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中学受験における「 n = 1 」の意味と価値

我が子の中学受験をブログでかいたり、SNSで発信したりする人はが少なくない時代。
でも、その信憑性は・・・というと疑問がつく、というより、我が子や我が家には合わないなとなってしまう場合が多い。

息子の中学受験を経験して、中学受験の伴走に必要な親としての「感覚」を身につけられたような気がしている。
それだけだと、確定的なことは言えないな、と思いつつも、「親になってみないとわからないこと」も確かに存在する。

他のお子さんをお預かりして指導する立場と、我が子に伴走した親の立場を経験したからこそ感じる「n=1」について考察する。


n = 1 とは何か?

塾講師やプロ家庭教師などがたまに言うこと。

「n」とは、指導した生徒の人数のこと。
つまり、我が子の中学受験に伴走しただけで、中学受験についてわかったような記事を書いたりする人を揶揄しているのだろう。

我が子は1人だから、「n = 1」の経験だけで中学受験を語っている人の意見はリスクがありますよ、と。
きょうだいがいれば「n = 2」、きょうだいが2人いれば「n = 3」となるが、「所詮その程度ですよ」ってこと。

「サンプル数が一桁台で、なにをわかったことを言うか!」
って気持ちが透けて見える言い方。

では、塾講師は「n」の数が多いから、高度な指導ができるか?

確かに、その通りではある。
たとえ10人きょうだいだったとしても、「n = 10」でしかなく、10事例でわかったようなことを言ってはいけないのは誰でもわかる。
それが、開成だろうが桜蔭だろうが灘だろうが。

では、塾講師はどうか?
塾講師は「n」の数が多いのか?

たまに、「4000人指導した」みたいなことを本のプロフィールに書いている人がいる。それだけ見ると、「n=4000」みたいに見える。

でも、正確には「4000人に授業した」だと思う。
講師が話しているのを聞いていた人の述べ人数でしかない。

その講師は何人の顔と名前を覚えているのか?
その子の成績や性格や受験時の悩みや葛藤を覚えているのか?
その子が、どんな問題でどう解いたか、そのときどんな気持ちでどんな表情をしていたかという記憶があるのか?

果たして、その程度の子どもとの関わりで「n」と言えるのか?

塾講師の経験値が上がらない理由

息子を塾に入れてよくわかったことがある。
それは、家庭でどう伴走すると成績が上がるかという知見は持っていないということ。

小5の途中から入ってきた生徒がいきなりトップクラスの成績を取っているのに、特に理由をヒアリングされることはなかった。

不思議に思わないのかな?
自分だったら、気になって仕方がない。
何をしてきたのか、家庭学習をどうしているのか。
聞きまくるんじゃないかと思う。

個人の学力が過去どのようにしてついてきたか、などはあまり興味がないのだろう。

ある1人の子を伸ばすには、過去の学習歴はとても大事だと思う。結果だけ見ても、作られた学力なのか、地頭なのかは判断できないから。

いや、過去だけではなく、入塾の段階から成績が上がっても、その原因が家庭での学習にあるとは考えていないらしい。
だから、特に質問をしてこない。

また、組み分けテストの点が悪くても、アドバイスはない。
外部模試の結果を見ても、こちらが聞かない限り家庭学習についてのアドバイスはない。
逆に、よい結果の場合にヒアリングされることなんてもっとない。

だから、知見が溜まらないのだろう。

中学受験に伴走する親たちは我が子のことだから、それはそれは真剣に毎日考える。
成績が上がる子には、それなりの家庭での子と親の努力がある。

それらを収集しない塾講師の「n」の数は増えない。
いや、数は増えていくのかもしれないが、純度が低い「n」をいくら増やしても指導力にはあまり意味がない。

「n」より大切なもの

実は、このことは、前職時代の実感としてよくわかっている。
「nの数」=「指導力」ではない。
また、「指導年数」=「指導力」でもない。

大切なのは、1人の「n」からいかに学んだか。
先生が生徒からいかに学んだか、ということ。
この「生徒から学ぶ」という発想がない人が大多数。
また、どう学び、ほかの子に活かしていくかは、言うは易し行うは難しの典型。

そういう意味では、親子の「n = 1」というのもあながち無意味ではない。伴走度や我が子から学ぶ力にもよるだろうけれど。

親は進学塾に入ってからの3年間だけでなく、その前の9年間もその子を見ているわけである。
さらに、塾に行っている週3日4時間だけでなく、それ以外の家での時間のすべてを共有している。
その「n」の密度の濃さは、他人の子を指導する塾講師では経験できない。

どちらの経験が優位なのか

要するに、「n」として経験する内容が全然ちがう。
だから、比べるのがおかしいし、そもそも役割がちがう。

我が子の経験をもとに、「n = 1」だけで、一般論のように語るのはおかしい。
だけど、伴走した中で苦労したこととか、塾に通わせる側の意見は事実を元にしたその人の意見として聞くと、塾講師にはない視点が得られる。

一方、技術論は塾講師に軍配が上がるのは間違いない。
プロなわけで。
でも、家庭学習などの経験値をもっているとは限らない。
それは、個別指導とか家庭教師も同じ。

逆に、自分の子が中学受験した経験を持つ先生なら、ハイブリッドで最強ではないか?
生徒の薄い「n」に加えて、我が子の濃い「n」から学ぶ経験が指導力を劇的に上げてくれるはず。

つまり、息子の中学受験を経て、私は最強の先生になれたということだ。(うそうそ)

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