人と違う生き方をしていく
「みんなやってる・持ってるから」を手放す
私はシャンプーやトリートメントを使わずに、天然のインドハーブやヘナを使用している。
同じような感覚で、洗剤もほぼ持っていない。重曹、クエン酸、中性洗剤、酸素系漂白剤で事足りている。
なんでそうするかというと、その方が楽だってことに気がついたから。
私の場合は市販の化学物質入りのシャンプーはどれを使ってもダメだったし、洗剤もありとあらゆるものを使い分けるのがストレスで、少なくしたら掃除がめちゃくちゃ楽になった。
家電で言えばテレビ、炊飯器、トースターも持ってない。手放した。
これも「なくて不便」どころか、なくてもよかった。
こういう、「みんながやっているから、持っているから」というものは、そもそも現代のマーケティングから始まったもので、目的はものを売ること。
ということは、みんなが使っている=良いもの。とは限らない。みんながやっているから、それをあなたもやるべきとは限らない。
こうじゃなきゃいけないという呪縛
日本は「こうじゃなきゃいけない」みたいな風潮に囚われがちだと思う。
そういう思い込みって辛くなるだけ。
聞いている方も嫌だし、言っている本人も実は嫌な思いをしている。自分で自分を縛り付けるようにしている。
「〜じゃなきゃ、とか、〜であるべき、〜が普通、みんな〜している。」といったものは現代にたくさんあると思う。
仕事はしなきゃいけないもの。正社員じゃなきゃいけないもの。
女が家事をして男が働くべき。結婚したら子供を作るべき。
家や車を持つことが普通。みんなテレビを見ているだろう。
離婚は不幸だ。離婚したら会ったり話したりしたらいけない。
部下と上司の関係はこうであるべきだ。敬語は当たり前だ。
料理は毎日作らないといけないもの。毎日違う献立じゃなきゃいけない。
考えただけで嫌になってくる。
書ききれないほどの固定概念がこの世の中には存在する。
こういう「〜であるべき」から外れた人はみんな、変人扱いされる。
かくいう私も、「変わってるよね」「ちょっとずれているよね」と言われることもある。
でも、こういうのをもうそろそろ手放していきたい。だって人生は短いのだから。。
いろんな人がいていい。人と違っていい
「みんなこうだから」とか、「こうであるべき」みたいな風潮をそのまま自分の人生に反映させてしまったら、辛くないだろうか?
「なんとなく成り行きで・・・」といったように人生というストーリーは進んでいくのかもしれないけれど、
それって絶対に不満が出てくる。
結婚したから幸せになれると思ったのに、とか。子供を産めば人生変わるんじゃないか、と思ったのにそうでもなかった、とか。
って大事なことだと思う。
自分がしたくないことをする必要はない。それを自分の意思で選択しなくちゃいけないよね。
マイノリティに生きる
マイノリティは少数派という意味。
差別や偏見、同調圧力を受けやすいんだって。
日本人は「みんなが同じであること」を美徳とするので、このマイノリティな人というのは嫌われる。
でも、私はそれでいい。
人と違う自分に、昔はコンプレックスがあった。けど今は逆に人と違う自分が好き。みんなと同じじゃつまらないと感じる。
多数派の人と違う生き方をしてみたい。
少なくとも、「自分で決める」ということをこれからも守っていきたい。
人に選ばされたと思うのではなく、自分で自分の人生の進むべき道を決めよう。
2024年の目標は、もっと変な人になること。笑
ちょっと捻くれた考えだけど、人と違うことがしたい。人が持っていないものを持ったり、人が持っているものを手放していったり。
もちろん、自分が「これはこう」と思っていることもどんどん手放していきたい。
固定概念のブロックを外す作業はとてもとても楽しい!
18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。