ウィーンが君を待っている/Ep.7 Vienna
登場人物
正美…大樹の母。美容師。
やす兄…正美のパートナー。
大樹…ナチョスの大学からの友達。
ブライアン…ナチョスの大学の交換留学生。
あらすじ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大学1年生の時に共に寮生活した交換留学生のブライアン。
半年間の共同生活の後帰国した彼が、
わたしの卒業式に合わせて約1ヶ月の日本旅行に来た。
関西旅行の間、私とブライアンは東大阪にある大樹の実家に泊まらせてもらった。
これは、ほとんどが事実の5人の旅行のお話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2023年4月3日 Vienna
KYOTO → TOKYO
タイヤとエンジンの音が車内に響き渡る。
窓はカーテンに覆われていて、通路側にも天井からカーテンが吊り下げられている。
通路側のカーテンは上側が網のようになっていて、そこから蛍光の時計が辛うじて見える。
こちらから見ると、まるで夜の病院のようだ。
倒しきれないシート。
どこを走っているのか分からない目隠し感。
死への恐怖。
あの日から、何気ない瞬間に死の恐怖が私を襲うようになった。
夜行バスに乗っている今もそうだ。
死を恐れるのは若いからだろうか。
歳をとると、死を受け入れられるようになるのだろうか。
プーーーッ!
突然鳴らされた大きなクラクションが私の鼓動を早くする。
このままでは目が冴える一方だ。
私はイヤホンを両耳に詰め込んだ。
大好きなビリー・ジョエル。
彼の歌は毎日聴いても飽きることと無関係だ。
ランダムに流れた曲は、『Vienna』
私の大好きな曲。
落ち着け、そう慌てるな
幼いながらに野心を持っているんだろう
そんなに賢いのに何をそんなに恐れているんだい?
どこで火事が起きたんだ? 何を急いでいる?
燃え尽きてしまう前に冷静になるんだ
やるべきことがたくさんあっても使える時間は少ししかないんだから
きみも気づいているのだろう
欲しいものを手に入れなければただ年を取っていくだけだと
そんなんじゃ人生を半分も楽しむ前に死んでしまうよ
いつ気づくんだい?
ウィーンはきみを待っている
落ち着けよ、よくやっているのに
なりたいものになるためにはタイミンングが大切なんだ
たしかにロマンティックだな 今夜は特に
そんなに悪い夜じゃないが
きみは急ぎすぎているあまり必要なことを忘れてしまっている
間違いは目に付きやすいが
正解には気づきにくいものなんだ いつだって
きみには情熱があり プライドもある
だけどわかるだろう? 満足するのは愚か者だけだ
夢を見ろ だが忘れるな、すべての夢が叶うわけじゃない
いつ気づくんだい?
ウィーンはきみを待っている
落ち着け、そう慌てるな
受話器を外して しばらく姿を消してしまおう
別に構わないんだ 一日や二日過ごしたって
いつ気づくんだい?
ウィーンはきみを待っている
ほら、もう気づいているのだろう
欲しいものを手に入れなければ ただ年を取っていくだけだと
そんなんじゃ 人生を半分も楽しむ前に死んでしまうよ
いつ気づくんだい?
ウィーンはきみを待っている
いつ気づくんだい?
ウィーンはきみを待っている
ウィーンはオーストリアの首都。
しかしこの曲におけるウィーンは、聴き手にとって様々な解釈ができる。
叶えたい夢。残りの人生。まだ見ぬ場所。未来。
焦る若者に対して諭すような曲。
周りの同級生たちと比べて遠回りの大学生活を送った私にとって、この曲には特別な思い入れがある。
いつも聴いている曲なのに、この時は新たな解釈が頭をよぎった。
〔ウィーン〕は、死なのかもしれない。そう考えると何故だか不安が和らいだ。
死は誰にでも平等にやってくる。
問題はいつなのか。今なのかもしれない。
だからこそ。
ハサミで抉られたように感じた、あの夜の正美の言葉が、今この瞬間に、私の背中を押してくれるもののように変化する。可笑しな話だ。
夜行バスが怖いと感じたのは、きっと見知らぬ誰かに命を預けているからなのだろう。
そこに信頼があれば、恐怖は多少消える。
他人に命を預けることは、冷静に考えて異常だ。
そんなこと、きっと人間にしかできないだろう。
しかしよく考えると、僕たちは生まれた時から何かに運命を握られている。
親。家族。場所。学校。国の主。国。法律。時代。
人から、人を超越したものまで。
それらの選択によって、僕たちの運命なんて簡単に変わる。
だからこそ、自らの選択くらい、悔いのないものにしなければならない。
ウィーンが私たちを待っている。
私の中の何かが、音を立てずにスッと心に吸い寄せられた。
目を覚ますと、バスはどこかのパーキングエリアに停車していた。
トイレに行くために下車した私は、無意識に目を細めた。
太陽。暖かな朝日が固まった身体をほぐした。
彼らはもう起きているだろうか。
それにしても美容師とはなんとも素敵な職業だ。
ハサミとは、何かを断ち切るもの。
人を傷つけ得る道具。
しかし、彼らのハサミは人を幸せにする。
切り、減らすことによって心の何かを増やす。
繊細に、大胆に。
彼らの言葉も、彼らのハサミそっくりだ。
繊細に、大胆に。不安や悩みを切り除く。
そんなハサミを手に、彼らは今日も、髪を切る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?