つまり「はっと」は単なる登米のソウルフードとして扱うのではなく、作る工程を大切に描いてくれたことに感動した。そう、あれはけっこう手間がかかるし、小麦粉を練ってちねって、お湯に入れる作業は一人で作ろうとしたら面倒にも感じる。むしろ一人で食べるなら作ろうとは思えない。家族とか大勢で食べようってならないと、作らない料理だから、家族の温かさを描いたシーンに登場させてもらえたのは、はっと冥利に尽きるだろう。はっとは家族の平和の象徴みたいな食べ物なので…。

地元視線はこのくらいにして、客観的にいち視聴者としての感想は、好きな世界観が描かれているドラマだと思った。元々空は大好きで、noteの画像もnoteを開設した当初から雨と虹にしているくらいだし、「彩雲」や「虹」が頻繁に登場するだけで、幸せな気持ちになった。始まった当初、「映像がキレイ」と絶賛されたように、本当に空だけでなく、山も海もすべての自然が美しくて、ずっと見ていたい世界だなとうっとりした。
登米の山とか、川とかあんなにキレイだったのかと感心したし、モネ効果で長沼へは頻繁に足を運ぶようになった。登米は元々風の強い日が多い。登米の風を感じたいなら、風車がそびえる長沼をお勧めしたい。

そしてその美しい映像と共に丁寧に描かれる登場人物たちの心情。ヒロインのモネはヒロインなのに、4週目までは、まだ夢や目標が定まっていなくて、もどかしく複雑な表情が多くて、それを自然に演じられる清原果耶さんはさすが若手女優のホープだなと思った。サヤカさんやモネのお父さんはどちらかと言えば前向きで、明るい雰囲気を醸し出しているけれど、それぞれ挫折、葛藤したような過去も匂わせているし、単に陽キャラとしていないところが良い。太陽みたいだけど、太陽だって雲がかかったり、夜になると隠れるよねっていう明るさと裏腹の何か含みを持たせてくれていて、それぞれの登場人物に奥行きがある。

分かりやすい陽キャラよりも個人的に好きな陰キャラとして、まずヒロインのモネがそうだし、モネの妹のみーちゃんもそうだし、モネの気仙沼の友人たちも、それから菅波先生や朝岡さんもどちらかと言えば暗いというか過去にいろいろあったんだろうなと想像できて、親しみを覚える。
中でも一番、陰キャラの中の陰キャラとして気になっているのが、りょーちんのお父さん、及川新次。アル中気味で、お酒だけを支えにかろうじて生きているような人。爽やかな朝ドラの中で、一番暗さを感じられるし、闇をまとっている人だと思う。そこが良い。元々は敏腕漁師で、順調だった生活が震災で一変して、落ちこぼれてしまったようだけど、そこが妙にリアルだなと感じた。震災に負けずに、再起してがんばりましたみたいな前向きな人たちって案外そこまで多くはないと思うから、被災者に一番寄り添ってくれる存在が新次じゃないかなと思った。10年経って、完全に震災前と同じ生活に戻れた人は恵まれている方で、実際は10年経過したけど、震災前の生活には程遠いという人たちは少なくないと思う。特に津波の被害を受けた沿岸部に住んでいた人たちは。

だから前だけ向いて未来を信じてたくましく生きる人だけを登場させるよりも、まだ震災直後のまま、10年間も取り残されて生きているような人を登場させた方が、リアルに説得力が増すし、共感できる人も多いだろうと考える。
震災からの復興をテーマに掲げているとすれば、ある意味、もう一人の主役になり得る人物が新次だと思っている。
これから先、漁師として成長していく息子を見ているうちに、また自分もがんばろうと思えるのか、それともこのまま社会から落っこちそうになりながらひっそり生きていくのかは分からないけれど、生まれてくる時、新次に命を救われたモネが、いつか逆に新次のことを救うような立場になっていたら、新次にとってもハッピーエンドになるなとこれからの展開も楽しみだ。

ドラマの情景、心情の表現の仕方が丁寧な理由のひとつに、ゆったりしたテンポ感もあると思う。それこそ、木が成長するスピードほどゆっくりしていると思う。時間的には4週間で、春の始まりから夏の終わりが描かれたことになるので、4ヶ月分のストーリーが進んだことになる。これは子ども時代も含めて人物の一生が描かれることの多い朝ドラとしては、スローテンポな方だろうと思う。スローだし、モネも目標がまだ定まっていなくて、ふわふわした感じだったけど、でも場所が登米や気仙沼を行き来したり、山、職場、海、実家など、場面がけっこう変わる分、変化があって飽きないし、一瞬たりとも見逃せないという気分になる。ゆっくり進む分、少しくらい見逃してもいいかと思っても、このドラマはじっくり見た方が、より深みが感じられると思う。朝の慌ただしさの中、何かをしながら見るというよりは、個人的には夜に録画をじっくり視聴することが多い。その方が台詞のひとつひとつが心に沁みるし、考えさせられる。何気ない一言の中に、奥行きの深さを感じられる。
「誰かの役に立ちたい」とか、「海も山も空も全部つながってる」とか、さりげない言葉がその後の物語を照らしていて、聞き逃せない。

それにしても、『おかえりモネ』の「おかえり」が早くも第3週目で登場したのには少し驚いた。もちろん一時帰省したら、当然「おかえり」という挨拶は言うものだけど、もう少し終盤というか、終わる頃に「おかえり」が登場するものと思っていた。でもモネは気仙沼、登米、東京という三拠点を往来するだろうから、つまり「おかえり」は頻繁に登場して不思議じゃないんだよなと気付いた。気仙沼から登米に帰っても、「おかえり」って出迎えられるだろうし、東京から気仙沼に帰っても「おかえり」になる。モネは何をしていいか分からないというか、地元の人間なのに津波を知らない負い目から、気仙沼から逃げ出したけど、目標がなくて彷徨った分だけ、ふるさとが増えて、その分、「おかえり」と言ってもらえる場所も増えたから、モネは悩んで良かったんだと思う。もしもお世話になった登米の森林組合の人たちに悪いからとずっと林業だけをしていたら、東京という故郷はできないわけだし、東京で出会う人たちとも出会えない。もしも負い目を感じながらも、ずっと気仙沼で暮らしていたら、登米の人たちとは出会えていない。目標や夢がみつからない、何をしていいか分からない人ほど、立ち止まるのではなく、自分探しの旅をした方がいいということを言いたいのかもしれない。
旅をしているうちに、自分の進むべき道、こっちだって思えるものに出会えるのかもしれない。それに全然想像もできないもの、違うものを選んだとしても、結果的に全部つながっているから大丈夫という安心感もある。何を選んだって、きっと誰かの役に立てるし、大切な人たちにつながることができるから。

たまたま今回は気象予報士を目指すという展開が描かれるだけで、別に他の職業だって、何もしてなくたって、何かと何か、誰かと誰かはつながっているよということを伝えたいドラマなのだろうから、やっぱりそこで虹とか彩雲という気象現象は重要なモチーフになるなと思う。虹も彩雲も太陽があるだけじゃ、生まれない。雨や雲がないと、条件が揃わないと生まれないものだから、何かと何かのつながりを目で感じることができる。雨なんて雲なんて煩わしいなとネガティブなものに捉えられがちだけど、それらのものも「なないろ」を描くためには欠かせないもので、かけがえのない存在だよと教えてくれる。つまりモネが彩雲を見つけられたのも、たまたまじゃなくて、震災があって、その時仙台にいて津波を知らなくて、気仙沼から逃げたおかげで、登米に来たのは、逃げたのは間違いじゃなかったよってモネに許しを与えてくれるような気象現象だから、迷信なんかじゃなくて本当に幸運の象徴なんだなと思う。

震災の時、仙台にいて難を逃れて良かったわけじゃない。同じ苦しみを知ることができなかったことに苦しんで、分かち合えない疎外感を味わいながら、モネはひっそり生きていた。実際に登米は沿岸部の被災者をたくさん受け入れた街だけど、登米に住む者として、震災当初、沿岸部の被災者の人たちとはたしかに温度差を感じた。例えば日本、世界から見れば、宮城県は東日本大震災の被災地だけど、宮城県内でも場所によって被災のレベルは全然違う。津波で壊滅状態の海の町と、地震の揺れで建物が壊れ、一時的にライフラインがストップした内陸部の町では被災の度合いが違った。でもたとえちょっと亀裂が走った家に留まっていただけでも、ガソリンが手に入らなくて、車を使えない不便さを感じただけでも、被災したことには変わりない。それで心折れた人もいたはずだから。逆に沿岸部で何もかも失っても、心折れることなく、必死に生きていた人もいたはずで。何を言いたいのかというと、形あるものの被災具合は、簡単に判定できるけど、心の被災具合は人それぞれだから、簡単に判別できるものではないということだ。

モネだって津波を見ていなくても、十分に被災したはずで、苦しんだはずだ。登米に来たのはおじいちゃんの知り合いのサヤカさんがいるからというたまたまの出来事のような気がしても、実はモネにとって心の傷を癒やす場所として、登米は一番適した場所だったかもしれない。沿岸部と違う被災で、海の町の人たちより自分たちは被災していないという負い目のようなものを感じる土地だから。モネと同じような気持ちで私は生きていたから。でも幾度となく襲ってくる余震は怖かったし、津波の映像を見る度に心が痛んだ。海沿いに住む知り合いの安否を知るまでは本当に苦しかった。完全に同じ思いはできないかもしれないけれど、沿岸部の苦しみを分かろうと努力はしたつもりだ。つまりモネの気持ちに近い場所だから、登米も舞台のひとつに選ばれたのかなと思った。ただ震災からの復興を描きたいのであれば、気仙沼だけ、石巻だけ、南三陸町だけでとか、宮城の被災地のみでロケすることだって可能だったと思う。でも、ヒロインが津波を経験していないことによって人生をこじらせてしまったから、沿岸部と内陸部の被災具合の温度差それぞれの心の復興を描くためには、沿岸部以外の場所も必要になったのだろうと思った。宮城だけでなく、東京の場面が登場するのも、震災が宮城県や東北だけのものではなくて、日本全国に共通するものだったという意味もあって、モネが東京に旅立つのなら、うれしい。
だってその気になれば、宮城だけで完結させることもできたはずで、仙台あたりで気象予報士をしている設定にできないことはなかったはずなのに、あえて東京へ行くというのは、災害は全国共通のもので、どこでも心を痛めている人はいるから、宮城から飛び出して、東京で活躍するシーンも描かれるのだろうなと思った。何しろ、みんな何かでつながっているから。

こんな素敵なドラマに本当にふさわしい主題歌になったのがBUMPの「なないろ」
ぱっと聞くと、テンポの良い曲でキラキラした明るい前向きな曲に捉えられるけれど、よくよく歌詞を読むと《昨日の雨の事》とか、《失くせない記憶》とか、《治らない古い傷》とか被災者が抱えている心の奥底を代弁してくれている。それらは決してネガティブなものじゃなくて、それらがあるから、つらいけど寂しくないし、過去を捨てるんじゃなくて、忘れずに引き連れて、未来へ向かって旅を続けようよという過去も今も未来も全部肯定してくれるやさしい藤くんの歌詞がこのドラマの温かさを端的に表現しているように感じる。
ネガティブな要因も含めて、今があって、虹がかかるし、七色が見えるんだよということを教えてくれる唄。
なんて素敵な主題歌なんだろうと、何度聞いても感動を覚える。毎回感激しながら、オープニングを見ている。
この曲に関しては、二回も音楽文に書いていて、そのうち三度目も書く予定。聞けば聞くほど、深さに気付く。一見、簡単な言葉が多いように見えて、実は難解な意味が隠れていたりするから、何度も聞きたくなる。

ドラマの中で、朝岡がモネに「空を見て雲がキレイだと思えた時点でその人は前向きになれている」という台詞があるが、これはBUMPの楽曲「真っ赤な空を見ただろうか」《夕焼け空 きれいだと思う心を どうか殺さないで》を思い出したし、モネの父とりょーちんの父、つまり耕治と新次が会話するシーンでは、耕治が折り畳み傘を鞄から差し出す所や、「おまえはいつだって正しいよな」みたいな新次の言葉がまさに「なないろ」の歌詞を彷彿とさせた。つまり脚本の中にBUMP感が溢れていて、ドラマの世界観に藤くんの歌詞はぴったりだと思った。

BUMPの楽曲はスルメ曲と揶揄されることが多いように、『おかえりモネ』もスルメドラマかもしれない。別に台詞が小難しいわけじゃない。(方言や訛りは難しいかもしれないけれど、言葉そのものはという意味。)わりと分かりやすく、簡単な言葉が使われているけれど、なぜか深みがあるから、主題歌同様、ゆっくり噛んで味わいたくなるドラマだと思った。味わい深いドラマ。
ファストフードではない。テンポ良く盛り付けられて、片手ですぐに食べられるような食べ物ではなくて、スルメというか、それこそ「はっと」のように作るだけで手間がかかるし、食べる時もちゃんと噛まないといけないと思えるドラマ。とてもシンプルだけど、手間がかかっている。上質なドラマだと思う。

あまり好まない人たちからすれば、波乱万丈な朝ドラとは対極的でなんとなく退屈だなと感じるかもしれないけれど、植えたばかりの枝みたいな小さな木も、雨に打たれて、風にさらされて、お日様に照らされて、長い年月をかけて、ゆっくり大地に根を張り巡らすように、気付けばいつの間にか雨宿りさせてくれるほどの立派な大木に成長しているドラマだと私は確信しているから、なるべくたくさんの人たちに見てほしいなと願う。
主題歌もその通りで、もしも今はまだ心に届いていない人がいるとしても、何年後かに「あーあの曲はやっぱり良い曲だったな」と思ってくれると信じている。ありがちな曲で、特別名曲ってほどではないとか感じている人がいたとしても、繰り返し時間をかけて聞いているうちに、BUMPの曲は心の中で少しずつ成長してくれるもので、最初に聞いた時とは違った印象を持てたりする。やっぱり木のようだ。

今年の夏は祖父の初盆でもあるので、モネの中で描かれた初盆のシーンも勉強になった。あれは気仙沼のお盆の風習を丁寧に描写したんだろうけど、登米も盆船以外は同じような感じだと思う。登米や気仙沼の文化や風習がよく分かるドラマになっている。地元の人以上に、宮城のことを分かろうとしてくれた人たちが一生懸命、作ってくれたんだろうなということが感じられる。
だから『おかえりモネ』の制作に携わったすべての人たちに感謝したい。こんなに素敵なドラマを作ってくれてありがとうございますと伝えたい。

感激し過ぎて、私は「モネ活」(おかえりモネ活動)を楽しむ日々を過ごしている。まず、「なないろ」という曲はどんな曲だろうと想像しながら、イメージした歌詞や文章を書いた。オリジナルキャラクターも考えた。そしてどうしてもドラマに参加したくて、日々空を眺めつつ、「観天望気」に写真を投稿したり。(ギャラリーに何枚か載せてもらっています。)ガイドブックも隈なく読んだ。
そしてドラマを真剣に見る。「なないろ」が好き過ぎて、感想文を書き、登米市で始まっている街鳴りを聞くため、長沼に行ったり…。
おかえりモネグッズを買いに行ったり、それを映えるように飾るため、100均で天気モチーフのグッズをたくさん集めてみたり…。
ドラマを見て、空を見上げて、なないろを聞いて、文章を書いて…というようなことを繰り返しているせいか、毎日本当に忙しい。
そうそう「なないろ」に関しては下手だけど、楽譜も買ってピアノで弾いてみたりしている。どこかでやっているという、まさに「おかえり音楽」状態。

モネはきっとやめてしまった音楽ともいつかは再会して、音楽にも「おかえり」って言ってもらえる日が来るだろう。私も時々、ピアノに「ただいま」という感じで触れている。離れている期間が長くても、昔馴染んだ楽器というものは、わりとすんなり自分を受け入れてくれるもので、腕は鈍っていても、当時の自分に戻れる気がする。
このドラマは空だけでなく、音楽もテーマのひとつになっていて、空も音楽も両方好きな私としては、二重奏でも聞いているくらい見応えがある。
音楽をやめてしまったモネ…。トランペットが好きなお父さん。ジャズ喫茶のマスター、音楽が好きだという三生、それからお父さんが作った木の笛…。
いろんな場面で音楽が登場するから、これからも本当に楽しみだ。

一番多くしている「モネ活」はたぶんモネやなないろに関しての文章を書くこと。なないろの音楽文に始まり、新聞には三回くらい投書したし、サヤカのスピンオフも書いた。まるでモネで何文字書けるかなという企画に挑戦している気分。
始まって1ヶ月が経とうとしている。私の心は毎日、キラキラしている。単調な生活に煌めき、潤い、ときめきを与えてくれて、ありがとう、モネ。
日々、嫌なことや悲しいこともあるけれど、毎日、虹を見ている気分で幸せです。

モネロスがすでに怖い…。始まってしまったからには、お別れも始まっているし。
《お別れした事は 出会った事と繋がっている》「ray」
から大丈夫かな。なないろの始まりには、モネがいるから。
今まさに、生涯輝き続ける思い出を七色の虹という軌跡の上で残す日々…。

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