見出し画像

令和5年8月31日付告発状全文(金沢地方検察庁御中・当日郵送)


告発状

〒920-0912金沢市大手町6番15号 金沢地方検察庁御中

被告発人 金沢弁護士会所属 木梨松嗣弁護士
被告発人 金沢弁護士会所属 岡田進弁護士
被告発人 金沢弁護士会所属 長谷川紘之弁護士
被告発人 金沢弁護士会所属 若杉幸平弁護士
被告発人 元名古屋高裁金沢支部裁判長 小島裕史
被告発人 元金沢地方裁判所裁判官 古川龍一
被告発人 松平日出男
被告発人 池田宏美
被告発人 梅野博之
被告発人 安田繁克
被告発人 安田敏
被告発人 東渡好信
被告発人 多田敏明
被告発人 浜口卓也
被告発人 大網健二
被告発人
〒920-0931 石川県金沢市兼六元町3-14 野田政仁法律事務所
野田政仁弁護士
被告発人
〒924-0885白山市殿町48番地 弁護士法人兼六法律事務所白山事務所
小堀秀幸弁護士
被告発人
茨城県水戸市大町1-1-38
水戸地裁部総括判事・水戸家裁部総括判事・水戸簡裁判事
小川賢司裁判官
被告発人
金沢大学教授(当時)
山口成良金沢大学教授

 被告発人らの所為は、市場急配センター(所在地: 〒920-0025 石川県金沢市駅西本町5丁目10−20)における殺人未遂の共謀共同正犯として法的評価すべきもの,また,弁護士、裁判官らの立場と職権で犯罪事実を隠ぺいした事後共犯であると思料するので、犯情甚だ悪質につき、無期懲役刑を含む厳重な処罰を求め、ここに告発に及びます。

被害者
〒921-8035 石川県金沢市泉が丘二丁目一番三三号
安藤文
告発人
〒927-0431 石川県鳳珠郡能登町宇出津山分10-3
廣野秀樹

令和5年8月31日


 

目次
第1 告発の事実 1
1 あ 1
(1) あ 1

第1. 告発の事実
    1. 被告発人木梨松嗣弁護士の罪となるべき事実
        (1). 北陸中日新聞2023年8月28日付朝刊に出てきた出雲義浩刑務官

 能登町役場内にある北陸中日新聞に金沢刑務所の記事があり、社会一面の一番大きな記事ですが、すぐに見覚えのある名前を見つけました。花壇で腰を屈める二人の刑務官の写真があって、最初に見てから40分以上経って気がついたのですが、向かって左側と思っていた出雲義浩刑務官が左側の人物と気がつきました。

 かなり小柄な体型という印象が強く、それで取り違えたのですが、本文に年齢が62歳と42歳とあって、最初実際は42歳の刑務官を出雲義浩刑務官と思っていたことになります。体格に違いがあって小柄な方が出雲義浩刑務官という先入観がありました。

 よく見ると右側の出雲義浩刑務官はメガネを掛けていて、メガネを掛けていたのは記憶通りですが、写真に見える笑顔が、平成5年当時の出雲義浩刑務官とはまるで違っていて、まるで別人のようです。左手の42歳の刑務官も軽い笑顔ですが、こちらの表情の方が平成5年当時の出雲義浩刑務官の面影があるように感じました。

 出雲義浩刑務官の名前は、平成4年8月の控訴申立書に名前があり、拘置舎2階担当の上司として、その可能性が高いと最初に署名を見たときから感じていましたが、ずっと長い間、出雲ではなく「出雪」という漢字に見えてそのまま勘違いしていたことになります。これは20年以上続きました。

 証拠資料を確認したところ「066_第1審事件記録1/3 平成04年08月06日付 控訴申立書 金沢刑務所 法務事務官看守 嶋弘 名古屋高等裁判所金沢支部御中-1.jpg」というファイルにある名前は、出雲義浩刑務官ではなく、「嶋弘」という名前で、平成5年当時の金沢刑務所拘置舎2階担当の可能性が高い人物です。この「しま」という名前は拘置所にいるときに聞き覚えがあり、書面でも名前を見た覚えがあります。

 出雲義浩刑務官の署名を確認したのは被告人作成の控訴趣意書でした、証拠資料の「005_甲号証(四) 平成04年10月05日付 控訴趣意書 被告人廣野秀樹作成 名古屋高裁金沢支部御中 46頁(手書き)-46.jpg」というファイルです。

 なお、この接頭辞になっている証拠資料の3桁の番号ですが、書面として提出する証拠資料につけたラベルの番号に合わせて、ファイル名を変更する予定です。また、提出する証拠資料に合わせて変更した画像ファイルは、すべてではないですが、証拠方法の証拠説明としてインターネット上に公開する予定です。

 告発人廣野秀樹は、平成4年5月28日に金沢刑務所の拘置所に入った当時27歳でしたが、現在58歳で、今年の11月の誕生日で59歳になります。拘置所にいる頃は10歳以上年上で40代とも考えていた当時は名前を知らなかった出雲義浩刑務官ですが、新聞では年齢が62歳になっていて、これはとても驚きました。

        (2). 被告発人木梨松嗣弁護士の犯罪性の証明として重要な証人となりうる出雲義浩刑務官

 平成4年中の記憶は残っていない出雲義浩刑務官ですが、夕方の点検は毎日のように姿を見ていて、独居房の食器口で正面に向き合って敬礼をしていました。横に嶋弘担当がいてドアノブを勢いよく引き下げ施錠の確認をしながら「番号」と大きな声を掛けていくのです。嶋弘担当も特に身長は高くなく、あっても175センチぐらいと推定しますが、出雲義浩刑務官の小柄さがかなり目立ったいました。

 現在62歳とすると当時は30歳過ぎですが、30歳を過ぎてから身長が伸びたという話は聞いたことがなく、今日の北陸中日新聞の写真では右となっている出雲義浩刑務官の方が、左の刑務官より大柄なだけではなく、身長も高く見えます。

 平成11年の9月も出雲義浩刑務官にも会っているのですが、拘置所での記憶は現在残っていないので部署が変わっていたのかもしれません。今日の北陸中日新聞では用度課となっています。用度という言葉自体余り見たことがなく、拘置所や刑務所にいるときも見ることはありませんでした。

 Googleで用度を調べると事務用品の供給などとありました。

 平成11年は、入所時の領置品検査を出雲義浩刑務官に受けました。金沢刑務所の敷地内で拘置舎に向かう通路は突き当たりのTの字で左が拘置舎ですが、その手前の右手に刑務官の事務室や食道がある建物があって、通路の左右に部屋があるのですが、その通路の左手の横に出入り口がある部屋でした。

 平成4年の時とは領置品検査を受ける部屋が違っていましたが、通路を挟んだ向かい辺りに、捜査本部の看板のようなもので「金沢少年鑑別所」とありました。その辺りに部屋があるとは気がつかずにいたのですが、金沢地方裁判所への行き来や面会の時は決まって通る通路でした。

 この出雲義浩刑務官の領置品検査で印象的だったのは、出雲義浩刑務官が使うノートパソコンで画面の変化が目で追えないほど高速でした。

 拘置所の場合、未決になるので衣類が私物になりますが、模様や形状、色を見て、特定できる言葉で書き込んでいました。これはなかなか凄いことだと感心ていました。自分の場合、母親が郵送してくるので領置する衣類の数が多く、それで出雲義浩刑務官に厳しく注意を受けたことがありました。入所時の所持品検査の後になるように思います。

 出雲義浩刑務官と会話をするようなことは少なかったですが、問題を起こした近くの舎房の収容者のことで、取調べを受けたことはありました。拘置舎の1階には刑務官の事務室のような部屋があって、その左側にまるで警察署の取調室のような小さい部屋がありました。

 母親の差し入れのこともありますが、出雲義浩刑務官は告発人廣野秀樹のことをかなり問題のある収容者と思っている様子でした。きっかけは名古屋高裁金沢支部から平成5年9月7日という判決公判の期日指定の書面が来たことです。被告発人木梨松嗣弁護士には何度連絡をしても応答がなく、その不満やいらだちを刑務官にぶつけることがありました。

 怒り狂ったような形相で注意を受けたことがあり、それが出雲義浩刑務官の上司と思われる刑務官で、「ふちょう」と呼ばれるのをよく聞いていたのですが、看護婦の婦長であるはずもなく、区長をまぎわらしく発音しているのではと勘ぐることがありました。

 ここでは区長としておきますが、普通の名古屋弁でした。名古屋には短い間でしたが住んだことがあり、金沢市場輸送でも名古屋の方から来た運転手が2人ほどいて、名古屋弁は聞き慣れていました。身長は高くなかったですが、横幅が広く大きく見える体型でした。普段は、違和感を感じるほど優しそうな控えめな対応をしていましたが、顔はシーサーや唐獅子を連想させるようでかなり強面の感じでした。

 拘置舎は3階建てで、1階は手前から女子区、事務室、集団の浴場、そして雑居房が3つかあるいは4つ並んでいました。2階と3階はほぼ同じような間取りで、一人用の浴室2つ、理髪室があり、浴室の手前には物置があったかもしれないですが、理髪室の先には201から226まで26の独居房が並んでいました。

 独居房の出入りは薄い引き戸になっていましたが、わざとそうしてあるのか、出入りをするときは大きな音がして、通路全体に響いていたので、収容者の出入りはすぐにわかりました。出廷や面会が多いですが、医務というのもありました。

 ネットでもほとんど見たことがなく、まさに娑婆との違いなのかと思うことがありますが、拘置所も刑務所もやることはすべて願箋となっていました。昔の戦争映画かドラマで軍人が配給品をもらうための紙のようなものでしたが、それが記録や管理になっているうようでした。

 裁判所や検察庁に書面を出すのも、認書作成願い、大型封筒使用願いが必要で、見取図の書き込みも願箋を出し許可が必要でした。

 そのような刑務所の帳簿等の保管期間などの話はまったく聞いたことがないですが、早い時点で金沢刑務所の刑務官には目を付けられ、普通は許可されないような信書の枚数超過でも許可がおりなかったことはなかったので、記録も保存されていると思います。そもそも刑の執行を監督するのも検察庁となっているので、特別な指示が出ていたとして不思議はないと考えています。

 先日というか昨日の8月27日になりますが、図書館でMacbookを開き、Kindleアプリで「千穂ちゃん ごめん」という電子書籍の本を読んでいたところ、平成5年10月のこととして、神社の連続放火事件が出てきて、逮捕されたのか気になり、図書館にある北國新聞縮小版の平成5年10月から平成6年4月の県内の事件・事故、裁判の索引に目を通し、気になる記事のページを開いていました。

 そのところ、平成5年11月18日に「辰口の神社でまた不審火」という記事があり、同年10月19日に「放火事件捜査員に投石」「公務執行妨害 金沢の会社員を逮捕」という記事があって、その中の小さい見出しに「連続放火に関連か 声明文と指紋一致」とありました。

 11月18日の記事には「辰口町では先月12日に仏大寺の観音山中腹にある観音堂が不審火により全焼している。」とあるのですが、10月18日に逮捕の記事があり、その後の不審火で、翌年の4月まで索引に目を通しましたが、関連のある見出しは見当たりませんでした。

 逮捕された被疑者の名前と住所が気になったのですが、拘置所でよく問題を起こしていた収容者ではないかと思いました。当時、北國新聞を購読していて、その収容者が刑事裁判の法廷でも問題を起こしているという記事を読んでいました。事件の内容はよく覚えていないですが、公務執行妨害だった可能性はあると思います。

 ただ、放火という記憶は、他に拘置所で読んでいた北國新聞の記事でも記憶がなく、それもあったので同じ時期の連続放火のことが気になり、調べたのです。電子書籍の本には、北陸三県での連続放火とあったような気がします。

 金沢刑務所の拘置所で問題を起こしていた収容者ですが、福井刑務所の工場で一緒になったことがありました。誰とも話をしないようなタイプで、強い個性が感じられましたが、すぐに問題を起こし工場からいなくなりました。よくある名前なので、あるいは別人なのかもしれないです。

 雑記帳の記載では平成6年3月1日まで拘置所にいたことになり、午前中に受刑者となりました。ぎりぎりまで新聞の購読をしていたのか記憶にないですが、受刑者になった時点で新聞の購読は出来なくなります。禁止はされていなかったように思いますが、これまでのところ雑記帳で、新聞の記事の見出しや内容を書き込んだ形跡は一度も確認していません。

 思い出せないのは受刑者になった直後の分類審査中の新聞の閲読です。工場出役となったあとは新聞の閲読ができました。金沢刑務所は違ったように思いますが、福井刑務所の場合は、夕食後にも舎房を回す新聞の閲読がありました。福井刑務所も金沢刑務所も受刑中は読売新聞でした。

 福井刑務所の読売新聞で金沢地方裁判所の刑事裁判の記事を読んだ記憶はないので、拘置所にいる間に記事を読んだことになります。新聞の購読の申し込みはは10日かあるいは半月に期間が決まっていて、たぶん平成4年から拘置所にいたときは、ずっと申し込みを繰り返していたと思います。一度だけ、もう1紙購読の出来る読売新聞を購読したことも記憶にあります。

 名前と金沢市内の住所が一致したように感じたのは、平成9年中の可能性もありますが、まだ記録の新しい段階で、北國新聞縮小版の記事でたまたま見かけたような記憶があるからです。別の探し物と同じ紙面に記事がありました。

 拘置所の点検のことで思い出しましたが、ドアの点検と番号の声かけをしていたのは、嶋弘担当と違う刑務官の方が多かったように思います。嶋弘担当の場合は余り特徴がなく、普通に「ばんごう」と聞こえたように思いますが、個性の強い刑務官が何人かいて、大きな声で、「んんんごおぉぉぉ」などとうなり声を上げていました。

 個人で確認することは難しいですが、被告発人木梨松嗣弁護士の接見も金沢刑務所に記録が残っている可能性があり、書面の受発信も同じです。平成5年9月7日には、被告発人小島裕史裁判長の控訴棄却の判決の言い渡しを受けた後、金沢刑務所に戻ってすぐ、母親の面会があり、大きな声で「人権擁護委員を呼んでこい!」と激高しながらアクリル板を殴りつけたので、大勢の刑務官に連れ出されたあと、保護房に入れられ、革手錠をつけられました。

 革手錠は49時間ほどつけっぱなしで、革手錠を外されてから25時間ほど続けて保護房にいて、そのあとに保護房を出て、拘置所とは違う棟の個室の浴場に入って、そのあと201房に収容されました。自殺防止の突起物のない独居房で監視カメラがついていました。その201房にいる間に、取調べを受け、25日の懲罰となりました。

 懲罰が終わり書き物をしたり本を読む普通の生活が出来るようになったのは10月の10日過ぎだったと思います。手紙の受発信も普通に出来るようになっていましたが、面会に来るように被告発人木梨松嗣弁護士に手紙を書き送った記憶はなく、上告審も被告発人木梨松嗣弁護士に受任してもらうつもりという前提で、「平成5年11月28日付の手書きの書面」を作成しています。

 時刻は17時08分になっていますが、まだ能登町役場内にいて、家に戻ってから確認しますが、「平成5年11月28日付の手書きの書面」はページが全部揃っていなかったように思います。

 被告発人木梨松嗣弁護士の目的は測りきれない部分が大きいですが、心神喪失や心神耗弱などと控訴審で主張し、精神鑑定の実施を名古屋高裁金沢支部に求め、その実施の決定を出したのも被告発人小島裕史裁判長になります。

 袴田事件の袴田巌さんが、何年頃に独房で精神の異常を来し、親族との面会を拒むようになったのか、ネットで調べないとわからないですが、平成に入ってからということはなかったと思います。

 死刑囚が再審で無罪となった免田事件のことは、テレビで大々的な報道があったので知っていて、同じ頃に免田事件を合わせて4つの死刑囚の再審無罪の判決があったことは、何かでみかけて傷害・準強姦被告事件を起こす平成4年4月1日より前、たぶんまだ昭和の頃に知っていたと思います。ただ、免田事件以外はテレビニュースや新聞記事を見た記憶がありません。報道自体も免田事件は別格の扱いがあった気がします。
(3). 3日目になって、上司ではない別の刑務官に思えてきた北陸中日新聞の記事に出ている出雲義浩刑務官
金沢刑務所前に花壇 なぜ 塀の外 明るい種を:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=757512&pid=3814443

金沢刑務所前に花壇 なぜ 塀の外 明るい種を:北陸中日新聞Web
金沢刑務所の入り口にある三角地帯の花壇が見事です。以前は何もありませんでしたが、今年は花たちが笑顔と元気をくれています=金www.chunichi.co.jp

 一番最初に写真を見たとき、右側の刑務官は見覚えがあると感じました。実際、似たような背格好と顔立ちの刑務官は他にいたように思いますが、通路で見かけるだけという関係の刑務官だったような記憶です。

 北陸中日新聞の写真に右とあるのが出雲義浩刑務官で、自分の手書きの控訴趣意書に署名が記録されていることから身近い関係があった刑務官と推測しました。

 そんなことでずっと署名のある出雲義浩刑務官は、拘置舎2階担当の嶋弘刑務官の直属の上司の刑務官という認識が出来たことになります。

 今日になって気がついたのは、嶋弘刑務官の直属の部下になるような刑務官で、副担当と聞いたことがあったような記憶です。

 ただ、刑務所の工場でも担当刑務官は身近で特別な存在でしたが、副担当というのは聞いたことがなかったと思います。担当の交代の刑務官は入れ替わりでした。

 いちおう副担当ということにしておきますが、体がかなり大柄で、体型が似たような制服ということも大きいですが、銀河鉄道999の車掌で、太い体型はそのままに上背を高くした感じでした。

 メガネを掛けていたことも記憶にありますが、一番の特徴は話し方が能登弁で、それも珠洲市蛸島の出身と思われるしゃべり方、そっくりでした。

 この珠洲市蛸島のしゃべり方、というのは昭和59年によく耳にしていたもので、金沢市場輸送の配車係だった北浜さんと、運転手をしていて、たしか免許取り消しになった「おっさま」と呼ばれる弟がいました。

 ただ、当時は刑務官の見習いという雰囲気もあり、刑務官の仕事を見ながら雑用をこなしているだけで、書類に署名をすることは、まだありえないという単純な思い込みがあとに続いたように思います。

 刑務官の階級やできることの違いというのも警察官と違いわかりにくさがあります。ほとんど情報がないのかもしれないですが、警察官なら一定の階級以上で逮捕状の請求ができるとか、そういう違いは割とよく見かけてきた情報です。

 出雲義浩刑務官が、珠洲市や蛸島町の出身という断定はできないですが、仮にそうだとしたら現在62歳という年齢は、平成元年1月に松波港に車で飛び込んで自殺したとされる蛸島のTSさんと、同じぐらいの年齢になります。

 金沢刑務所の刑務官に能登の出身者が多いという話は聞いたことがありました。実際に能登の言葉で話す刑務官が何人書いて、ほぼ標準語で話す刑務官もいたと思いますが、金沢弁を丸出しにした刑務官は見なかったように思います。

        (4). 情報を一切与えず、独居房に拘束

 他に経験がないので比較が難しい点はありますが、情報は一切与えられなかったと言えます。国選の刑事弁護の範囲というのは、平成12年の上告審で国選弁護人となった山口治夫弁護士(東京弁護士会)の手紙にありましたが、被告発人木梨松嗣弁護士の場合は私選でした。

 当時、母親には30万円と聞いていた私選の弁護費用で、京都に住み、長男になる母親の弟が用立ててくれたと聞いていました。

 2012年8月には、同じく京都市内に住む、母親の次女になるおばさんに、弁護費用は50万円で、自分たち(夫婦)が出したと聞かされ、さらに驚いたのは、被告発人大網健二の紹介の弁護士で、自分たちは知らない弁護士と聞かされました。

 なぜ母親に直接、被告発人木梨松嗣弁護士のことを尋ねなかったかというと、見極めが難しい状況で、下手な動きをするのは得策ではないという判断と、何より大きかったのは福井刑務所に服役中に発生した被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺害事件のことが大きく影を落とし、この事件と近い時期に発生したのが、被告発人長谷川紘之弁護士の自宅で妻が被害に遭ったという強盗事件のことがあります。

 被告発人大網健二と被告発人松平日出男との間には、いろいろと接点があり、被告発人松平日出男が責任を追及されるかもしれないという不安から、あちこちに手を回したり、事態を攪乱させるために画策をしている可能性というのも考えました。

 平成4年の8月中頃になりますが、被告発人松平日出男が金沢刑務所に面会に来たことがあり、体全体が痩せて小さくなったように感じましたが、際だったのが顔面で干からびた梅干しのように縮んで見えました。
(5). 平成6年11月になり福井刑務所に送りつけてきた一件記録
 被告発人木梨松嗣弁護士が最初から刑務所の出所後に再審請求をすることを前提にことを進めたという考えがありました。必ず自分を頼ってくるという見通しがあったという前提です。

 最近は違う見立ても出てきて、告発人廣野秀樹が福井刑務所から刑事告訴や刑事告発をしていたことで、警察の動きに刺激され、このままでは立場がまずいと考えて先手を打つかたちで、一件記録を送ってきたという可能性です。

 母親経由の一件記録の郵送でしたが、一週間か10日ほど間を挟んで同じ福井刑務所に郵送されたのが被告発人長谷川紘之弁護士の甲号証です。訴状も一緒になっていたように思います。これも金沢地方裁判所民事部A係経由でした。

 被告発人長谷川紘之弁護士と被告発人木梨松嗣弁護士が示し合わせて時期を合わせたという可能性をこれまで考えていましたが、今は、被告発人木梨松嗣弁護士が被告発人長谷川紘之弁護士に探りを入れて、時期を合わせた可能性も考えています。

    2. 被告発人長谷川紘之弁護士の関与とその影響
        (1). 被害者安藤文さんの訴訟代理人

 飛び込みや無料法律相談がきっかけという可能性も否定はできないですが、何か伝手があって訴訟代理人になった可能性が高いとは考えています。

 考えてみると、この長谷川紘之弁護士は、7月1日の石川県立図書館でのデータベース検索で、調べるのを忘れていたかもしれません。今は暑さ対策で図書館にいて確認はできないのですが、検索結果も印刷してあるので、家に戻ってから探して確認をします。

 いずれにせよ、これまでのところ長谷川紘之弁護士が金沢弁護士会の会長だったという情報は確認出来ていないように思います。思い出したのですが、石川県立図書館でのデータベース検索では、被告発人長谷川紘之弁護士に関してずいぶん意外な情報の発見があり、インターネット上に同じ情報を見ることがなかったのがとても不思議に思えました。

 上記の検索を行いましたが、それらしい情報はありませんでした。

 石川県立図書館でのデータベース検索で、けっこうな数、出てきた野球に関する情報が、Googleの検索では見当たりません。

 家にある印刷してきた記事をみれば、時期やチーム名の特定もできると思います。金沢から家に戻って、なるべく早く調べるつもりでいたのですが、印刷してきた記事も被告発人木梨松嗣弁護士の1つを除いては、ほとんど目を通していません。一度、図書館に持ち込んだことがありました。

        (2). 民事訴訟の判決

 被告発人長谷川紘之弁護士の訴状と、その訴状に対する被告発人古川龍一裁判官の認容判決は、証拠資料として用意していないように思います。それを含めて来月9月中には、証拠資料をまとめ上げて印刷し、御庁に郵送したいと思います。

 Kindleからの収入があれば、金沢に行き、直接お渡しすることも出来るのですが、未だ収入の目途は立っておらず、7月分の振り込みは1円というあり得ないような金額でした。

 被告発人長谷川紘之弁護士については、比較的に重要度が低いとも考えているのですが、安藤健次郎さんからの情報が得やすい人物ということと、すでに亡くなっている可能性が高く、話を聞ける可能性がないからです。
(3). 被告発人長谷川紘之弁護士の死亡説
 時期が余りはっきりと特定できなかったのですが、2018年の3月中だったと思います。まだかなり寒い真冬のような時期でしたが、当日のアジの釣れ具合から3月の可能性が高いと考えています。あるいは4月中で、たまたま真冬のように寒い日だったのかもしれません。

 場所は九十九湾ですが、穴場のような釣り場所でした。夜、そこで金沢から魚釣りに来たという人と話をするようになり、被告発人長谷川紘之弁護士と近所づきあいがあり、金沢弁護士会の会長だったことと、肺がんで死んだような話を聞きました。

 けっこう長く病院に入院していて、そのあとに亡くなったという説明でしたが、病状が悪化して見舞いに行っても会ってもらえなかったとも話していました。

 偶然の出会いだったのか、告発人廣野秀樹の方から確認する術はないですが、金沢弁護士会の会長だったということを強調しているようにも思えたので、名前を出していただけという可能性は考えられます。

 被告発人長谷川紘之弁護士の話が出る前だったように思いますが、金沢市内の自宅の場所をずいぶん細かく話しているのが気になりました。細かい特定は避けますが、生協の近くと話していました。

 昭和59年になるのか、昭和61年の秋かもしれないですが、一度、金沢市場輸送の仕事で行ったことのあるような店の名前に聞こえました。当時はその辺りに余り広い道路はなかったという記憶で、店舗の場所も変わっている可能性があります。

 釣りをしていたのは一人でしたが、大きめの乗用車の中に息子がいて、外を歩く姿を少し目撃しています。年は78歳と聞いてかもしれないですが、よく憶えていません。遠目でしたが息子の方は、30代のように見えました。

 話し好きだったのか仕事のことなどいろいろと話いていましたが、娘が小さい頃に日本脳炎になり重い後遺症で、苦労して育てたとしみじみ語っていたのが特に印象的でした。

 昭和40年代の後半になると思いますが、小学生の頃によく耳にした記憶のある日本脳炎という病気です。

 この夜、九十九湾に行ったのは、少し必然性があって、夕方に小木港東一文字堤防から戻ったからで、エサが余っていることもあり、九十九湾に行ったのです、同じパターンは他にも何度かありました。同じように撮影した写真もあったので、日付が特定できませんでした。

  • (1/10/669647:検索:徳永有美)ツイート:@hirono_hideki()2018-08-09 08:08:08

報ステに徳永有美アナが13年ぶり復帰 内村光良夫人「一日入魂」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180808-00000106-dal-ent
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/1027330686359724032

 有名人の妻で金沢出身の女子アナと知りましたが、よく知っているらしいことを話に聞き、初めて知った女子アナの名前です。8月になってネットで調べた形跡ですが、まだ寒い時期でした。

 残雪のことなど記憶にないのですが、その被告発人長谷川紘之弁護士のことを話していた人が、まるで南極探検隊のような分厚い防寒着を着ていたのが印象的で、それだけ寒かったという時期になります。

 金沢弁護士会のホームページに会員名簿のようなものがあって、そこに被告発人長谷川紘之弁護士の名前がないことは確認しています。
(4). 被告発人長谷川紘之弁護士個人の考えで動いた訴訟代理人だったのかという疑問
 同業の弁護士であれば、いくらか察しがつきそうな気がしますが、刑事裁判の訴訟記録のみを根拠にした損害賠償請求というのは、一般的なスタイルという可能性もあります。

 安藤健次郎さんの真意は測りかねるところで、どこでどのような打ち合わせがあったのか、それも知る術がありません。

 北國新聞縮小版の記事で見た、強盗事件の現場は金沢市の大額になっていたという記憶です。被告発人長谷川紘之弁護士と近所に住んでいたという人が話していた自宅の場所もだいたいその近くになります。

 大額の奥には四十万という地名があって、白山市との合併前の石川郡に隣接しているという認識でいましたが、平成9年の9月頃に、何度か現場仕事に行ったことがありました。

 大額は昭和59年に友人が彼女とアパートに同棲していて、よく遊びに行っていましたが、他は金沢市内でも滅多に行くような場所ではなく、ただ、金沢市内の外れに近い、遠い場所という印象がありました。

 事務所のページ内検索で調べましたが、やはり被告発人長谷川紘之弁護士の法律事務所は、裁判所や検察庁に近い金沢市大手町にありました。

 自宅が大額だとしてもこれはかなりの距離があり、混み合いもありそうな道路なので、通勤に時間が掛かりそうです。

 Googleマップで経路検索をすると8キロから9キロで車の所要時間が20分ぐらいとなっています。思ったほど離れてはいませんでした。

 被告発人長谷川紘之弁護士は訴訟代理人として訴状を出しただけですが、福井刑務所に送りつけてきた甲号証は、ほとんどが刑事裁判の訴訟記録でした。他には石川県立中央病院の領収書があったぐらいかと思います。

 被告発人長谷川紘之弁護士が独断で動いていたのか、やはり確認の術はなく、資料も乏しいといわざるを得ません。
(5). プロ野球誘致の会 金沢

 「プロ野球誘致の会」という見出しは2005年のデータベースの記事にありましたが、金沢で絞り込みを掛けてもそれらしい情報は一切出ることがなく、インターネット上ではもともと存在しなかったのか、それも委託した業者などによって消された情報ということになりそうです。

 これは朝日新聞クロスサーチで2005年03月12日朝刊、「県議らに説明、協力を求める プロ野球誘致の会 /石川」という見出しの記事です。

 本文には「同会顧問の弁護士長谷川紘之さんは「縮小して繁栄はあり得ない。プロ野球球団はあと四つは増える」と説明。」などとあります。

 同じ朝日新聞クロスサーチの2004年12月24日朝刊の記事は、「長谷川紘之さん プロ野球の新球団来まっし(ひと 立ち話) /石川」という見出しの記事があります。

 同じく2005年11月03日朝刊は「道遠し、だが、夢みのれ「金沢に来まっしプロ野球の会」もうすぐ発足1年/石川県」と見出しがあります。

        (6). 被告訴人への追加時期は2015年11月

先ほど金沢地方検察庁に電話をし、木梨松嗣弁護士に加え、長谷川紘之弁護士、古川龍一裁判官、小島裕史裁判長を殺人未遂事件関与の容疑の被告訴人として追加する旨を正式にお伝えしました。
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/668965732408012801
 「電話」のページ内検索で、平成9年1月終わり頃に掛けた電話を調べたのですが、意外な発見でした。これはいずれ調べて確認しておく必要性を感じていたことです。

  • (355/1055/669647):ツイート (@kk_hirono) 2021-05-04 10:49:49

20051218:[link]  これは夜に掛けた電話でしたが、同じ頃、岡田進、長谷川紘之、木梨松嗣の弁護士事務所にも電話を掛けましたが、いずれも弁護士本人は不在だといわれました。長谷川弁護士だったと思いますが、
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1389396775308468226

 これは2005年の記事の引用のようです。弁護士と直接話をした記憶はなかったのですが、不在と言われたことを確認しました。実際は1件だけ、たまたまあなたの事件のことを知っている、などという切り出しで話をされたのですが、これは被告発人岡田進弁護士本人の可能性が高いと思いました。恨みを込めた口調というか、被害者意識が強く、正当化をしたいような様子でした。

  • (358/1055/669647):ツイート (@kk_hirono) 2021-05-04 12:50:50

同じ頃、岡田進、長谷川紘之、木梨松嗣の弁護士事務所にも電話を掛けましたが、いずれも弁護士本人は不在だといわれました。長谷川弁護士だったと思いますが、会話のなかでご本人かもしれないという印象を受けました。私のことを知っているといい、詰るようなことを言っていたからです。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1389427210902151178

 被告発人長谷川紘之弁護士は訴訟代理人なので事件のことを知っているのは当然ですが、被告発人岡田進弁護士の事務所は不在とだけ伝え、もったいをつけて切り出したのは、やはり被告発人長谷川紘之弁護士の事務所だったのかもしれません。弁護士本人は不在だと言ったので、事務員を想像しましたが、本当に事務員で民事裁判に関与していた可能性はありそうです。

 ただ、余りに強い思い入れが伝わってきたので、弁護士本人の可能性の方が高いと感じていました。これも確認が難しいですが、被害者安藤文さんの親戚や友人関係があったという可能性も否定はできず、特に親戚関係があった場合、依頼者となった経緯もわかりやすくなります。

  • (399/1055/669647):ツイート (@kk_hirono) 2021-05-18 22:38:38

あと,平成9年の2月頃に掛けた電話で,被告発人岡田進弁護士を被告発人長谷川紘之弁護士と取り違えたような記事もネットで書いていたと最近になって確認しているのですが,やはり被告発人岡田進弁護士の可能性が高いと思います。これも被告発人岡田進弁護士をメインに後日取り上げます。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1394648611636486147

 2年ほど前に書いたものですが、被告発人岡田進弁護士の可能性が高いとしています。平成9年から数年間ははっきりと記憶にあったはずで、その間に作成した書面にある記述が事実に近いと思います。

    3. 被告発人古川龍一裁判官の関与とその影響
        (1). 福井刑務所での出張・本人尋問

 被告発人長谷川紘之弁護士とは一度も顔を合わせていないと思いますが、福井刑務所に被告発人古川龍一裁判官の出張尋問があり、その費用として1万2千円ほどを払わされたと思います。その書面もデータ化したものがあったはずです。

 裁判官の出張尋問というのも他に例をしらず、その場所も福井刑務所でした。一度、正面から外に出た後、左隣にある別の建物で、その2階で本人尋問を受けたという場面の記憶があります。

 余り広い部屋ではなかったですが、けっこう人の集まりがあったと記憶にあります。制服の刑務官の姿もあったかもしれないですが、ほとんどが刑務官の制服とは違っていたような記憶もあります。

 本人尋問というのは、手元に届いた書面の記載にあったという記憶です。正式な手続など理解していなかった可能性がありますが、直接話を聞いて欲しいという趣旨の記載が提出した書面にあり、被告発人古川龍一裁判官がそれに応えるかたちで実施したので、費用は被告の負担となっていたのかもしれません。

 尋問という質問のようなものを受けて話をしたのも被告発人古川龍一裁判官一人でした。ぼんやりした部屋の中の記憶となっていますが、椅子のようなものはなく、立ったまま被告発人古川龍一裁判官と向き合い、至近距離で話をした場面が記憶にあり、ドラマや映画の撮影をアドリブでやったような感覚が残っています。

 学校で演芸のようなことはやっておらず、そういう演芸の催し自体が小中学校ではなかったという記憶です。

        (2). 賠償認容の判決

 証拠方法として判決書等を公開し直す予定です。民事裁判は刑事裁判に比べて事実の認定がゆるやかとも聞いていますが、被告発人長谷川紘之弁護士が提出したのも刑事裁判の訴訟記録で、安藤健次郎さんの尋問が法廷であったはずですが、内容はまったく知らされていません。

 福井刑務所の刑務官の出廷の許可を求めたので、この安藤健次郎さんの尋問のことはよく覚えています。

 刑事裁判の引き写しのような賠償認容の判決なので、素人がとやかくいうのも難しいと諦めてきましたが、その効果は絶大で、傷害・準強姦被告事件の刑事裁判の訴訟記録の正当性を追認したものとなっています。

 傷害・準強姦被告事件の刑事裁判の事実の認定に疑問を持たなかったのか本人でないとわかりかねますが、それも裁判官という立場で判決を出している以上、相当の責任は負うべきで、殺人未遂事件としての捜査が本格化すれば、その対応如何で、十分に法益侵害の犯罪性が認められ、刑事責任を負うべきと思います。

 これは他の弁護士、裁判官の被告発人に共通した立場ですが、被告発人古川龍一裁判官の場合、関与の度合いは比較的弱いかもしれず、被告発人木梨松嗣弁護士の思惑に巻き込まれた関係者という一面もあるのかもしれません。

        (3). 被告発人長谷川紘之弁護士との関係

 被告発人古川龍一裁判官と被告発人長谷川紘之弁護士との関係も推測の域をでることはないですが、事実上、かなりのなれ合い体質で、刑事被告人を舐め腐り、粗末な扱いをしたという評価は当然です。

 被害者安藤文さんや安藤健次郎さん、安藤紀世さんという被害者家族に対しても、誠実に弁護士としての職務を遂行したとは評価が出来ず、警察の捜査や検察の判断にあらや不手際のあることを承知のうえで、悪用すべく、共同主体の意思形成をしていたと評価するのが相応しく、この30年余りに与えた被害の深刻さと、そのままやりすごせた蓋然性の高さ、問題を見向きもしないで放置した悪質さに徴し、相当に重い刑事責任が必要と思料します。

    4. 被告発人若杉幸平弁護士の関与と刑事責任
        (1). 平成6年7月20日付回答書(金沢弁護士会人権擁護委員会・委員長・若杉幸平)

 Macbookのパソコン内でファイルが見つからず、Googleフォトで探してダウンロードし、そのファイルを使ってnoteの記事を作成しました。

 平成6年7月ですが、福井刑務所の雑居房にいた頃です。南寮306房と記憶にあります。4月の初めに2週間の新入教育があり、そのあと第2工場に配役となりました。ほぼ同時期に、金沢の検察審査会にも申立てをしていて、そちらからも回答書のようなものがありましたが、より具体的な内容となっていたことは覚えています。

 被告発人若杉幸平弁護士のこの回答書はとても簡潔で、とりつくしまもありません。いちおう調査検討をしたと書いてありますが、被告発人岡田進弁護士や被告発人木梨松嗣弁護士に話を聞いたのか、それも疑問で、何もしないで形式的に処理をした可能性があり、その大前提となるのも確定した有罪判決になると思います。

 弁護士による権利侵害、人権侵害はこのようなもので、まったく救いようのないことの歴史的証明となっています。国民すべてがこれでよしと受け取るのか、そのあたりも問われるべき公益性です。
(2). 被告発人大網健二との関係

直前のこととしてはっきり憶えていることは被告訴人OKNが若杉幸平弁護士のことを、兄の被告訴人OSNの仕事関係で親会社のような存在である清水建設の顧問弁護士で、その関係で知り合っていると話していたことです。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/448735381333094400

 清水建設とだけ書いてありますが、被告発人大網健二は、その時同時に「豊蔵組」の名前を出していたかもしれず、やや曖昧に聞こえる言い回しで話をしていたと記憶にあります。

 被告発人大網健二は豊蔵組の話をすることが多く、会社の前まで行き、駐車場に車の中で待たされたこともありました。被告発人大網健二は平成11年の4月頃、東京か埼玉の辺りに、この豊蔵組の支店か出張所があるという、これも曖昧な言い回しで話をしていましたが、10年ほど前に豊蔵組をネットで調べたところ、石川県内だけの建設会社でした。

  • (48/261/669647):ツイート (@kk_hirono) 2016-04-30 22:21:21

これも細かいことは別の機会に書いておきたいと思います。豊藏組の東京出張所の話は、さほど疑いも感じずに聞き流したのですが、この項目の本題である若杉幸平弁護士が、清水建設の顧問弁護士で、その関係でお前の事件の話をすることになったという話は、余りに不自然に思いました。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/726401021832884224

  • (53/261/669647):ツイート (@kk_hirono) 2016-05-01 08:47:47

北安江の借家に被告訴人OKNの送り迎えがあって、若杉幸平弁護士の事務所に行ったことと、それが午前中だったことは記録映像のようによく憶えているのですが、その前後の状況となるとつながりをもって思い出せることがありません。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/726558658344030209

  • (54/261/669647):ツイート (@kk_hirono) 2016-05-01 08:50:50

はっきりしていることは、私の北安江の借家の前に車をとめて私をおろした被告訴人OKNは、そのまますぐに走り去っていったこと、若杉幸平弁護士の事務所からの帰りの車内では、言葉は少なかったものの、時折ほくそ笑むような満足そうな顔をしていたことです。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/726559376694075393

 上記のまとめ記事で「宇出津小学校」と「小学校」のページ内検索は1つだけの該当でした。

  • (24/261/669647):ツイート (@kk_hirono) 2014-03-27 09:18:18

項目の主題である若杉幸平弁護士の関与ですが、清水建設の弁護士という辺りから、おおきく別の説明にずれていったかと思います。宇出津小学校の盆踊りのときの話しに戻るのですが、そのとき撮影した写真には小木の二つ上の先輩YMさんの姿があったと思います。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/448977266630868994

 清水建設は全国的に有名な建設会社だと思いますが、昭和51年の6年生に進級するとき現在の宇出津小学校の新校舎になりました。同じ敷地で新校舎の工事がありましたが、友達の間で、工事をしている清水建設は日本一大きな建設会社だと聞いていました。

 平成11年当時、有限会社大網組という社名になっていたと思いますが、豊蔵組と清水建設の下請けの仕事をしているとは被告発人若杉幸平弁護士の事務所に行く前から聞いていたと思います。

 豊蔵組の方は現在の能美市役所の新築工事現場で一緒になることもありましたが、清水建設は関係者KYNの配管工事の現場で見たことがなく、会社が金沢のどこにあるのかも知らずにいました。

 調べて見ると玉川という金沢市立図書館と同じ住所でしたが、道路をはさんで向かいにビルがあります。昨年の4月に歩いて通った場所で、ストリートビューに切り替えると3階建ての建物とわかりました。こんな場所に会社があったというのは意外です。

 被告発人大網健二が、建設現場や建築現場での事故を装い告発人廣野秀樹の殺害を狙っているという可能性は、割と早い段階から考えにありました。正直、被告発人大網健二から被告発人若杉幸平弁護士が清水建設の顧問弁護士だとはっきり聞いた記憶はなかったのですが、とにかく金沢地方検察庁と道路を挟んで向かいになる被告発人若杉幸平弁護士の法律事務所では、錯乱状態とはこれではないかと思えるほど、被告発人若杉幸平弁護士は取り乱すような反応をしていました。

        (3). 本当に清水建設の顧問弁護士だったのかという疑問

 顧問弁護士のことはネットで情報をみかけるぐらいの知識しかなく、平成4年の秋頃に、北國銀行で若い行員の横領事件があり、それを拘置所の独居房で購読していた北國新聞の記事で知ったのですが、そこに北國銀行の顧問弁護士として被告発人岡田進弁護士の名前がありました。他に新聞の記事で顧問弁護士の名前を見たのは後にも先にもないと思います。

 平成14年の11月25日頃から羽咋市のアパートで住み始め金沢へは車でちょくちょくと買い物やパソコン関係の本を探しに行っていました。

 平成21年3月15日まで5年3ヶ月余り羽咋市のアパートに住んでいましたが、その最初の頃で、平成15年かあるいは16年になると思います。

 金沢東インターの近くの大きなガソリンスタンドで、学芸会のような手作り感のあるチラシがあり、暴力団追放やその関係の対策となっていましたが、その代表者のように名前があったのが被告発人若杉幸平弁護士です。

 金沢市近郊で大きな建設会社のビルを見たという記憶はなく、清水建設の規模を他の建設会社と比較するのも難しいことになります。平成10年中になりますが、金沢駅前の都ホテルの配管工事があり、しばらくの間、通いましたが、そこは大林組で、全国的に大きな建設会社ということは知っていました。ただ、この大林組も金沢のどこに会社があるのかわかりませんでした。

 住所が金沢市西念1丁目で金沢中央卸売市場の近くですが、Googleマップでは「けやき通り」となっている広い道路沿いで、ここも7月2日に歩いた場所ですが、大きな看板が出ていなかったためか気がつかずにいました。敷地は清水建設の北陸支店より狭く感じますが、ストリートビューで建物を見ると数えて8階建てとなっています。

 最初の検索で金沢営業所と出たので、小さな建物を予想したのですが、結果はずいぶんと違いがありました。

 建物が解体され更地に近い状態になっています。この辺りにチラシを見たガソリンスタンドがあって、大きなガソリンスタンドが2つ並んでいたという記憶で、1つに宇佐美の看板があったとも記憶にあります。

 この宇佐美というガソリンスタンドの看板は、平成4年4月1日まで長距離トラックの運転手の仕事をしていて、体感的に全国のガソリンスタンドの中で一番店舗数が多いと感じていた長距離トラック専用のようなガソリンスタンドでした。実際に一番多いという話も運園主の間で聞いていました。

 2つガソリンスタンドが並んでいて、どちらだったのか記憶がはっきりしませんが、経由グループは同じ国道8号線バイパスで金沢東インターの近くでしたが、逆方向の離れた場所に店舗がありました。

  • (217/261/669647):ツイート 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono) 2022-07-22 07:02:09

平成15年から17年頃の間と思いますが、被告発人若杉幸平弁護士がこの民事介入暴力対策の代表者あるいは委員長であるチラシを、金沢東インターの近くのガソリンスタンドで見た記憶があります。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1550239734857080832

 もうずいぶん長い間、見かけることのない言葉だったので思い出すこともなかったですが、民事介入暴力とあります。引用箇所なのか不明ですが、ツイートは昨年7月22日と比較的最近になります。民事介入暴力という言葉は、そのずっと前から見かけることがなく、思い出すこともなかった気がします。

 清水建設の全国的な知名度は高いと思いますが、金沢での営業規模などは測りかねるところがあり、建物の写真ぐらいしか参考になる資料はありません。会社の規模に応じて顧問弁護士の数も違いがあるものと想像をしますが、建築基準法や現場での労災事故などがつきものの職種なので、より専門性の高い弁護士を顧問にするような気はします。

        (4). 平成11年2月から8月の建築・建設現場の日雇い人夫の仕事

4月か5月頃になって関係者KYNと彼の家の近くの居酒屋で酒を飲んだこともありましたが、派遣として指名するような可能性を示唆する言動がありました。

 それ以上に気になったのが、派遣の会社の黒板の得意先で、本陣建設になります。被告発人大網健二らを刺激しすぎることは、建築・建設現場での事故死を装った計画実行を招く危険性があり、そのような雰囲気がびしばしと伝わってきました。

 具体的な事実は、金沢刑務所にいるときに金沢地方検察庁に上申書として提出してありますが、再審請求でも書面にしていると思います。

 被害者安藤文さんの家が放火されるという可能性も考えにあり、被告発人大網健二兄弟の父親は、美川2少年殺害事件で被害者の家の放火未遂もやっています。

 被告発人若杉幸平弁護士の法律事務所での会話というのは現在ほとんど思い出せないのですが、その場で被告発人大網健二が同席していたことは確かだと思います。それに再審請求が通る見込みの完全否定を被告発人若杉幸平弁護士はしていました。その話を聞いて被告発人大網健二も満足していたようです。

        (5). 平成11年の安藤健次郎さんに対する傷害事件の控訴趣意書

 700ページあると聞いたように思います。印紙代が4万2千円ですが、Kindle出版かnoteの有料記事の収入がなければ、謄本申請に手が届かない状態となっています。

 当時もまだ裁判文書の様式はB4用紙の袋とじだったと思います。金沢地方検察庁の記録係の人には700ページと聞きましたが、700枚だとするとB5サイズで1400枚になるはずです。半分だけ印刷することは出来ないはずで、やはり2ページ分が1枚という計算になりそうです。

 たんたんと事実の記録を書面に記し続けていたという記憶はありますが、控訴趣意書ではなく、金沢地方検察庁への上申書が多かったという記憶が残っていました。

 この平成11年9月から始まった2回目の拘置所での生活では、母親からの現金の差し入れも少なくなって、余りお金が使えなかったという記憶が強くあります。全罫紙は50枚で280円ぐらいだったようんな記憶です。

 「(280*2) * 7」で計算してみると3920円で、それほど大きなお金ではないとわかりましたが、現物を見てみないとわからないものの、平成4年の控訴趣意書より格段に記憶が薄いのも気になっています。実刑判決は確実と被告発人野田政仁弁護士や被告発人小堀秀幸弁護士に言われ、完全な諦めモードなっていたこともありますが、被告発人大網健二らの捜査を重視し、金沢地方検察庁の上申書に力を入れていたという記憶があります。

    5. 被告発人小島裕史裁判長の関与と刑事責任
        (1). 精神鑑定と事実認定の有罪判決

 以前は、弁護士が精神鑑定を請求した以上、むげには排斥できない立場なのかと考えることもありましたが、ろくに話も聞かず、調べもしないで安易に出した決定で、経過を見て楽しんでいたふしさえ窺えます。被害者安藤文さんに対する洞察や憐憫の情も皆無で、これは安藤健次郎さんや安藤紀世さんら家族にもそのまま当てはまり、事実上眼中にない対処です。被害者や家族のために重い判決を支持してやるという姿勢は判決の文中に窺えますが、読書感想文と同じで、その後の生活の影響などを全く考慮していません。

 被告発人木梨松嗣弁護士が精神鑑定にこだわったのも、刑事事件に関わる弁護士らの話を読んでいると普通にあることで、関係者を知的障害扱いするのもまったく見慣れた光景です。これに医師がお墨付きを与えれば、事実上なんでもありですが、本件では被告発人木梨松嗣弁護士が告発人廣野秀樹の精神の破壊を狙った形跡が十分に窺えるもので、極めて危険で悪質な弁護士としての立場の悪用です。

 今回は、この被告発人小島裕史裁判長の判決文も読み直しをしていませんが、証拠方法としてWebサイトで取り上げ、証拠説明を行う予定です。

 被告発人木梨松嗣弁護士の控訴趣意補充書には、告発人廣野秀樹が被害妄想と明言し、市場急配センターの関係者が被害者のように印象づける記述があります。被告発人梅野博之、被告発人池田宏美、被告発人安田敏らの供述調書の断片を引き合いに出していますが、被告人本人に何一つ事実の確認はしておらず、資料は一切見せていません。
(2). 被害者安藤文さん家族に対する責任
 今後、過去の資料を読み込みながら事実関係を整理していく必要を考えています。第一審では一度も公判の傍聴に来ることはなかった安藤健次郎さんですが、控訴審では6回中、3回は傍聴に来ていたと思います。

 初公判と判決公判を除いてになると思いますが、2回目の公判は被害者安藤文さんの兄と二人で来ていて、その兄が法廷で暴れています。そのあとに安藤健次郎さんが傍聴席に一人でいる姿を見た記憶があり、一番はっきりしているのが平成5年7月20日となっている第5回公判です。このときは妻の安藤紀世さんと思われる女性が隣の席にいました。裁判長から見れば、一番奥の右端2つの席で、女性の方が端にいました。すすり泣きながら。

 このあと別に取り上げる予定ですが、10日ほど前、第5回公判の公判調書を読みました。被告発人山口成良金沢大学教授の証人尋問でしたが、これは安藤健次郎さん夫妻に対する公然の詐欺行為ではと感じました。
6. 被告発人野田政仁弁護士の関与と刑事責任
(1). 国選弁護人としての反無限責任
平成11年8月の安藤健次郎さんに対する傷害事件で国選弁護人となった野田政仁弁護士です。福井刑務所で法律の勉強をしている頃、無限責任が出てきた記憶ですが、近年はまったく見かけない言葉です。

債務者の全財産が債務の引き当て(責任財産)となるもの。有限責任に対置される概念。債務者は原則として無限責任を負い,債務不履行(→履行不能)の際は債務者の全財産が強制執行の対象となる。持分会社の有限責任社員の責任(会社法580条2項)のように,全財産が債務の引き当てになるが,責任を負う額に制限がある場合(金額有限責任)に対する意味で,合名会社の社員や合資会社の無限責任社員の責任のように,責任額に制限がなく会社債務について全責任を負う場合を「無限責任」ということがある。

 この被告訴人野田政仁弁護士の場合、国選弁護人は無限に責任を負わなくてよいのかという司法制度上の歴史的課題になります。過去の有罪判決の記録だけを頼りに、話を一切聞かず、再犯になるので必ず実刑判決になると最初に決めつけ、そこで打ち切りました。会話の内容は記憶にないですが、それだけ短く終わった接見で、会話はそれ以外になかったのではと思います。

 この判決は平成11年12月21日に出ています。被告発人小川賢司裁判官の出した判決です。その後の控訴趣意書の提出期限を計算すると、控訴趣意書は平成12年になりますが、たぶんこの控訴趣意書にも国選弁護人だった被告訴人野田政仁弁護士に対する言及はあるかと思います。他にも過去の資料が見つかり次第、証拠方法としてWebサイトに証拠説明を記録します。

    7. 被告発人小堀秀幸弁護士の関与と刑事責任
        (1). 1時間1万円の法律相談

 この被告発人小堀秀幸弁護士の法律相談は、記憶から時期の絞り込みが出来なくなっています。

小堀秀行弁護士には、平成9年の7月から平成11年の8月までの間に、事務所に相談に行ったことがあった。彼だけは引き受けてもよいという返事をくれたが、再審請求だけで100万円だと言われた。いつ頃だったかハッキリした時期も思い出せなくなっている。1万500円払ったけど話も少し。
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/23053907878

 平成10年9月のツイートなので記憶のまだ新しい時期ですが、7月から8月というのはけっこう意外でした。なぜ被告発人小堀秀幸弁護士を選んだかというと、その平成9年の4月頃、ノートパソコンを買った後になりますが、判例のCDのレンタルを始めていて、著名な再審請求事件の検索に名前が出てきたからです。

 相談料は1時間1万円でしたが、それに消費税があったという記憶でたぶん500円ではないかと思います。

 これも過去の資料を読み込まないとこまかいことは思い出せないのですが、8月に入った頃には土建会社の仕事をしていたという記憶です。お盆休みのときには、仕事を始めて半月ぐらい経っていたような気がします。

 9月の20日頃に香林坊大和で待ち合わせをした安藤健次郎さんと当時の中央公園で話をしていますが、このときには仕事で肩を痛めていたと思います。整骨院に通ったり、石川県立中央病院で検査も受けています。

 10月の中頃か11月より前には土建会社をやめているのですが、まだそこで仕事をしているときに、金沢合同法律事務所で西村依子弁護士と相談をしています。西村依子弁護士には料金はいらないといわれ、引き受けることはできないとも言われたのですが、被告発人小堀秀幸弁護士の有料法律相談は、その後日のことかと思い。そのように書いたこともありそうです。

 被告発人小堀秀幸弁護士の法律相談のときは、いろいろと書類を持参した記憶がありますが、話の内容はほとんど覚えておらず、「万円」でページ内検索をしたところ、記憶の確認ができました。100万円となっていますが、これもよく覚えていませんでした。なにかたとえ話をされた記憶も微かにあったのですが、次のツイートには境界線争いとありました。

  • (9/180/669647):ツイート (@hirono_hideki) 2011-02-01 18:32:32

兼六法律事務所-Mozilla Firefox http://ow.ly/3NUJu 今日になって思い出したのですが小堀秀行弁護士は相談の時、境界線争いなどどうでもいいようなことを延々と争い続けている人もいる、と私に話していました。再審請求だけで百万円という費用を提示されました。
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/32370730578481152

        (2). 控訴審の国選弁護人
  • (5/180/669647):ツイート (@hirono_hideki) 2010-09-05 20:57:57

 http://bit.ly/9HhTnA こちらの小堀秀行弁護士は、平成11年の事件の控訴審国選弁護人でした。平成4年の事件について会社関係者の供述調書の話をしたところ、彼は証拠でも何でもない、と無意味な問題と決めつけました。納得いかないです。騙されたような気もします。求調査です
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/23053079043

  • (11/180/669647):ツイート (@hirono_hideki) 2011-02-01 18:48:48

兼六法律事務所-Mozilla Firefox http://ow.ly/3NV3h 小堀秀行弁護士は平成11年の事件の控訴審の国選弁護人にもなりました。何度か面会にも来ましたが、再犯なので必ず実刑と頑として譲らなかったです。被告発人らの供述調書も無意味なものだと言っていました。
ツイートのURL: https://twitter.com/hirono_hideki/status/32374603527495680

 供述調書ではなく、判決文のことで質問を否定されたという記憶でした。「判決」のページ内検索は、次の1件だけの該当でした。被告訴人野田政仁弁護士の接見の方は、ずいぶんしたたかに感じられました、それだけ悪質な根っからの悪党に思えました。

  • (37/180/669647):ツイート (@kk_hirono) 2018-03-02 12:34:34

Twitterでも別のところで書いていると思いますが、小堀秀行弁護士は、私の平成11年の安藤健次郎さんに対する傷害事件で、控訴審の国選弁護人となっています。接見の時、平成4年の裁判で判決に何があろうと問題にはされないというようなことを断定的に話していました。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/969415746613690369

        (3). 被告訴人野田政仁弁護士と被告発人小川賢司裁判官の確定判決に対する一体の評価

 上告審の国選弁護人である山口治夫弁護士(東京弁護士会)についても被告発人に加えることを検討しましたが、上告審は書面審理であり、よほどでなければ東京から金沢に来て接見をする弁護人もいるはずがないので、被告発人として刑事責任を追及するところからは外しました。ただ、確定判決に対する影響は軽視できないと考えます。

 被告訴人野田政仁弁護士や被告発人小堀秀幸弁護士が安藤健次郎さんに連絡をして話を聞いたとも考えにくいですが、一審では、傍聴席ではなく法廷の中に安藤健次郎さんの姿があったと記憶にあります。証言はなかったか、あったとしてもほんの短い一言で終わっていると思います。

 控訴審では安藤健次郎さんの姿はなかったと思いますが、記憶が不鮮明で、いなかったと断定することもできません。この控訴審は被告発人小堀秀幸弁護士が国選弁護人でしたが、よく覚えているのは、検察官と席が逆になっていたことです。他の公判では、裁判官に向かって左が検察官、右が弁護人でしたが、それが入れ替わっていました。

 法廷での被告発人小堀秀幸弁護士の発言というのは記憶になく、被告訴人野田政仁弁護士が「恋心」などと言いながら手に持った台本のようなものを読み上げているのが、白々しく印象的で、俳優を気取ったような薄い色つきのサングラスも掛けていました。あるいは度付きのメガネだったのかもしれませんが、接見のときはメガネの見ていませんでした。

 ここで時刻は8月30日14時16分となっています。明日8月31日の15時には書き上げ、印刷をして能都郵便局から郵送する予定でいます。

 今も蒸し暑いですが、12時頃からは少し気温が下がった感じです。

 上記のネットの天気予報では、12時が34.4度、13時が34.0度、14時が32.4度となっています。外は雲があつい様子でどんよりと曇っています。34度という実感はなかったですが、毎日のようにこのような暑さが続いているので、体の方も慣れてきたのかもしれません。この8月の連日の暑さで、集中力が維持出来ず、体調管理も優先をして、予定がかなり変わってしまいました。

 確定判決に対する一体の評価については、その与えられた影響など、被告発人小川賢司裁判官の項目で取り上げます。
8. 被告発人山口成良金沢大学教授の関与と刑事責任
(1). 被告発人山口成良金沢大学教授の証人尋問(第五回公判・平成5年7月20日)

  • 被告発人山口成良金沢大学教授の証人尋問(第五回公判・平成5年7月20日)|再審請求と刑事告発の証拠方法公開サイト\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/n115cc0deca52

 弁護人の質問とその回答が比較的長く、検察官の短い質問と、「裁判官(松尾)」の質問があるだけです。この平成5年7月20日の公判は、ずっと6月中と考えていたのですが、法廷内が外の日射しで明るく見えたのが印象に残っています。

 このときも弁護人席の前にある長椅子に座り、左斜め方向の奥にいる安藤健次郎さん夫妻の姿を見ていました。刑事裁判の記事など見ていると現在はその位置が当たり前のようにも思えるのですが、被害者安藤文さんの兄が法廷で暴れた後の公判からそうなったもので、その前は裁判官席の正面で、傍聴席を背中に左右に刑務官に挟まれ長椅子に座っていました。

~/Documents 6s
❯ d|grep 山口成良

~/Documents

 古かったのでまとめ記事の作り直しをしました。

そういえばと思い出したのは、昨年の告訴状にも書いたと思いますが、山口成良金沢大学教授が精神鑑定書のことで証人尋問を受ける公判のとき、木梨松嗣弁護士が白衣を来た医者のような人物を連れて法廷に入ってきました。すでに小島裕史裁判長ら3人の裁判官は着席をしていました。
ツイートのURL: https://twitter.com/kk_hirono/status/861111641596755968

 事前に被告発人木梨松嗣弁護士のわざとらしい演出がありました。「白衣を来た医者」と誤字になっていますが、白衣を着た医者で、30代ぐらいの年は若めで、背が高かったのが印象的です。

 まずTwitterアカウントを探したのですが、「ふなくし 弁護士」で検索するとすぐにTwitterアカウントが見つかりました。Twitterアカウントは検索結果の2番目で、1番目にある漢字四文字の名前だけのリンクを開いたところ法律事務所アルシエンが出てきて、北周士弁護士と同じ法律事務所になっていることを弁護士の一覧で確認しました。

 意外に思ったのですが、経歴に法律事務所アルシエンの参画が2021年9月になっていました。Twitterではずいぶん前にブロックされた記憶のアカウントですが、ブロックされた数年後の参画になりそうです。

 この舟串信寛弁護士ですが、Twitterアカウントのプロフィールにある膝の上辺りから撮影された写真が、被告発人木梨松嗣弁護士に連れられ、法廷に入った来た白衣の医師によく似ていると感じていました。白衣を着ていれば通常は医師にみえますが、実際に医師だったのかは不明です。

 被告発人木梨松嗣弁護士は体調がすぐれないので、医師を同行させたような短い説明を被告発人小島裕史裁判長にしていました。被告発人木梨松嗣弁護士に持病があったのか不明ですが、これまでのところ他に医師を同行させた人は見たことも聞いたこともありません。

 被告発人山口成良金沢大学教授も白衣姿が印象に残っていますが、この法廷では地味目の背広姿だったように思います。金沢大学附属病院で精神鑑定が始まってからが初対面とは思えないのですが、精神鑑定が始まる前の公判の疑問点については、前に取り上げていると思います。

 他に精神鑑定を行った医師の証人尋問を見たことも聞いたこともないので比較は難しいですが、短時間で簡単に終わったという印象はあります。

 実際に芝居の台本を読んだことはないですが、それらしい写真はテレビか何かで見たことがあり、この公判調書というのもそれに似ているような気がします。

 結局、3月1日から31日の閉鎖病棟で入院した精神鑑定と、そのあとの短い台本のような記載のこの第五回公判調書で、被告発人小島裕史裁判長は9月7日に控訴棄却の判決を出しました。前にも書いていると思いますが、第五回公判の後に、判決期日の指定の書面が届きました。一月は間がなかったように思います。引き続き上申書の作成中で、書き終えた分を何度か小分けで名古屋高裁金沢支部に郵送していました。

 「116_H05-07-20_平成5年07月20日 速記録 山口成良 金沢大学教授 名古屋高裁金沢支部 甲第二四号証-8.jpg」に「一応、爆発型の精神病質人格じゃなかろうかと。」とあります。法廷でそれらしい言葉を聞いたようには思いますが、被告発人山口成良金沢大学教授の話は小声で、聞き取りづらさがありました。

  • 009_甲号証(四) 平成05年09月07日付 判決 名古屋高裁金沢支部(被告発人小島裕史裁判長、横田勝年裁判官、横尾昭彦裁判官) 9頁+1|再審請求と刑事告発の証拠方法公開サイト\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/nb9da68b80326

 上記のページにある上から5枚目で、ページ下に15という番号が振ってある書面には「被告人の本件各犯行は、爆発型の精神病質人格の傾向を有する被告人の性格特徴を背景にした、爆発反応ないし人格反応によってなされたものであって、」などとあります。

 精神鑑定書は縮小版があったので、精神鑑定があった平成5年の12月の初め頃には目を通していたはずです。他の供述調書と一緒に、上告審の国選弁護人だった斐川雅文弁護士が郵送で送ってきたものです。

 この斐川雅文弁護士は、石川県立図書館でのデータベース検索でいっさい情報がありませんでした。上告趣意書の写しなどに名前はあるのですが、なぜか東京の住所があるはずの封筒が1つも残されていません。東京都千代田区までははっきり記憶があって、神田が続いていたような気もするのですが曖昧です。これまでに何度か書いてきたことですが、「鈴木邦男法律事務所」というような個人名のフルネームの法律事務所でした。

 「鈴木邦男法律事務所」で検索しました該当がありませんでした。「鈴木邦男 弁護士」という検索でやると検索結果が13ページまで出ています。「斐川雅文 弁護士」は0件のままでした。

 「山口成良」の検索だと45ページまであります。1ページ目はすべて「日本てんかん学会」とありました。

 被告発人木梨松嗣弁護士の主導が大きな影響力で、同調させたように感じられますが、被告発人山口成良金沢大学教授の経歴をみると被告発人木梨松嗣弁護士以上に金沢大学と深く長い関わりがあります。被告発人小島裕史裁判長も裁判官としての経歴に金沢大学出身とだけありました。

生年月日 S12.3.10
出身大学 金沢大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H19年秋・瑞宝重光章
H14.3.10 定年退官
H12.9.1 ~ H14.3.9 名古屋高裁2刑部総括
H10.2.21 ~ H12.8.31 名古屋家裁所長
H8.7.15 ~ H10.2.20 秋田地家裁所長
H5.1.13 ~ H8.7.14 名古屋高裁金沢支部長
H4.11.20 ~ H5.1.12 名古屋高裁金沢支部民事部部総括

 前にも気がついていたのかよく憶えていないですが、名古屋高裁金沢支部長が平成5年1月13日から平成8年7月14日で、その前が平成4年11月20日から平成5年1月12日で名古屋高裁金沢支部民事部部総括とあります。

 平成4年12月の公判調書には被告発人小島裕史裁判長の名前がありました。初公判だけが前の濱田武律裁判長でした。

 上記のページには「H 4.11.20 名古屋高裁金沢支部部総括判事_「H 5. 1.13 名古屋高裁金沢支部長」とあります。総括判事というのはよく見かけてきましたが、高裁の支部長というのは見た覚えがありません。

 この濱田武律裁判長も前に調べたことはあったと思いますが、「S63.12.1 ~ H4.11.19 名古屋高裁金沢支部刑事部部総括」というのは意外で、これまで見てきた裁判官の在任期間では一番長くなりそうです。あと12日で丸5年間という在任期間です。

 ちょうど転任の時期が重なったようですが、初公判がこの濱田武律裁判長で次の公判以降が被告発人小島裕史裁判長でした。

 検索結果に出てきましたが、この石川県立図書館のホームページは初めて見たかもしれません。ただ、SHOSHOというのは少し見覚えがある気がします。

 予想より数がありましたが、裁判関係はありませんでした。

        (2). 被告発人山口成良金沢大学教授の問診

 ネットに残る情報としては書いた記憶がほとんどないですが、多くて3回、少なくて1回、被告発人山口成良金沢大学教授による問診のようなものがありました。いずれも夕食後で、まだ外が薄明るい時間だったように思います。

 金沢大学の精神科閉鎖病棟は、病棟の入り口に大きく頑丈な鉄扉があり、閉鎖病棟の出入り口の間に部屋がありました。小さい部屋が左右に2,3仕切られていた記憶で、閉鎖病棟の方から入ると通路の左手の部屋でした。

 通路の右手には中が見える病室があって、居酒屋の店長のような若者がストレスでおかしくなって、しばらく入院しているような話を耳にしたことがありました。

 被告発人山口成良金沢大学教授に問診を受けた部屋は、机が1つ置いてあるぐらいで、他は記憶にないですが、窓から外の眺めがよい部屋で大きな旅館の一室にいるような気分でした。

 被告発人山口成良金沢大学教授には、おちょくるような小馬鹿にしたような質問を受けることもありましたが、あえてだったのか、被害者安藤文さんとの関係や市場急配センターの会社について踏み込む質問はなく、捜査資料や裁判資料の事実関係をベースにすりあわせるような印象がありました。

 第五回公判調書には、最後に「これは、本人の生い立ちからのいろいろな、小・中学校での性格、それから本人の陳述からみても自分は非常に怒りっぽいというようなことは述べておりましたし、私の質問の途中でも、やはり腹を立てたことがありますし・・・。」とあります。

 「非常に怒りっぽい」という言葉を自分でそのまま使ったような覚えは余りないのですが、今考えると問診の途中で、被告発人山口成良金沢大学教授を怒らせる発言はしていたかもしれません。

 印象的によく憶えているのは、椅子に座った被告発人山口成良金沢大学教授が、不動の姿勢でとても怖い顔をしていたことです。意図的に見せた表情に思えましたが、一度部屋から出てまた戻ったようなタイミングで、立った状態で上から見た場面となっています。被告発人山口成良金沢大学教授はとても小柄でした。

 人を怒らせて怖い顔をさせたことは、それまでにあったと思いますが、目を合わせるでもなく、いくらか下を向いたような状態だったと思いますが、もの凄いオーラのようなものを発散させ、威嚇しているようにも思えました。しかし、それも一瞬のこととして記憶にあるので、すぐに普通に戻ったように思います。

 この被告発人山口成良金沢大学教授の精神鑑定書も長く読んでいません。ScanSnapでPDFファイルを作成しましたが、マスキングの処理が面倒に思え、ネットで公開する資料には加えず、読むこともありませんでした。

 写真で撮影した精神鑑定書は、マスキングの処理をして何年も前にネットで公開をしています。問診の内容も記載がありましたが、他は供述調書などの裁判の資料で、それに小・中学校や1年で中退した石川水産小木分校での先生の評価のようなものが、いずれも短く記載してありました。

    9. 被告発人小川賢司裁判官の関与と刑事責任
        (1). 本件殺人未遂事件の一体的法的評価

先に「市場急配センターにおける殺人未遂事件」という項目であらましを書いていますが、その目的や動機は明瞭ではないものの、市場急配センターの被告発人らは被害者安藤文さんの好意を悪用し、告発人廣野秀樹をその気にさせる働きかけを被害者安藤文さんにさせながら、交際の申出を断らせることを繰り返し、被害者安藤文さんに対する不満と不信感を募らせ、増幅させることで精神的に追い詰め、遂には、被害者安藤文さん本人に手段を選ばず話をさせるしかないという決意をさせるに至り、平成4年4月1日、安藤文さんを被害者とする傷害・準強姦被告事件を発生させました。

 傷害と準強姦で起訴され金沢西警察署から金沢刑務所の拘置所に移送されたのが平成4年5月28日です。この半月ぐらい前になるのか現在の記憶でははっきりしませんが、金沢西警察署に面会に来た母親、廣野己代子から京都の親戚が私選弁護人をつけてくれるといっているという話が出ました。

 告発人廣野秀樹はその私選弁護人の話をいったん断り、数日後に再び面会に来た母親に、やはり私選弁護人を頼もうと思うと話したところ、その場か、その次の面会になるのか記憶にないですが、「国選弁護人が決まった以上、弁護人を変えるのは、裁判官の印象を悪くするのでよくない」という旨の私選弁護人になる予定だった弁護士からの話を伝えられました。

 2012年8月になって、京都の親戚の次女のおばさんから伝えられたのは、母親に頼み込まれて50万円の弁護士費用を工面したことと、その私選弁護人を紹介したのが被告発人大網健二だったという事実です。母親は、その次女のおばさん夫妻からの紹介の弁護士と話していました。

 金沢西警察署にいるときに話がでた私選弁護人と、平成4年8月3日の一審判決後に、控訴審の私選弁護人になった被告発人木梨松嗣弁護士がまったく同じ弁護士と直接聞いた記憶は現在ありませんが、予め用意されていたような自然な流れとして、すぐに私選弁護人に決まったのが被告発人木梨松嗣弁護士になります。

 8月3日に判決が出て、8月17日頃には被告発人木梨松嗣弁護士の接見がありました。話をした内容は記憶にないですが、すぐに慌てた様子で勢い込んで見せたのが、北國新聞の事件の記事でした。4月1日の夕刊だったように思います。

 時刻は11時18分です。時間が掛かりましたが、写真資料のnoteの記事を作成しました。

  • 2019年7月27日、恋路海岸から珠洲市立図書館、平成4年4月2日北國新聞夕刊の記事、旧柳田村|再審請求と刑事告発の証拠方法公開サイト\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/na211d1df7995

 すっかりと忘れ、思い出さずにいましたが、メインとなる北國新聞縮小版平成4年4月2日北國新聞夕刊の記事で、「半年前から付き合っていた同市内の女性(二一)とドライブ中」という記載になっていました。短い記事は「金沢西署は二日までに」という文言から始まっています。

 金沢西警察署の取調べで「交際しいていた」という言葉は使っていないと思います。なぜなら交際している自覚があれば起こすはずのなかった事件で、なぜここに至ったのか彼女の真意の確認が目的でした。

 時刻は12時19分です。上記の冷やし中華を作るため鍋でお湯を沸かしています。だいぶん前に買った商品ですが今日の8月31日が賞味期限になっていて、キュウリとトマトを買いたいと思いAコープ能都店に買い物に出掛け、その前に図書館に立ち寄って6紙の新聞にざっと目を通しました。

 そこで気になったのが上記の読売新聞の記事です。同じ問題と思われる記事は他紙にもありましたが、見出しでずいぶん違った印象を受けました。一部の弁護士の思惑通り、検察の悪印象が練り込まれているように感じました。このあとまだ続きを書きますが、この時点で「文春リークス」に投稿しておくことに決めました。一方的な問題のお知らせ、ご紹介ですが、金沢地方検察庁御中より先駆けて、情報提供としてお伝えしておくことにしました。

 こちも動画と画像ファイルしか添付ができないようです。文春の方は、リンクがあった別のページにあるメールアドレスにメール送信しました。Wordのファイルを添付して。

「週刊文春」編集部
情報提供は「文春リークス」へ。
記事使用は「記事使用申請フォーム」へ。
その他のご用件は、mail : i-weekly@bunshun.co.jp

 時刻は13時48分です。しばらく横になっていました。うとうとしかけたこともあるのですが、眠った時間があるのかわかりません。本書では被害者安藤文さん家族と石川県警察の関係についても取り上げる予定でいたのですが、時間切れとなりました。

 8月27日のレンタルと表示が出ましたが、こちらは読み終えています。

お客様はKindle Unlimitedの登録を利用して、2023/8/28にこの本を無料でレンタルしました。
Kindle Unlimited書籍を表示する| このタイトルをAmazon Kindleアプリおよびデバイス、または「コンテンツと端末の管理」ページで確認できます。他にサポートが必要ですか? こちらをクリック

 こちらが読みかけで、ちょうど警察庁長官賞という論文の転載が始まったところでストップしています。

 前にU-NEXTで映画を視聴しているのですが、その映画をみるために会員登録したように思います。一月無料で更新するつもりはなかったのですが、継続してデビットカードからの料金引き落としがあり、そのまま会員登録を継続することにしました。映画やドラマを視聴する時間的な気持ちの余裕はないのですが、視聴すれば得るものが大きいと思える作品もありました。

 映画もよかったですが、電子書籍の本で得るところが大きく、同じ石川県警察の関係なので直接参考になる情報があります。

著者は、2010年3月警察官を定年退職し、警察人生42年の内33年刑事として犯罪と対峙した経験を基に、執筆活動を始めたが、ひょんなことから、村山和也映画監督の初長編映画『とら男』の主演として銀幕に……その『とら男』が、第22回TAMA NEW WAVE コンペティションで初上映され、ベスト男優賞受賞(@_@) ~2022年8月6日から劇場公開~12月フランスパリでのKINOTAYO現代日本映画祭で審査員賞受賞~2023年5月U-NEXTで配信開始

 そういえば石川県警察の退職の時期が把握できていなかったと気がつき、Googleで検索すると見つかったのが上記のAmazonのプロフィール紹介でした。

 2010年3月とありますが、告発人廣野秀樹が石川県警察と活発にやりとりしたのが2009年になります。金沢中警察署の山出警部補のことがあったのも能登半島地震の前年なので2006年10月になります。

 探せば他にあるのかもしれないですが、警察官が退職後に、西村虎男さんのような活動をした例は見たことも聞いたこともなく、同じ石川県警察という接点があるというのも大きいです。「千穂ちゃん ごめん」という本の始まりには、迷宮入りのことが出てきました。この本に出てくる金沢で迷宮入りになった事件も被害者安藤文さんの事件と同じ平成4年に発生しています。

 次がこのあと証拠資料としてご紹介するnoteの最近の投稿記事の一覧になります。

597 2023-08-25 09:47:16 知的障害者が「奴隷労働状態」 牧場と北海道恵庭市に賠償求め提訴 https://note.com/hirono2020kk/n/na7009ec26a07
596 2023-08-25 10:16:39 ジャニーズ性加害問題で巻き起こる当事者、取材者、マスコミへの批判 前略、塀の上より(4)|高橋ユキ https://note.com/hirono2020kk/n/n1340be52189f
595 2023-08-25 10:52:01 工藤会刺傷2事件、ナンバー2側「独断で指示」と控訴審で主張検討…全面否認一転か:地域ニュース : 読売新聞 https://note.com/hirono2020kk/n/nb8ca5b19b69e
594 2023-08-25 12:07:18 「頂き女子りりちゃん」逮捕 パパ活マニュアルで詐欺手助け容疑:朝日新聞デジタル https://note.com/hirono2020kk/n/n4f04b9af18ed
593 2023-08-25 12:24:58 「頂き女子りりちゃん」として東京・歌舞伎町などで活動し、X(旧Twitter)でも1.3万人のフォロワーを持つ“頂き女子界のカリスマ” https://note.com/hirono2020kk/n/n317a9159bee8
603 2023-08-25 13:09:23 【法廷で】「同じ思いの人を作らないで」 自死の女性が残した手紙 被告の男の受け止めは…|熊本日日新聞社 https://note.com/hirono2020kk/n/n0a6a535aca0b
602 2023-08-25 18:28:27 フリーライター高橋ユキ氏のツイートで見かけた高評価の杉田宗久元裁判官が、ドラマの女優笛木優子に繋がる https://note.com/hirono2020kk/n/n557164e11341
601 2023-08-25 19:29:04 「町医者ジャンボ!!」というドラマと、被告発人安田敏の出身地、石川県鳳珠郡能登町鵜川のつながりを感じた8月25日 https://note.com/hirono2020kk/n/n6d6ed08ff6df
600 2023-08-25 20:09:21 真鯛や二重の虹、ウミネコの幼鳥が出てきた2018年8月25日の写真25枚、鵜川にわか祭の夜 https://note.com/hirono2020kk/n/nfd0a81ee3b7f
599 2023-08-25 20:41:55 2016年8月25日に行った、輪島大祭輪島前神社(輪島崎町)の写真17枚 https://note.com/hirono2020kk/n/nf09a404e3dbd
606 2023-08-25 20:53:20 2015年8月25日に行った、輪島大祭輪島前神社(輪島崎町)の写真14枚 https://note.com/hirono2020kk/n/n0a2dd911d20d
605 2023-08-25 21:06:32 2014年8月24日、鵜川のにわか祭から和倉温泉、能登島、七尾市内まで行った時の写真30枚 https://note.com/hirono2020kk/n/n8a4147d4f083
604 2023-08-25 21:39:17 2017年8月26日に行った、能登町鵜川の「にわか祭」の写真30枚 https://note.com/hirono2020kk/n/nc249fe78c1f0
609 2023-08-26 12:15:23 「(;・∀・)福島や被災者への同情を口にし、「風評被害」を批判してきた人々が」という深澤諭史弁護士 https://note.com/hirono2020kk/n/nd6544863588a
608 2023-08-26 12:23:37 「私の所属している「日本弁護士連合会」ってところは、真逆のことをしていて、大変困っています!」という深澤諭史弁護士 https://note.com/hirono2020kk/n/n98725a15b98a
607 2023-08-27 07:03:23 「都、高橋、菊川を相手に9回訴訟して全部敗訴し、しばらくの間ネタにされ続け」という高橋雄一郎弁護士 https://note.com/hirono2020kk/n/n7f44fd075bb1
614 2023-08-27 08:12:50 「「医者の卵」が歌舞伎町で課外実習、立ちんぼ女性に」というべべんべ弁護士ドットコムの記事 https://note.com/hirono2020kk/n/nff6600939009
613 2023-08-27 10:59:20 被告発人安田敏と東京に行った運行の記載から続く、2023年6月23日に能登町鵜川までバイクで行った時の写真30枚 https://note.com/hirono2020kk/n/n22aa2bb785f2
612 2023-08-27 13:48:31 「「節目あるなら犯人検挙の日」金沢・久安 会社員殺害15年」という6月25日の北陸中日新聞、能登町役場で撮影 https://note.com/hirono2020kk/n/n88090d3138d2
611 2023-08-27 14:21:58 「弁護士が手弁当で法科大学院と後進のためにどれだけ労力を投入」という深澤諭史弁護士の一連のツイートの記録 https://note.com/hirono2020kk/n/n2f315b6b0ec2
610 2023-08-28 08:26:14 「【解説】 福島第一原発の処理水放出、その背景の科学は(BBC News)」← 郷原信郎弁護士のツイート https://note.com/hirono2020kk/n/na155c9b7ccda
620 2023-08-28 09:07:04 「金沢・女性コーチ 殺人事件時効まであと500日、AB型の『男』はどこへ、石川県警は『犯人』に接触した」 https://note.com/hirono2020kk/n/n3ef45b246663
619 2023-08-28 10:19:35 「父の死は"殉職"なんです」“捜査するジャーナリスト”命かけた最期の事件|ABEMAドキュメンタリー https://note.com/hirono2020kk/n/n47ed412a1f1c
618 2023-08-28 18:36:33 GitHubリポジトリーの更新:Kindle/066/2023-08-31_告発状.docx https://note.com/hirono2020kk/n/ne1c8a16c2fc4
617 2023-08-28 18:53:08 被告発人木梨松嗣弁護士の罪となるべき事実/北陸中日新聞2023年8月28日付朝刊に出てきた出雲義浩刑務官 https://note.com/hirono2020kk/n/n594322932114
616 2023-08-28 18:59:45 被告発人木梨松嗣弁護士の犯罪性の証明として重要な証人となりうる出雲義浩刑務官 https://note.com/hirono2020kk/n/na6d8bbf73d75
615 2023-08-28 20:46:27 *平成11年9月からの金沢刑務所の拘置所の生活で、担当の刑務官に入れられた動物園の獣の臭いがする独居房 https://note.com/hirono2020kk/n/n1ef9f85c2422
625 2023-08-28 21:23:30 主に深澤諭史弁護士のTwitterタイムラインの記録(2023年8月28日) https://note.com/hirono2020kk/n/n90ee2900eabb
624 2023-08-29 13:28:25 3日目になって、上司ではない別の刑務官に思えてきた北陸中日新聞の記事に出ている出雲義浩刑務官 https://note.com/hirono2020kk/n/n93573ea31efe
623 2023-08-29 13:51:03 無辜の不処罰と考えている裁判例がある(ことを問題視した)、というものがあって凍り付いた、という深澤諭史弁護士 https://note.com/hirono2020kk/n/n2c7eb7d5390f
622 2023-08-29 20:03:08 「弁護士の護身術 ~人的トラブルに巻き込まれないための心得~」という深澤諭史弁護士の本の目次 https://note.com/hirono2020kk/n/nd99c3e128b84
621 2023-08-29 20:24:42 「弁護士の護身術 ~人的トラブルに巻き込まれないための心得~」という本に関連した深澤諭史弁護士のタイムラインの記録 https://note.com/hirono2020kk/n/n730c7f3703d9
630 2023-08-30 07:07:44 金沢弁護士会平成6年7月20日付回答書(金沢弁護士会人権擁護委員会・委員長・若杉幸平)(写真 1 枚).jpg https://note.com/hirono2020kk/n/na698c20039ea
629 2023-08-30 11:37:15 「ジャニーズは普通に潰れるのが最善でしょ。」という三浦義隆弁護士のツイート https://note.com/hirono2020kk/n/nfca024228be8
628 2023-08-30 11:54:33 「ジャニーズ事務所もこうやって悪評をマスコミやエンタメ業界によってかき消してきたわけですよ」という刑裁サイ太 https://note.com/hirono2020kk/n/n6c1cbb29c21f
627 2023-08-30 14:38:24 被告発人山口成良金沢大学教授の証人尋問(第五回公判・平成5年7月20日) https://note.com/hirono2020kk/n/n115cc0deca52
626 2023-08-30 15:17:30 法律事務所アルシエンの舟串信寛弁護士 https://note.com/hirono2020kk/n/n921d857db17d
633 2023-08-30 20:45:17 深澤諭史弁護士がリツイートをした奥村徹弁護士のツイートに占いや加持祈祷が出てきた。最近は見かけなかったアカウント https://note.com/hirono2020kk/n/ncba84bb90e91
632 2023-08-30 21:05:51 今夜リツイート済みが出てきた「「人質」になった創業社長」というツイート https://note.com/hirono2020kk/n/na0231fc5cb27
631 2023-08-31 11:14:51 2019年7月27日、恋路海岸から珠洲市立図書館、平成4年4月2日北國新聞夕刊の記事、旧柳田村 https://note.com/hirono2020kk/n/na211d1df7995

 被告発人小川賢司裁判官の金沢地方裁判所判決ですが、同じく確定し刑の執行も終わっている平成4年の傷害・準強姦被告事件の判決と一体性があり、傷害・準強姦被告事件の問題を全く解消しないまま正当性を裏付け、その事実認定を前提に極めて厳しい評価を告発人廣野秀樹に下し再犯加重をしています。

 さらに被告発人小川賢司裁判官の場合は、その後も裁判官としての職務を続け、令和5年の現在においては水戸地方裁判所総括判事という要職です。この被害者安藤文さんの被害の問題については平成15年の2003年からインターネット上に情報を公開し、被告発人らの刑事告訴と刑事告発を繰り返してきました。今年令和5年だけでも刑事告発は6月30日付け、7月7日付け、そして今回の8月31日付と3回目になります。

 2,3日程前になって被告発人木梨松嗣弁護士、被告発人岡田進弁護士、被告発人長谷川紘之弁護士を被告発人に加えると金沢地方検察庁に電話連絡したのが2015年11月とわかりました。

 Twitterアカウントを使って金沢弁護士会や日本弁護士連合会にもこの刑事告発問題を知らせてきましたが、反応は皆無の状態です。金沢地方検察庁が返戻や不起訴処分を続けてくれるという見込みと期待があり、それを無言のメッセージとして表明しているとも思えるところがあります。

 6月30日に御庁(金沢地方検察庁)に行って、直接、令和5年6月30日付告発状を手渡し、13時から14時半頃まで1時間半ほどお話ししました。この日も署名と判子を忘れていた再審請求補充書の書面のことで金沢地方裁判所刑事部に行きましたが、署名と判子を押したのは副本だと言われました。

 この最新請求補充書では、

原判決に関与した裁判官、原判決の証拠となった証拠書類の作成に関与した裁判官又は原判決の証拠となった書面を作成し若しくは供述をした検察官、検察事務官若しくは司法警察職員が被告事件について職務に関する罪を犯したことが確定判決により証明されたとき。但し、原判決をする前に裁判官、検察官、検察事務官又は司法警察職員に対して公訴の提起があった場合には、原判決をした裁判所がその事実を知らなかったときに限る。

 上記の引用の刑事訴訟法第435条7を理由に、同じく、

条文[編集]
(確定判決に代わる証明)

第437条
前二条【第435条、第436条】の規定に従い、確定判決により犯罪が証明されたことを再審の請求の理由とすべき場合において、その確定判決を得ることができないときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる。但し、証拠がないという理由によって確定判決を得ることができないときは、この限りでない。

上記の引用の刑事訴訟法第437条にある「確定判決に代わる証明」を理由に、金沢地方検察庁に弁護士裁判官らの刑事告発の手続を進めていると、直接、金沢地方裁判所刑事部次席書記官にお話ししています。次席書記官というのは、折り返しの電話番号で、何度か別の女性が電話口にでて、「はい次席の席です。」と話すことでわかったことです。

 印紙代として4万2千円以上のお金が必要になりますが、金沢地方検察庁記録係の方に保存を確認した判決謄本等を交付申請し、被告発人小川賢司裁判官が懲役1年10月の実刑判決を出した安藤健次郎さんの傷害事件の確定判決に対しても再審請求をすると、金沢地方裁判所刑事部の次席書記官にはお花してあります。

 時刻は14時52分になっているので、そろそろ本書で最後となる証拠方法のご説明に移ります。

    10. 市場急配センターにおける殺人未遂事件
        (1). 被害者安藤文さん家族の傷害・準強姦被告事件の関わり

時刻は8月31日07時28分になっています。午後には仕上げる予定ですが、「被告発人小川賢司裁判官の関与と刑事責任」「市場急配センターのおける殺人未遂事件」という2つの項目のみを残し、これから書き上げます。

 予定では控訴審の裁判記録となる証拠資料について、どこにどういう問題があったのか検証をする予定でしたが、連日の災害級の暑さで家にクーラーのない扇風機だけのせいかつだと体の負担も大きく、十分な取り組みが出来ませんでした。

 前にざっと目を通したところで、裏駐車場のことがけっこうな回数出てきて意外に感じました。この裏駐車場のことは弁護人や裁判官らにまったく問題にされず、その形跡は証拠資料としての裁判記録の書面で確認出来ると思います。

 この被害者安藤文さんの裏駐車場の行動は、自宅ので電話対応拒否と結びついていて、これに協力していたのが母親である安藤紀世さんです。推測になりますが、被告発人岡田進弁護士、被告発人木梨松嗣弁護士ともに被害者安藤文さん家族に事情を聞くことは一切なかったと思われ、これも証拠資料の裁判記録で、その形跡が全くないことを確認出来ると思います。

 もちろんのことですが、被告人であった告発人廣野秀樹に話を尋ねることも一切なく、具体的な事実など一切関心がないという態度で、被害妄想と決めつけ被告発人小島裕史裁判長に精神鑑定の実施を決定させ、理由付けとともに精神鑑定を受けたという既成の事実を確定判決の裁判記録に刻み残したことになります。

 事件当事者である告発人廣野秀樹の話をいっさい聞かなかったからこそ出来たことかもしれませんが、その後も修復するための対応をいっさい放置して、30年以上経過した現在に至っています。

 安藤健次郎さんは被害者安藤文さんの父親ですが、平成4年4月1日の事件前、2回電話対応に出ています。一度目は被告発人浜口卓也の自宅アパートからの電話で1月21日になるかと思います。二度目は2月の中頃だったと思いますが、現時点で日付の特定は出来ていません。過去の資料を読み込めば出来るかもしれません。

 被害者安藤文さんは3人兄弟の末娘で上に兄が二人いて、長男は東京で所帯を持って生活していると、これも証拠資料として書面で提出する予定の供述調書に記載があったと思います。

 そのことから電話に出たのは次兄と思われますが、2回電話対応に出たという記憶です。一度目は平成3年中だったと思いますが、二度目はたぶん平成4年になってからと思うものの記憶が薄れてしまって、現時点で思い出すことは出来なくなっています。

 最初に被害者安藤文さんの自宅に電話を掛けたのが平成3年10月12日で、最初に母親が出ました。10月中の電話は5日に被害者安藤文さんの方から東力のアパートに掛けてもらったものがありましたが、他の電話は現在思い出せなくなっています。

 10月12日から11月25日の電話の間に、別に3回の電話があったと思います。これは平成5年11月28日付の手書きの書面を作成していた頃の記憶になるかもしれません。まだ記憶の残る段階で、事実関係の整理をしていました。

 11月の終わり頃に名神高速の伊吹パーキングエリアから被害者安藤文さんの自宅に電話を掛け、その翌日辺りから被害者安藤文さんの裏駐車場の行動が始まり、何度電話をしてもいっさい出なくなったのですが、これが平成4年1月13日の黒部パーキングエリアからの電話まで続きました。

 これも証拠資料となる金沢西警察署で谷内孝志警部補作成の被疑者供述調書ですが、4月2日から取調べが始まり、毎日供述調書を作成していた記憶ですが、4月7日以降の供述調書だけ江村正之検察官は証拠請求をした形跡で、裁判記録は存在しないことになっています。

 他の供述調書には目を通しましたが、日にちが経過しているので忘れている部分が多いです。確認のためには読み直す必要がありますが、取調べでは被害者安藤文さんが電話に出なくなってから掛けた電話の回数を50回と答え、そのように供述調書にも記載されていた記憶ですが、この記載は未確認の状態となっています。

 その場で、深く考えずに50回と答えたのですが、電話を掛けたときは19時半頃、20時頃、20時半頃と決まって3回は掛けていた記憶です。ほとんどの電話は、高速道路のパーキングエリアやサービスエリアからの電話だったとも記憶にあります。自宅アパートからは掛けた記憶が残っておらず、自宅アパートから被害者安藤文さんの自宅に掛けた電話は、いずれも時間帯の遅いものとして記憶にあり、最初の10月12日の電話は、22時半から23時頃だったと思います。

 その都度、事情があって電話を掛ける決心をしているのですが、個別に述べると長くなるうえ、現在は記憶の方も減退をしていますが、過去に作成した書面等では記憶にあるあらゆる事実を記述し、記録として残しています。これは徹底してやりました。

 1月に入ってから電話を掛ける回数は極端に減らしました。年末に集中的に電話を掛けたのですが、このときは東力のアパートからも電話をしていたと思い出しました。被害者安藤文さんとの関係をその年のうちに解決したいという強い思いがありました。

 確認をしていないですが、平成3年の市場急配センターの仕事納めは12月28日だったように思います。12月31日の大晦日の夜には宇出津の実家にいたという記憶ですが、そのときには被害者安藤文さんの自宅に電話をすることはやめていたかもしれません。あるいは大晦日の夜も電話をしていますが、その辺りも過去の資料に記述があると思います。

 12月1日から1月10日までの間、被害者安藤文さんの自宅に電話をした日の数は、数えることもなかったので記憶にないですが、仮に10日として、これに3回を掛けると30回になります。50回だと約16日分です。

 母親の安藤紀世さんの態度が変わったと感じたのが12月25日以降の年末で、対応に明るさが感じられました。12月24日はクリスマスイブですが、21日に金石街道沿いパチンコオークラ横の花屋で、赤いバラの花10本の配達を24日の夜の時間指定で頼んでおり、花が自宅に届いたことは3月5日の電話で被害者安藤文さん本人に確認しています。

 証拠資料となる裁判記録とすりあわせてください。弁護士が主張した被害妄想との径庭です。母親の安藤紀世さんの名前も父親の安藤健次郎さんの名前も事件後に初めて知ったものですが、電話だけではあったものの多数回の接触があり、その場で被害者安藤文さんの反応も見ていたはずです。

        (2). 市場急配センターの被告発人らの連帯的関係性及び犯罪性の証拠となる供述調書

これも予定では証拠資料となる供述調書からの引用を行うつもりでしたが、細かい作業をやると時間も掛かるうえ、テキストの書面上では、不十分な説明しか出来ないと考えるようになりました。効率の悪さが大きく、再利用もやりづらくなります。

 市場急配センターの被告発人のうち被告発人松平日出男だけが2通の市場急配センターで、内容も他の被告発人の供述調書とは違いがあると感じました。被告発人浜口卓也の供述調書と共通したのは、告発人廣野秀樹と被害者安藤文さんの恋愛関係をそれほど断定的には否定していないことです。

 これも前に読んでから長く時間が経過しているので、読み直せばまた違う感想が出るかもしれませんが、被害者安藤文さんが嫌がっていたとか、告発人廣野秀樹がしつこくアタックしていたとか、そういう趣旨の記載はなかったということです。

 被告発人池田宏美の供述調書には直接出てこなかった気がしますが、被告発人安田繁克と被害者安藤文さんとの過去の男女交際を事実の如く供述しているのが、被告発人安田繁克本人の他に、被告発人梅野博之、被告発人浜口卓也、被告発人多田敏明で、被告発人梅野博之と被告発人浜口卓也の供述調書には共通して、被害者安藤文さんが被告発人安田繁克のために会社に弁当を持ってきていたという話があったと思います。

 結論からいうと被告発人安田繁克と被害者安藤文さんとの間に男女交際の事実が存在した可能性は乏しく、彼らが事前に作り上げた被害者安藤文さんの虚像の一つになるかと思います。

 一方で被告発人安田繁克は、早い段階で告発人廣野秀樹に接触を始めています。告発人廣野秀樹が金沢市場輸送を退社した翌日から市場急配センターで最初一日1万5千円というアルバイトを始めた日には、前日まで毎日、金沢市場輸送の事務所で事務の仕事をしていた被告発人池田宏美が、市場急配センターの事務所で仕事をするようになり、その後も続けて毎日、ほとんどの時間を市場急配センターの二階事務所で過ごしていました。

 被害者安藤文さんと被告発人安田繁克が前に交際していたと告発人廣野秀樹に最初に吹き込んだのは被告発人浜口卓也で、これも平成4年1月21日のことになります。

 平成4年2月1日の夜23時頃には、被告発人安田繁克が告発人廣野秀樹に接触を図り、金石街道に出る交差点の信号待ちで停車中の車の窓を叩き、被告発人多田敏明を探しているという口実でした。これも被告発人安田繁克の供述調書では、告発人廣野秀樹の方から声を掛けられたという事実にすり替えられています。

 他にも細かい接点がいろいろと沢山ありますが、そもそも被害者安藤文さんをその気にさせ、告発人廣野秀樹に嗾けたのは、市場急配センターの被告発人らで、このセクスターの主な担当は、市場急配センターの社長である被告発人松平日出男、被告発人池田宏美、被告発人梅野博之の3人で、事務所で被害者安藤文さんと一緒に仕事をする時間が長かったという共通点があります。

 平成5年11月28日付の手書きの書面の一部に目を通し、最近になって思い出したことですが、平成3年12月21日の午後、告発人廣野秀樹は被告発人松平日出男社長に帽子をもらっています。この日の昼前には、仕事中の被害者安藤文さんを連れ出し、大型トラックの助手席にのせて金沢市内を走っています。時間の計測をしたことはなかったですが、現在でもルートは記憶にあり、現在の国道8号線西念町交差点から金沢西インター方面に走り、犀川沿いで大豆田大橋の手前でトラックをとめ、少し話をしました。

 神影大橋のたもとの交差点を左折したのか、それとも大豆田大橋のたもとの交差点を左折したのか現在記憶がはっきりしませんが、神影大橋であれば六枚の交差点、大豆田大橋であれば中橋の交差点で金石街道に左折したことになります。

 そのあと藤江陸橋下の交差点を右折し国道8号線バイパスに一度出てから市場急配センターの会社に戻っているので、一時間まではないかもしれないですが、30分以上は連れ出していました。それも年末で金沢中央卸売市場関連の仕事で事務の仕事は大変に忙しかったと聞いています。

 被告発人松平日出男にもらった帽子が風に飛ばされたことは記憶にあるのですが、強風があったのは年末の仕事納めの日だったと思います。市川タイヤの斜め前で量販店の靴屋から出てきたときだったかもしれません。帽子を拾えたのかどうかの記憶もないですが、車のドアが勢いよく開いて、少し折れ曲がりました。
(3). 平成4年4月1日の事件に至る被害者安藤文さんとの関係
平成4年3月は、3月5日、3月19日、3月23日の夜に、いずれもその日の午後に市場急配センターの会社に掛けた電話で被害者安藤文さんに東力の自宅アパートまで電話を掛けてもらっています。19時半かあるいは20時の時間指定だったと思います。

 3月23日は、午後に被告発人松平日出男社長をまじえて3人で、金石街道沿いにあるフランディーというような名前の喫茶店で話をしました。3月5日から一連のつながりがあり、2月中は小康状態でしたが、1月中は1月13日に黒部パーキングエリアから被害者安藤文さんの自宅に掛けたの電話と、1月25日にも被害者安藤文さんの自宅に電話をしていますが、母親が出て不在だといわれたものの、それまでとは一転していくらか警戒もしたような厳しめの対応になっていました。

 1月の10日を過ぎてからと思いますが、あるいは1月半ばを過ぎてからで、1月21日までの間に2回か3回、いずれも夕方の外がすっかり暗くなった時間、裏駐車場で直接被害者安藤文さんに声を掛けて、駐車中の大型トラックに乗ってもらい、話をしています。

 1月21日は事前に仕事が終わってから話をすることを被害者安藤文さんとの間で決めていたのですが、直前になって被害者安藤文さんが会うことをしぶるようになり、金沢中央卸売市場付近の公衆電話から掛けた電話でやや強引に会うことになりました。

 このときも被害者安藤文さんが裏駐車場に自分の車をとめていたので、同じ裏駐車場に駐車している大型トラックの車内から彼女の姿を認めて声を掛けたことになります。この1月21日は、裏駐車場で被害者安藤文さんに声を掛け、最初の方に彼女が、はにかみながら「私の車で話そう」といったのを、「トラックでいい」とつっぱねたところ、不信感が爆発したような様子で被害者安藤文さんは怒り出しました。

 この後も大型トラックの助手席に被害者安藤文さんを乗せて、金沢東インターから金沢西インターの一区間を高速に乗り、大型トラックを走らせながら被害者安藤文さんと話をしました。このときは大型トラックを停車させて話すことはなかったと思います。時間も遅くなって道も空いていました。

 3月23日の夜の電話ですが、決めた時間を少し過ぎた頃に被害者安藤文さんから電話があったと思います。決めた時間通りに電話があったことはなく、5分ぐらい遅れたことも記憶にありますが、この3月23日は時間を少し過ぎた頃に掛かってきたように思います。

 このとき掛かってきた電話だけは、最初からけんか腰のような勢いで、今はっきりと思い出せないですが、「広野さん、わたし好きな人おるが、知っとるやろ」という切り出しだったような気がします。今でもよく覚えているのは「私の気持ち広野さんに伝わっとるとばっかり思っとった」と彼女がいい、「なんやそれ」と返したところ、彼女は少しわざとらしくも思えるあきれたような口調で「付き合う気ないっちゅうこと」といいました。

 これはかけ直しの電話の直後の会話に思えてきました。一度電話を切っているのですが、彼女が外に出ていて久安にいるとも言っていたので、彼女の父親か母親と彼女のことで話をするつもりで掛けた電話でした。

 他にも1回あったような記憶ですが、電話口に車の走る音が聞こえ、外の公衆電話から掛けているような様子でした。ただ、最初に被害者安藤文さんの自宅に掛けた10月5日の電話では、母親から引き継ぎで電話に出た直後、「待って」というような一声の後、ばたばたと階段を駆け上るような音が電話口に聞こえました。

 当時出始めの頃で、家電店でも珍しかったように思いますが、親子電話で子機がコードレスになった電話機のようでした。それもあったので3月5日は、被害者安藤文さんにどこにいるのかと確認し、彼女は久安と答えたのです。

 この3月23日の電話では、「好きな人おるって付き合っとる人おるって、おんなじことやろ」という被害者安藤文さんの言葉がありました。

 被害者安藤文さんのいう好きな人が自分つまり告発人廣野秀樹である可能性は、一審の法廷でも話し、公判調書にも記載がありました。裁判官の反応はなく押し黙ったような状況になりました。国選弁護人である被告発人岡田進弁護士に対して、習慣的に気遣いをしたようにも思えます。今のところ被告発人には加えていない三宅俊一郎裁判長、山田徹裁判官、川口泰司裁判官の3人です。

 時刻は10時17分です。今日は数日ぶりにも思えるのですが、外は雨の心配がなさそうな明るさとなっています。このあと被告発人小川賢司裁判官の項目の記述をし、最後に証拠方法についてご説明を書いて、今回の告発状の締めくくりにしたいと存じます。

第2. 証拠方法

 当面になりますが、上記のWebサイトを中心に、次の3つのX(旧Twitter)アカウントを使い、情報発信と情報収集を行い、上記のWebサイトの運用に反映させるというサイクルを行い、このインターネット上の反応をそのまま来月9月中に別途書面として提出する証拠資料の証明力を裏付け高める証拠方法と致します。

以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?