小説『時をかける彼女』⑭

第14話「このダウン、記念にもらってもいい?」 

着いた先は夜だった。相変わらず寒い。しかも雪まで降っている。思わず身震いした。
「おい、なんだこの寒さは? 思いっきりずれただろ?」
「ずれてないもんね。最近あたし、タイムワープの能力が格段に上がったんだ」
「じゃあなんで雪が降っているんだよ」
「冬なんだから雪だって降るでしょ」
「1979年の8月に戻って来たんじゃないのかよ」
「ぶっぶ〜、ハズレ」
ケンジをからかうように笑う。
「いまは1998年の12月24日なのです!」
「なんだそれ? なんでそんな中途半端な戻り方をすんだよ」 
葉月は腕を組み、あきれた顔をしてケンジを見た。
「ケンジったら、やっぱバカじゃね? 1998年12月24日はお母さんがタイムワープして来た日だってさっき言ってたじゃん」
「そうか・・・・」
「ここで待っていれば、もうすぐお母さんがやって来るよ」
「でも2日、3日ずれてるだろ?」
「大丈夫。間違いなく今日は12月24日、クリスマスイブだよ」
「なんでわかる?」 
ケンジが言うと葉月は「ほら」と言って指差した。指差したほうを見ると、公園の脇にこじんまりした一軒家があった。その窓越しにイルミネーションが点滅しているのが見える。クリスマスツリーらしい。きっといまは、家族でパーティーをしているのだろう。
「もうすぐ来るよ、お母さん。ケンジ、きちんと謝って仲直りしなきゃ。それで1979年の夏に連れ帰っちゃいなよ。お母さん、明日の朝になったら帰らないって決めちゃうんだから、それまでが勝負だよ」 
クルマのなかの恵との会話を聞いていたらしい。
「でも、恵の親もじいちゃんもばあちゃんも、みんな恵が子どもを産むのを反対してんだろ?」
「あたしだって、ケンジの時代に行って遊び回っていただけじゃないんだから。この前、火縄銃の練習の前に実家に行ってみたんだよね。その本殿の奥に実家が建っているんだけどさ」
そう言って葉月は本殿を指差す。
「ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんに会ったよ。ひ孫が突然現れてビックリされたけどさ」
「名乗ったのか? ひ孫だって」
ケンジは葉月の大胆な行動にビックリした。
「うん」
「信用したか?」
「したよ、もちろん。タイムワープの家系だからね」
「そうか」
「それでさ、あたしってやっぱ可愛いじゃん?」
「知らねえよ」
「ひいおばあちゃんもひいおじいちゃんもあたしが産まれる前に死んじゃうから、将来あたしに会えないんだよって言ってやったんだ。かわいそうだけど」
「ひでえな。なんでそんなひどいこと言うんだよ?」
「ケンジはホント理解力ないよな」葉月が舌打ちする。
「もったいつけないで早く言えよ。寒くてしょうがないんだからよ」
ケンジは足踏みをしながら言った。
「可愛いあたしを見ちゃったからさ、死ぬ前にひ孫に会いたくなっているんだよ、2人とも。だからさ、いまからお母さんが来るでしょ? ケンジは謝って、すぐにお母さんを連れ帰ればいいんだよ。家族も納得させたって言えば大丈夫だよ。みんな許してくれるはずだよ。ひいおばあちゃんもひいおじいちゃんも、お母さんの親を説得しとくって言ってたし。だいたいケンジの時代に帰ったって、お母さん、すでに十か月も家出してたことになるんだから、みんな懲りてるはずだよ」 
葉月はそう言うと参道を歩き出した。
「おい、どこ行くんだよ?」
「戻るときはせっかくだからお母さんとふたりで帰んなよ。あたし、先に行って待ってるから」
「だって恵はタイムワープできないだろ?」
「今夜は大丈夫だよ。8時間たつまでは」 
言われてみればそうだった。
葉月はケンジに背を向け、参道を歩いて行く。
「でも、どうやってここに来たって恵に説明すればいいんだよ」 
葉月は再び振り返ってあきれた顔をする。
「ホント、世話が焼けるね。タイムワープできる人はうちの家系以外にも結構いるんだよ。そういう人に偶然出会って連れて来てもらったって言えばいいじゃん。あ、キスしてるのを見られてるからすぐに許してくれないかもしれないけど、その子から一方的にされたって言えばいいよ。実際そうなんだし」 
葉月はそう言うと目を伏せたまま声を出さずに笑った。 
ケンジは未来にひとり取り残される不安に押しつぶされそうになりながら葉月を見送った。葉月は両方の手のひらを口に添えて「がんばれ、お父さん」と言うと、鳥居に向かって走り出した。そして鳥居を潜った瞬間、突風が吹き、姿を消した。
 
ケンジは本殿の階段に座って震えながら恵が現れるのを待った。 
一時間もたった頃、音もなく降っていた雪が、突然鳥居のあたりだけ吹雪のように舞い上がったかと思うとすぐに収まった。 
そこに恵が立っていた。高校生の恵だ。ライトブラウンのダッフルコートはケンジにも見覚えがあった。思いつめた顔をしている。 
恵はしばらく雪が降ってくる夜空を見上げていたが、身体の向きを変えて公園の出口に向かって参道を歩き出した。
「恵!」
その背中に呼びかけた。 
恵はビクンと身体を震わせて振り返った。ケンジは恵に走り寄った。
「ケンジ・・・・なんでケンジがここにいるの?」 
驚く恵にケンジは葉月に言われたように説明した。そしていままで連絡しなかったことを謝った。 
恵はすぐに泣き出した。そして妊娠したことを告げた。
「一緒に戻ろう。ふたりで子どもを育てよう」 
ケンジと恵、そして葉月の3人で暮らすのだ。もちろん大変なことも多いだろうけど、3人なら乗り越えられるはずだ。 
恵はケンジに抱きついて子どもみたいに泣き続けた。その泣き顔はさっき見た2017年の恵の泣き顔とまったく同じだった。
何歳になっても泣き顔は変わらないんだなと、ケンジは恵を抱きしめながら思った。 

恵と一緒にワープして着いた先も夜だった。しかし一転して暑い。 
1979年の夏、ここはケンジの時代だ。そして今日からは恵と葉月の時代になる。
「知り合い?」 
恵の視線を追うとブランコに座っていた葉月が立ち上がって手を振った。
恵は本当はタイムワープの才能があるのかもしれない。まだ2回目のはずなのに、ピタリと目指す日に着いた。
「彼女が俺を未来に連れてってくれたんだ」
「そうなんだ」
恵は葉月に軽く会釈する。
「ケンジにキスした子ね」 
恵は複雑そうな顔をして近づいて来る葉月を眺めていたが、
「じゃあ、まずはおじいちゃん、おばあちゃんに会って来る。ケンジはここで待ってて。後で呼ぶから」
それだけ言うと神社に向かった。
「あーっ、ちょっと待って!」
葉月が駆け寄ってきた。
「なんですか」
恵がいぶかしげな顔をして振り返る。 
葉月は斜め掛けバッグからステンレス製らしき棒を取り出してスマホに取り付けている。
「なんなんだよ? 恵はいまそれどころじゃないんだ」
「恵さん、記念に3人でジドリさせてもらっていいですか」
「地鶏だと? なんで鶏が出てくるんだよ」
「もう、ケンジは最後まで訳わかんないって」
「あなたがケンジをタイムワープさせてくれたのね。どうもありがとう」 
恵が頭を下げると葉月は「全然大したことないっす」と言って照れた。
「あなたは何年の人?」
「あたしは2017年の高校3年生」 
葉月がそう言うと恵は複雑な顔をしてケンジを見た。
「ケンジももう高3なんだよね。私だけひとつ下か・・・・」
「ひとつくらいあってないようなもん。じゃあ撮りますよ」 
葉月はそう言うとケンジと恵の間に立ち、スマホが先端に付いた棒を前に突き出した。シャッター音がする。画面を見ると、葉月を真ん中にしてケンジと恵のスリーショットが写し出されている。画面の中のケンジと恵は困惑顔をしているが、葉月だけが満面の笑みでピースサインをしている。 
知らない人が見たら高校生の友だち同士で撮った写真にしか見えないだろうが、れっきとした家族写真だ。
「あたし、こうやって写真を撮るのが夢だったんだよね」
葉月はうつむいて写真を見つめている。
「じゃあ私、行くから」
恵が背を向けた。


「良かったねケンジ、お母さんとよりを戻せて」
離れて行く恵の背中を見送りながら葉月が言う。
「まだわかんないけどな」
「大丈夫だって。きっとすべてうまく行くよ。でも、お母さんのこと、これからは大切にしなきゃだめだよ。幸せって、いい加減に付き合っているとすぐに遠くに行っちゃうんだからね。そう、二十一世紀の彼方まで」
「ああ、わかったよ」
「じゃああたしはとりあえず二十一世紀に帰るわ」
「じゃあ、またな」
ケンジは軽く右手を上げた。 
葉月は参道を歩いていき、ケンジは腰を下ろして恵を待つつもりでさっきまで葉月が座っていたブランコに向かった。
「ねえ、ケンジ」 
葉月に呼び止められて振り返った。
「このダウン、記念にもらってもいい?」
葉月は暑いのにケンジのダウンを着たままだった。
「ああいいよ。二十世紀の土産にしろよ」 
暗くてよく見えなかったが、葉月は泣いているみたいだった。子どもみたいにしゃくりあげている。
「なんだよお前、泣いてんのかよ。泣き虫だな。もうこれでオールオッケーだって。これからはみんなで楽しくバンドやりながら暮らそうぜ」
葉月はなにも言わずにうなずいた。
「とりあえずは明日のEAST WESTだ。優勝目指してがんばろうぜ」
ケンジは手を振って、再びブランコに向かった。 
ブランコのところまで来て、ケンジは急に不安に襲われて振り返って葉月を見た。 
葉月はスタートラインに立つ短距離走者のように鳥居に向かって立っていた。
「なあ、葉月」
ケンジは大声で呼びかけた。
「恵がこの時代に戻ってきちゃったら葉月はどうなるんだよ? ちゃんとこの世界にいられるんだよな?」
「じゃあねー、ケンジ!」
葉月が叫んだ。そして鳥居に向かって走り出す。
「葉月!」 
いてもたってもいられずにケンジも鳥居に向かって駆け出した。 
葉月は走りながらケンジのほうを向き、静かに微笑んだ。 
それは、本当に信じられないくらい優しい微笑みだった。旭高校のプール脇のベンチで、ケンジにキスしたときに浮かべていた微笑みと一緒だった。
あのときは葉月を恵と間違えてしまった。でも、いまならわかる。葉月の微笑みは恵とは違う魅力があった。
「葉月ーっ!」 
ケンジは鳥居をくぐる前に葉月をつかまえようと、右腕を葉月のほうに思いきり突き出した。 
その瞬間、走っていた葉月の姿が消えた。鳥居までまだ3メートル以上あった。風はそよとも吹かなかった。
「葉月!」 
叫びながら葉月が消えた場所に駆け寄った。あたりを見渡しても葉月の姿はない。 
きっとタイムワープするタイミングが早かっただけだ。ケンジはそう自分に言い聞かせたが、心臓が破裂しそうなほど高鳴っていた。 
足元になにか落ちているのに気がついた。かがんで拾い上げると葉月のスマホだった。落ちたときの衝撃だろう、画面にヒビが入っている。 
画面にはさっき撮ったばかりの写真が写し出されていた。しかし、写っているのはケンジと恵だけで真ん中にいるはずの葉月の姿はなかった。
「葉月、明日はEAST WESTなんだよ!」 
ケンジはスマホの画面を顔に近づけて叫んだ。しかし、恵とケンジの間に、葉月の姿が浮かび上がってくることはなかった。
〈もう、ケンジは最後まで訳わかんないって〉 
この写真を撮るとき、ケンジが「ジドリ」のことを突っ込むと、葉月がそう言い返したことを思い出した。
「葉月、お前、最後ってどういう意味だよ・・・・」 
ケンジはスマホを強く握りしめた。 
葉月の手を握り締めるように。

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