#1 『教育力』齋藤孝
本はただ読むだけじゃ、身にならないと言われます。
でも実戦までには壁があります。だから、せめてはっきり同意したり、反論したり、ツッコミながら読んでいます。
結構前の本だけど、今でもいい本だと思います。
子どもと先生の関係性
先生も学び続け、成長し続けないといけない。親も。
教える人、指導する人自身が、日々成長しようと努力している、もがいている、その姿が学びに足るという信頼を生みます。
先生と呼ばれたからって、完璧じゃないんだから、失敗を見せて、「ごめんね」って言いながら一緒に成長するのが大事だと思っています。
そういう意味で、子どもと大人は常に対等。
汎用性の高い教育
「転移」というものです。これをねらいまくってます。
算数の指導をしたからといって、数式に対する解答を出せるようになるのは最低限。付随する能力を高めてあげることで、他のことでも結果を残せる人へと伸ばしてあげることが教育。
プログラミング教育なんて、まさにそれだと思います。
小学生のプログラミングスクールで、コード書いてアプリ開発することはあまりない。それが目的ではないから。でも、「転移」が起こりやすい素材だと確信している。
「転移」が難しいんです。一説によると、「転移」は起こらない、と言われることもあります。
でも、個人的にはあると思っています。実感値としてはあるから。定量化できないのが壁。
先生の資質
これは、どうかなー。前半は否定的。
「教えるのが好き」という人が先生になると、きちんとした子を好きになる傾向があります。自分の話をちゃんと聞いて、深く理解してくれることが、教師側の自己満足になっている気がします。実は賢いのに生意気な子とか、自分の言う通りやらない子ははじかれがち。だから、伸びること伸びない子が出てしまう。
一方、研究者タイプの先生は両方好きです。
優秀な子は、どこまで伸びるか楽しみになるから。優秀でない子も、どう伸ばしたらいいかを考えるのが楽しいから。
それが指導者としての自分の成長だとわかっているから、どんな子が来ても楽しい。想定外の反応するほどワクワクします。
空気を読む力
空気を読んで忖度する力ではないはずです。
弱い子が多いなぁ、って感じる力。問われていることを理解できない。または、考えられない。メタ認知の欠如。
子どもたちの責任じゃないんですけど。学校で「問う」という行為の前に、「教える」という行為をしてしまっている結果だと思っています。
「問われる」→「考える」の頻度を増やさないとこの力はついてきません。一方的な講義ではほぼ不可能。勝手に考えている子だけが身につける。
受験のとき、過去問を解くことなんて、まさにそれ。
その学校がどんな傾向の問題を出して、何を問おうとしているかという傾向を掴むために過去問を解く。だから点数で一喜一憂しても意味がない。確認すべきは、傾向を掴めたかどうかだから。
自習力
日々の学習は、結局、そこへ向かっています。
「自学自習」できる力をつけてあげれば、自分で学び続けていけるはずなんです。親としてはそこを早くから意識したい。
「自学自習」のスタイルは、一人ひとり違います。
学習時間が長いか短いか、夜型か朝型か、何かを覚えるときに書くか言うか見るか、などなど。
形だけではなく、気持ちも重要。どんな気持ちで学習しているか。「めんどくせー」って思いながら、解いているのは単なる作業。何を習得するのか、何のレベルを上げるのかを考えて学習しているのが本当に効果的な学習。
自分自身を試し続けないといけません。これは結構きつい。だから、力になります。自らを磨くという感覚をもてます。
そして、自らを磨くことを辛いことも含めて楽しくなると、完成かな。その先があるかな。
学習力
いいこと言うなー。2007年の本ですよ。
知識を得るプロセスで、脳を鍛えるようなプロセスを踏む学習が必要ですね。「詰め込み教育」が悪いのは、知識を増やしているからではなく、知識を増やしているだけだから悪なんです。
いろんなことを早いうちから知っているのが悪なんじゃないんです。その辺がごっちゃになって批判されるから、幼児教育が十把一絡げに「よろしくないもの」とされる場合があります。
批判的に読んでも、同意する部分の多い本。
たぶん、公教育の考えと方法があまり進化していないからです。そっちの方がまずいと感じます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?