見出し画像

フラ語で演劇日記:役を剥奪された日。

3ヶ月間、フランス語で演劇授業を受け始め、その中で起きたドラマや学びを忘備録としてまとめています。

今日書くことは、実は約2週間前の出来事
 (…その週は、オーディションが急に6つも入って、半分はフランス語だから準備にも時間がかかって、他の色々と相まって、久々にメンタル崩しかけてたので、反省して自己管理に徹底。役者の道はマラソンだから、メンタル・健康管理は大切にしなきゃね。)

前回の授業でやっと配役が決まり、6月末の期末公演に向けた準備が本格的に始まってきました。

今日から読み合わせ
台本を初めから最後までみんなで読む…の、で、す、が…
戯曲中盤、「やっと私の役が出てきた!」と思って読み始めると、なんと2行でストップをかけられ。

急に先生の顔が真剣になり、「厳しい話をしよう」と言い出したんです。
もう…なにー---泣泣泣

端的に説明すると、配役は前回の授業で決まったものの、その日は新しい男性生徒Aが一人加わった関係で、配役を再度調整しないといけないとのこと。

そんなことを長ーく、ゆっくり、先生が説明しているうちに、私はもう悟っていました。
前回、コールドリーディングで先生とクラスメートを説得し、「勝ち取った」2つ目の脇役を、結局は他の人にやらせたいんだろうと…。

そもそもこの戯曲は、主役6人と脇役2人みたいな構成。
もともと私は、その脇役一つを任されていたのですが、もう一つの脇役も空いていたので、「両方できます!」と手を挙げて役をもらったばかりでした。

でも、男性Aが入ってきたことで、女性Bの役が男性に置き換えられて男性Aに渡され、私の2つ目の脇役が女性Bに。

これで一番ショックを受けるのは、結局、脇役を一つだけすることになった私と女性B。

女性Bは、もう涙ぐみながら「もうセリフを覚えて、役とつながり始めていたんで…正直…悔しいです…」みたいな感じ。
みんな沈黙。

私も、先生が台本をちょこちょこ変える中、何度もセリフを覚え直したし、2役それぞれの準備を重ねてたので、「えええ…」という気持ちは抑えられず。

でも、まあしょうがない状況ではあり、演出家(先生)が決めたことなら絶対なので、(個人的に受け止めるなー、泣くなー)と自分に言い聞かせて平然を装っていました。

しかし、その後。まだまだこの日のドラマは続きます。

というのも、実は脇役2つは母子の設定で、ラテン系フランス人である女性Bと日本人の私が「母子」になることに異論を唱える女性Cが出てきたんです。

女性Cは「ねえ、ひろみと女性D、立ってください。この2人に脇役2つをさせるのはどうですか」と言い出します。

補足すると、クラスはみんなフランス人なんだけど、女性Dだけアジア系フランス人なので、見た目だけアジア人なんですね。

言いたいことは分かるんだけど、私はこのやり方には大反対でした。

まず、女性Dは、何か月も前からこのクラスに通っていて、既に脇役をやったことがあったから、先生も今回は主役の一つを託していたこと。

そもそも、「授業」という学びの環境の中で、明らかに新しい挑戦をしている女性Dに対して、見た目アジア人だからって理由で、「脇役どう?」って提案するって、少し無神経じゃないですかね…。

悲しくも、ハリウッド映画とかになればなるほど、そう言った「人種縛り」が出てくるものなので、小さな授業の公演くらい、人種を気にせずに伸び伸びと「役作り」に集中させてほしかった。

結局、普段は口数が少ない女性Dも、この時は5分くらい「うーん」とうなった後に、はっきりと「でも私は今の役がしたいです」って言ってくれたから、先生も無視できず、脇役は女性Bが引き続き担当することになりました。

フランスは、移民の多い国=多人種の国だからか、基本的に演劇では観客がイマジネーションでつじつまを合わせてくれて、そこまで「人種縛り」が過酷でないと聞いていたので、今回は少しショックでした。

まあでも、海外で役者をやっていると、自分の人種や見た目は常につきまとってくるもの。
それが、フランスで日本人役者は珍しいからとポジティブに転ぶこともあるので、こういうネガティブ面とも向き合っていかねばと自分に言い聞かせる一日でした。

くうううっ!



この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?