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#3 『SAPIXだから知っている頭のいい子が家でやっていること』 佐藤智

ちょうどSAPIXの入試分析会にも行ってきたので、併せてツッコんでみる。

塾はコーチか?

入試分析会は、とてもおもしろかった。やはり中学受験界のトップを走るだけあって、とてつもなく研究しているだろうことがよくわかる。親としても仕事としても勉強になる。

・・・が、子どものことはあまり知らないのだろうな、と感じた。

入試分析会の中で、中学受験をスポーツに例えていた。生徒は選手で、塾はコーチで、保護者はマネージャーと。親は技術的なコーチングはしなくていいから、気持ちに寄り添って、伴走してね、と。

一見、納得できそうな役割分担だが、塾は本当にコーチなのか? スポーツの場合は、1人ひとりにあったコーチングをして、1人の選手のパフォーマンスを最大化することを考えるが、塾が生徒にそこまではしてくれない。

多くの一斉授業をする塾の印象は、大学。必要なコンテンツと情報は提供するので、学びたい人学べる人だけ学んでくださいという感じ。
そういう役割はスポーツ選手にはないので、この例えにはあてはまらないことになる。

つまりは、保護者がマネージャーもコーチも担わないといけない。伴走ができないと、家庭教師や個別指導を併用しなくてはならなくなる。

そんなことを考えてこの本を読んだからか、内容は薄く感じる。中学受験についてというよりは、その前段階で、どんな子育てをしておくかという子育て本。ほぼ一般論。
ということは、SAPIXは「中学受験についてはプロだが、教育のプロではない」とわかる。また、少なくとも、小3以下の子どもたちについては、あまり知らないんだろうな、と。

「10万人以上を指導した」というよりは、「10万人以上に授業した」だろうね。

子どもの読書量を増やすには?

× 子どもに読ませたい本を買ってくる
○ 親が読書している姿を見せる

確かに、親が読書をしている姿を見せることは必要。
でも、「子どもに読ませたい本を買ってくる」が誤りではない。だめなのは、親の読ませたい本を買ってきて、無理やり読ませること。

親の推薦図書を買ったり、渡したり、勧めてみること自体はどんどんした方がいいと思う。強制しないなら。強制的に読ませると、意味がないどころか、マイナスの効果になってしまいます。

親が買ってきた本をそのときは読まなかったとしても、子どもなりの適齢期がきたら手に取ることはよくあるから、その行為自体が悪いわけではない。

ちなみに親が本を買うときは、気軽に買ってはいけないと思っている。「親の選ぶ本=つまらない」という価値観が形成されると、何を勧めてもポジティブに読んではくれないから。
「ためになる」以上に「好きそう」を意識して、子どもに本を推薦しないと親の「選書眼」のおける信頼を失う。

図形問題が苦手な子にどうアドバイスする?

△ 折り紙やパズルで遊ぶことをすすめる
○ 「折り紙やパズルで一緒に遊ぼう」と誘う

悩んでいる人多いだろうからもっと詳しく書いてほしいテーマだが、一般論が4ページだけというのは寂しい。

「パズルやブロックで遊びながら、親が組み合わせる楽しさをナビゲートすると平面図形や立体図形に興味を持つ」とも書かれているが、どれくらいの人数がいたのだろう? 客観性があるのかはよくわからない。

「図形を得意にする」「図形に馴染ませる」という話題において、積み木やブロック遊びは、よく言及されるが、実際にそうなった子はあまり見たことがない。
積み木が得意でも、図形問題は苦手だったり、ブロックであまり遊んでいなくても得意だったりする。一人ひとり図形の得手不得手度と過去の遊びを追跡したわけじゃないから、否定もできないが、肯定も難しい話のように思う。

ちなみに我が子は、積み木やブロック、パズルもよくしたし、レゴでもいっしょに遊んでいた。
・・・が、図形は苦手だった。
・・・で、克服した。

理解できていない単元は、徹底的に学び直すべき?

× すべて学び直しをする
○ 影響力の大きい単元だけ学び直しをする

算数の章に書かれていること。例として4年生で九九がわかっていない場合が挙げられている。

この場合、考えるべきことは「九九」がどうこうではない。

小2で習得するはずの九九を習得しきれなかった「学習力」こそが問題。だから、九九を学び直したからなんとかなるという話じゃない。
これは他の単元にも言えること。できていない単元やその重要性によって学び直すかどうかを決めるというのはリスキー。多くのAI教材にも言えること。

本質的な原因は、習得する能力か学習に対する姿勢、気持ちなどを変えないと、もう取り返しがつかなくなる。進学塾ではそこまではしてくれない。だから、親がコーチングするしかない。

子どもが言葉を省略して話してきたら?

× 言いたいことはなんとなくわかるので、理解してあげる
○ 言いたいことがわかっても、ときどきわからないフリをする

国語の章に書かれていることで、要するに日常生活の中で、適切な日本語を使うようにしましょうということ。「ごはん」と言わずに、「ごはんが食べたい」と言う、など。

実は、「そういうコミュニケーションの仕方を日常から気をつけてね」と保護者におすすめしている時もあった。できればそうした方がいいこともわかる。

でもね、物理的な時間と心の余裕がないのよ。そんなことをいちいち考えて発言しているような。夕食どきのバタバタの最中に、
「僕は今日学校でいっぱい走ってお腹が空いたので、心から今すぐおいしいごはんを食べたいと存じます・・・」
とか言われたら、
「いいから、早く要点言って!」
ってなる。子育て現場との乖離を感じる意見。

じゃあ、どうすればいいかというと、親がゆっくり聞く体勢を整えて、子どもがちゃんと話すシーンを1日か1週間の中で設定する。
学校の話でもいいし、テレビで見たこと、本で読んだことでもいい。事実として何があったのか、それに対して自分はどう思うのかを明確にしながら、説明する時間を作る方が効果的だと思う。

うちは、朝日小学生新聞のコラムを小3娘が読んで、毎夕食時みんなでそのまとめを聞いている。意外と知らないこともあるし、知っていることはそれぞれの知識を出しあって深めたりしている。家族の会話になっておもしろい。
娘の発表を聞く中で、不要な情報をどう削除するかみたいな説明の仕方の工夫や、自分だったらどう話すかという話もできる。

日常では「マスクっ!」でもいい。生活の中に学びを入れるのは大賛成。生活を優先する場面と、学びを深める場面で分けた方がうまくいく。

ちなみに、同じ「ごはん」でも、いつ、誰が、どんな口調で、何のために言うかを捉えるのは、共感力が養われている瞬間でもある。


ちなみに、中学受験に直接役立つ本ではない。
ツッコミどころだらけだが、まちがったことを言っているわけじゃなない。同意できる部分も多い。子育て本1冊目にはいいかもしれない。けれど、もっといい本はたくさんあるので、この本でなくてもいい。

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