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言葉というカタチ

noteを始めて数ヶ月経ちましたが、過去自分が書いたものを読み返すと、ちょっと恥ずかしくなることも多いです。

私の文章ってこんなにぎこちないんだ、とか。なんかえらそうなこと言ってるな、とか。

あとは、こんなピュアなこと考えてるんだ、とか笑。

わりと赤裸々というか、思ったことをストレートにそのまま書いてきたので、後になって冷静に読み返すと結構気恥ずかしいものもあります。

でも、文章を書くことでよかったと感じることもそれなりにあって。

1つは、自分の内側にあるものを言葉として外に出していくことで、自分の思考や感覚がより明確になったことです。

言語化しなければ、自分がふだん何を考えているか、何を感じているかもぼやけた感じがして、自分にとって大切なものとか自分の価値観とかもはっきりと見えてきません。

それが、言葉としてアウトプットしたものを見返してみると、私ってこんなこと考えてるのか……って感じで、自分を再発見するような面白さがあります。

ぼやっとしていた自分の内面が、少し輪郭を伴って見えてくる感じです。

ただ、言葉はいつも内面を1ミリの齟齬もなく反映してくれるわけでもありません。

言葉として外に出されたものと、もともと内面にあったものは常に少しズレています。

でも、ズレていることがダメということでもありません。

そのズレに対して感じる小さな違和感が、次の表現につながっている気がするので。

ズレがあるし、完結しないから、新しい言葉が出てくる。

そしてそのズレも、言葉にしたときに初めて気づくことができるものです。 

自分の内面にあったものが明確になりつつもズレを感じて、ズレがあるからまた新しい言葉で書いていく。

そんなサイクルを繰り返しています。

noteをやってよかったことの2つめは、表現することによって内側にあったネガティブな感情を解放できたことです。

トラウマ治療の場などで「話すことは手放すこと」といった言葉を聞くことがありますが、まさにそうだと思います。

話すことができないくらいしんどい場合は除きますが。。

過去のネガティブな経験についての記事をいくつか書いたおかげで、ちょっと気が済んだような気がしてます。

単に言語化しただけじゃなく、それを人に読んでもらって、「スキ」してもらったことによって、より感情の解放が進んだようにも感じます。

私のnoteは今のところ思いついたまま書いているだけで、あまり誰かの役に立つような内容でもないと思いますが、それでも読んでくださったり、感想をくださったりした方にはとても感謝しています。








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