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ぼくものがたり(戦後80年にむけて)⑱神社とお寺とキリスト教・自転車ドロボー

《 神社とお寺とキリスト教 》

 仏もキリスト教もよく分からなかったけど、神社やキリスト教会は何かあるとお菓子をくれた。みんな貧乏だし、戦争で家さえない人たちも多かったから、
「母ちゃんお菓子ちょうだい」と言っても、やっぱり、
「そんなもんないよ!」って言われた。
 神社か教会の両方行ってれば、どっちかでお菓子をもらえた。近所の人は
「よくお菓子買えるわねぇ」と、教会を心配していた。
 教会はあちこちにあった。僕が通いはじめた学習塾の中に教会があって、先生がクリスチャンだった。
「アーメンソーメン、冷やソーメン」
とか言って馬鹿にしている時もあったけど、話を聞いていればお菓子をくれるから通っていた。牧師さんが何を言ってるかわからなかったけど、
「天にまします我らが父よ、願わくは○○したまえ・・・・」とは聞こえたから、
「たまえ~」
だけ言って、もういちど最後に、
「アーメン」とだけ言っていた。
 
 阿佐ヶ谷は天祖神社って言う神社と、と世尊院というお寺が隣り合ってる。神社でまちがって「なんみょうほうれんげきょう」って言うと怒られた。
 お寺は人が死んだらみんなで行くところ。
「男はなくな!」って言われてたけど、お寺なら泣いてもいいところだと思っていた。お寺は小さい子供たちも中に入れてくれたから、よく遊びに行っていた。自転車を二人乗りして怒られたこともある。お寺は小さな子供たちを教えるところで、その後幼稚園になった。

 神社からは戦争中、「万歳!万歳!」って聞こえてきた。戦後に神社が「天皇陛下、万歳!」と言うと、近所の人は怒っていた。
 僕のなかでは、お寺=お葬式、神社=お祭り(太鼓と万歳三唱がつく)というようにとらえていた。僕はお祭りが好きだから神社の方が好きだった。で、「天皇陛下ばんざーい!」って言うのが神社。

《 自転車ドロボー 》

 ある時、僕の家の前にある八百屋さんの自転車を盗んだ男がいた。お客も子供たちも大勢いる前でパーっと盗んでいった。すると子供たちが、
「ドロボー! 自転車ドロボーだー!」
って怒鳴って、ずーっと追いかけた。それに気づいた八百屋のおじさんも追いかけて、反対からくる人に、
「そいつ泥棒だ!捕まえてくれー!」
って言ったら、前から来た男の人も、
「こいつですかー!?」と叫びながら聞いてきたから、みんなが、
「そいつだ!そいつだー!」と。
 そうしたらその男性は猛スピードで走っている自転車にバーンと体当たりした。泥棒は、横に流れていたドブ川(下水とか汚水が流れてる川)に落っこちてずぶ濡れになった。

 それを見た八百屋のおじさんは、優しい人だったから、
「ドブに落ちたんじゃ仕方ない。お前もあれだろ、金に困って、食うものがなくて、仕方なくやったんだろ?」と。
 泥棒は「すいません、すいません」とひたすら謝っていた。
 とにかく泥棒をドブ川から出してやった。泥棒はずーっと「すいません、すいません」と謝ってる。
 八百屋のおじさんは元警察官だったから、他の人が、
「交番まで連れていきましょうかね」と言ったけれど、おじさんは、
「いいや、いいや。自転車はもどったんだから、いいや、いいや」
て言って。そしたら泥棒は何回も何回も謝ってお辞儀してさ、八百屋のおじさんが見えなくなるまで「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ってた。
 僕たちも最後まで見てたんだけど、まぁ、あんだけ謝ったんだから許しても仕方がないかな。って。おじさんも、
「鍵をかけないで置いておいた俺も悪かったんだ」と。
 
 自転車泥棒も流行っていた。自分が乗るためでなくて、売ってお金を儲けるため。「自転車泥棒」って言う映画にもなったんだ。とにかく置いておくと無くちゃっていた。今、自転車なんてどこに置いたって盗む人なんかいないけど。
 

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