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短編ユーモア小説 『勝っても負けてもメダリスト🍀ご近所さんオリンピック』

 夏の日の午後。

昼食を済ませた家族3人が リビングで過ごしている。

パパ

「ああ... オリンピックが消えた...」

ママ

「あなた、仕方が無いわ。国民の財産・生命を守るのが政治家の仕事なんだから。コロナが落ち着いたら また改めて開催されるわよ。

 だいたい猛暑の夏に競技させたら選手たちが可愛そうよ。」

娘のセイコ

「そう、ママの言う通りね。熱中症が起こる時期に開催したら 選手への負担が大き過ぎるわ。気の毒よ。

 今回のオリンピックは 〈コロナ感染防止のために延期されて良かった〉みんな、そう言ってるわ。日本の為に配慮してくれたIOCの “バッカ会長”に感謝しなきゃね」

パパ

「そう... 仕方が無い。でも他に楽しいことが無いから...」

ママ

「そうね、あなたは今は調子を崩して 休職中だもの。その辛い気持ちは分かるわ。でもオリンピックだけがスポーツではないから。テレビでプロ野球やゴルフを観て、気晴らしすると良いわ」

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娘のセイコ

「そうよ、オリンピック延期は残念だけど。他にも楽しいこと有るわよ。もうしばらく のんびり休職生活を楽しんでね」

パパ

「ありがとう... おまえたちのお蔭で気分は回復してきたようだ。もう少しで仕事に戻ろうかと...」

ママ

「あなた、今は焦らない方が良いわ。本当に心の底から仕事に行きたいと思えた時に、復帰すれば良いじゃない」

娘のセイコ

 「そうよパパ、焦らないで。もうしばらくはリラックスして お昼寝をしたり本を読んだり、のんびり休んでね」

パパ (目に涙を浮かべながら)

「娘にまで心配させて... すまない...」

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ママ

 「今は無理しなくて良いのよ。ただ私たち、あなたに少しでも気晴らしをして欲しいの。だから今日は見て欲しいものがあるわ。スポーツの動画よ。

 知ってる?ご近所に たくさん優秀なスポーツ選手がいるの。その選手たちがいるから、うちの町内は年がら年中 スポーツ大会が開催されてるの。」

パパ

「町内でスポーツ大会?優秀な選手?駅裏にあるテニスクラブのコーチのことか?」

娘のセイコ

「あそこのコーチは 二流だわ。卓球経験しか無い私の友達が、練習試合して勝ったくらいだもん!

 今、ママが言った優秀な選手っていうのはテニスじゃなくて、もっと目立たない競技よ。しかも普段は おとなしい選手たちのことよ」

パパ

「目立たない競技? 普段は おとなしい選手たち?」

ママ

「あなたは今まで仕事が忙しくて、気付いて無かったのね。普段は、おとなしそうな御近所さんたちも競技に参加してるのよ」

パパ

「おとなしそうな人も参加?何のことだか、さっぱり分からない...」

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娘のセイコ

「パパ、すぐに分かるから安心して。ご近所さんたちの競技の様子は、スマホで撮影してあるから。今日は それをゆっくり見てよ」

パパ

「ああ、気になるから。その運動会を見せてくれ。」

娘のセイコ

「ご近所さんたちは真剣だから。“運動会レベル”じゃないのよ。瞬発力や集中力、半端無いんだから。まるで世界のトップ アスリートよ!

 もし この競技大会を名付けるなら...

(ママと娘、2人で声を合わせて)

「勝っても負けてもメダリスト、

ご近所さんオリンピック〜!」

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 「お、おまえたち、元気だな...」

 妻と娘の高いテンションに 付いていけないパパではあったが。スマホ動画を観る事となった。この日、パパが視聴した競技は競歩だ。

 テーブル、パパの目の前にスマホが置かれた。

ママが大雑把に競技の説明をする。

 「4丁目の木村さんの次女、エミちゃんは朝が弱くて。高校生にもなって毎朝、母親に起こして貰ってるの。学校には徒歩で通ってるんだけど いつも遅刻寸前らしいのよ。

 そしてパン屋の向かいに住む会社員、佐藤さんの御主人も朝が弱いの。コチラは前の晩のお酒が原因で、なかなか起きられないらしいわ。通勤、駅までの10分の徒歩が辛い状況。

 木村さんのお嬢さんの通学と佐藤さんの通勤の時間が重なって。並んで歩く通りがあるのよ。そう!それが私たちの家の前の道路よ」

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 ママの説明では、家の前の信号から西の端の信号まで。

この160mで競歩の勝敗が決まる。


 スマホ撮影したその日は、佐藤さんの御主人が8mほどリードで競技が始まった。寝ぼけ眼(まなこ)の木村家のお嬢さんが 佐藤さんを追うという形から競歩は始まる。

「パパ、動画を観て楽しんでね」

そう言ってから、セイコがファンファーレを叫んだ

「チャカチャン、 チャッチャーン🎵」

そしてママがスタートの号令役だ。

スタートの合図として 左手で自身の腹を思いっきり叩く。

ヨーイ、 〈バシンッ!〉 

(右手でスマホの動画再生ボタンを押す。ここからは親子3人、スマホ画面を注視)

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 動画は編集されており、スマホからセイコの実況中継の声が聴こえる。(競馬の実況風)

 「さあ、良いスタートを切ったのはサトーノ ゴシュジンだ。サトーノ ゴシュジンが8メートルのリード!

 その後を追うキムラノ オジョー!昨夜は友達とラインのやりとりで夜更かしをしたせいか足取りが重いぞ。しかしサトーノ ゴシュジンも昨夜は日本酒5合、晩酌の量が多過ぎたようだ。

8メートルのリードは、それほど大きくはない!

 このレース展開は誰にも読めないぞ。キムラノ オジョーが猛追だ。追い付くか?追い抜くか?それともサトーノ ゴシュジンが逃げ切るのか!?

追いつくのか?

逃げ切るのか?

とにかく進め、進め、進め〜!

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 歯を食い縛り、必死の形相で前進するキムラノ オジョー。

 サトーノ ゴシュジンも中年にしては頑張ってるぞ!腹は出てるが足も出る!前へ前へと進め〜!」

 ところが...

〈スッテン コロリン!〉


「おっと!危ない。サトーノ ゴシュジンがレース序盤で、勢い良く石ころで躓いた。大丈夫か?起き上がれるのか?

 サトーノ ゴシュジンが膝の痛みで涙目になっているうちに、キムラノ オジョーが距離を詰めた!

詰めた、詰めた!

1馬身まで距離を詰めた。

 おっと!サトーノ ゴシュジンがキムラノ オジョーの気配に気づいて振り向いたぞ。〈負けてなるものか〉とサトーノ ゴシュジンが立ち上がる!

 しかしカバンの口から たくさん書類が飛び出しているぞ!明日の会議の重要資料が飛び出して散乱だ。個人情報も含まれているからヤバイ!もし書類を失くしたら、また鬼部長に怒られるぞ!」

   白熱するレース展開、実況のセイコの声にも力が入る。

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   気がつけば、佐藤さんの御主人と木村のお嬢さんだけでなく、その後ろを高齢者が歩いている。デイサービスのお迎えから逃げ出した石田のお爺ちゃんだ。

 そして更にその後ろを、かわいいトイプードルを連れたブルドッグ顔の内村の奥さんが速足で歩いている。誰もがそれぞれに目的を持って、西へ向かって一所懸命に歩んでいるのだ。

そうだ。この時間帯の、この通りでは

誰もが 熱いアスリートなのだ!

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 動画の再生は続き、セイコの実況中継の甲高い声がリビング全体に響く。固唾を飲んで展開を見つめるパパ。

「キムラノ オジョーが、サトーノ ゴシュジンを追い越したぞ。1馬身のリード。いや、もう既に2馬身のリードだ。やはり若い!キムラノ オジョーが勢い良く爆進だ!

ゴールまで 約120メートル。


 ワオッ!ここで変化が起こったぞ!

 デイサービスのお迎えから逃げたイシダノ ジージだけではなく、ウチムラ カオブルドッグもハイスピードで歩み始めた!何かに興奮している様子だ。サトーノ ゴシュジンまで3馬身ほどの距離だ。

 イシダノ ジージは 振り向く事なく歩いている。だが、すぐ後ろにデイサービスの送迎車が迫っているぞ!そして送迎車の後ろで、中年女性が何かを叫びながら前を追いかけている。どうやらイシダノ ジージが落とした入歯を拾ったので、デイサービス職員に渡そうとしているようだ。

   この朝の慌ただしい時間帯、自分の時間や労力を使って入れ歯を手渡そうとするとは.. なんて美しい姿だ!

これぞ、まさにスポーツマン シップ!


 おっと〜!今度はウチムラ カオブルドッグがスマホを気にし始めた。歩きスマホは危険だ。止めろ!止めろ!

ツイートしたいのか?

それともインスタのフォロワー数の確認か?

 いや、違うようだ。立ち止まってニッコリ笑った。男性アイドルの顔がプリントされたウチワを振りながら、ウチムラ カオブルドッグが踊り始めたぞ。どうやらジャニーズのライブチケット購入が成立したようだ。

ウチムラ カオブルドッグも心は乙女!

踊れ、踊れ!

そして踊ったその勢いで 前へと進め〜!」

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 競歩レースは中盤に差し掛かった。スマホを注視するパパ。真剣な眼差しのパパを見つめながら、ママとセイコは思った。

 《この競歩レースの動画を観て、果たしてパパは元気になれるのだろうか?》

 この1ヶ月の休職期間中も含めると、パパの明るい表情は もう半年近く無い。

スマホ動画、セイコの実況中継は続く。

「サトーノ ゴシュジン、転倒して散乱した書類をカバンに詰め混んだぞ。そして なんとか立ち上がった!急いで部長に電話で報告している様子だ。書類の汚れを直ちに報告!

報・連・相を怠らない。

基本を大切にするのは優秀なサラリーマンの証だ!

 エキサイティングなレース展開。だがキムラノ オジョーと後続たちとは、どんどん差が開き始めたぞ!やはり女子高生には勢いが有る。他の者は、その若さに勝てないのか!?」

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 するとここで残念な事態が発生した。

 イシダノ ジージが、デイサービスの職員に捕まってしまったのだ。入歯の無い口で、大声で職員に抗議をしている。どうやらデイサービスに自由時間が少ない事、80歳を過ぎてるのに子供扱いされる事などへの怒りの抗議らしい。

「夏ふぁ ビールふぉ 飲ませふぉ!」

 どうやらデイサービスでの酒類の提供も要求しているようだ。

 送迎車への乗車を拒否するイシダノ ジージ。しかし、職員も負けてはいない。任務を果たそうとデイサービスの楽しさを大声で伝えている。

《デイサービスでは酒類の提供は無理だが。オヤツの時間に ウイスキーボンボンなら出せる》

《体操の時間には、お触りは禁止だが。施設で1番セクシーな女性職員が付き添う》

「さあ、デイサービスへ行きましょう!」

 必死でイシダノ ジージを説得しているぞ!

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「白熱するレース展開、

残りは半分、80mだ!」

 セイコの実況中継は続いた。動画は巧みに編集が施されている。この時点での成績が映し出された。パパは、その編集されたスマホ画面を食い入るように見ている。

「一体 誰が勝つんだ?」

小さくパパが つぶやいた。


「読めない!先が全く読めない!現在の状況は...」

セイコの声が順位を伝える。


1位、キムラノ オジョー

2位、ウチムラ カオブルドッグ

3位、イシダノ ジージ

4位、デイサービス ボコボコカー

5位、イレバ オトドケ シンセツレディー

6位、サトーノ ゴシュジン

7位、チャパツ ヤンキー17(セブンティーン)

8位、ショーネンホドー ジュンサ30(サーティー)

9位、カイランバン ヤマダノーメイク

10位、アサガエリ ホステス40(フォーティー)

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 またパパが小さく つぶやいた。

声は小さいが呼吸は荒くなっている。

「誰もが...   個性的だ...」

 いつも平日の朝には、ご近所の個性溢れる面々が こんなにも熱い競技を繰り広げているのだ。だがパパは知らなかった。

 ご近所のことに疎い。しかし、それは無理もない。家族を養うために長時間残業や早出出勤、休日出勤が当たり前のサラリーマン生活をパパは過ごして来たのだから。

 世の中に存在するのは明るい職場ばかりではない。自身の個性、感情を抑えて耐えなければならない職場も多いのだ。元来は明るくて のびのびした性格のパパが、そういった職場環境で鬱病を発症したのは仕方が無い事だろう。

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 レース中盤までを観ただけで呼吸が乱れて 顔が真っ赤。

それに気付いたママが、速やかにスマホ動画を停止した。

レースの残りは、50m


 ママが優しく声をかける。

「あなた、大丈夫? 少し休憩する?」

 パパは即座に応えた。

「大丈夫だ...   早く続きを見せてほしい...」

ママは心配した。

 《あまり興奮させると、鬱が更に悪化するのでは?》

しかし夫を支える妻としての直感に ママは従った。

《動画を最後まで観せるなら今、このタイミングしか無いわ》

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 ママが改めて再生ボタンを押すと、後続グループの激しい争いから動画が始まった。

 ギラギラした単車で暴走していた7位のヤンキー少年が、パトカーで追って来た8位の巡査に補導される映像だ。ジャックナイフのように尖った心を持つ少年も、巡査にライフル銃を頭に突きつけられて、どうやら観念したらしい。

 日本は優れた法治国家だ。警察は少年法に則って【ライフル銃での少年の狙撃】は控えている。

巡査は速やかにライフル銃をパトカーに片付けて

プロレスの関節技で、優しく少年を保護した。

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 次にスマホ画面には、10位の朝帰りするホステスの腫れた顔が映った。

 酒臭いホステスが鼻歌を歌いながら背後から近付いて来た。その事に腹を立てた山田の奥さんが、持っていた回覧板でホステスに強烈な往復ビンタを打ったのだ。

 山田の奥さんは飾り気が無く、いつもノーメイクである。良妻賢母。誠実、真面目をモットーに生きてきた。そのため高級ブランドに身を包み、朝から酒の匂いをプンプンさせてるような女性を忌み嫌っていたのだ。

明らかに職業差別ではあるのだが

《ホステス=悪》の公式が山田の奥さんの頭に有った。

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 しかし、いくら非力な女性だとしても、回覧板で往復ビンタを打てば立派な傷害罪である。それを目撃した周りの者たちは、巡査の方を見た。

《現行犯逮捕するのだろうか?》

 しかし皆が巡査の方を見た次の瞬間、声を発したのは意外な人物であった。

「暴力は良くないぜ!」

 こう言いながら山田の奥さんを睨んだのは、巡査ではなく茶髪のヤンキー少年の方だった。こういう尖った少年は 一見、ツンツンと尖ってはいるが 実は彼らなりの正義感も持っているのである。

 「酒の匂いくらいで往復ビンタは駄目だろっ!その回覧板は憎しみを伝える道具じゃない筈だぜ。

 きっと このオバサンも生活のためにホステスをしてるんだ。家に帰れば子供だっているかも知れないじゃないか。

 今から俺は こちらの巡査と2人でドライブなんだ。邪魔されたくない。次から気をつけな!」

 そうセリフを残して、巡査に腕を組まれた状態で少年はパトカーに乗せられた。山田さんは少年の振る舞いに因って現行犯逮捕を免れたのである。

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 「ご、ご、ごめんなさい...」

 山田の奥さんがホステスに謝った。ノーメイクなのに頬が赤い。自分の行ないを恥じたのだ。

「良いの。大きな声で歌ってた私も悪かったんだから。

 あのお兄さんが言ったように私、バツ1なんだけど小学生の息子がいるの。朝帰りなんて良くないわよね... 反省して、今日は帰ったら ちゃんと洗濯や夕食の準備をするわ」

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 「回覧板で顔を打ったりして、本当に ごめんなさい。

 あなた、夜 働きながら子育てもしてるのね。立派だわ。うちにも小学生の息子がいるの。もし良かったら今度 子供さんを連れて、遊びに来て。今日のお詫びに何か御馳走するわ」

 山田の奥さんは、住所を書いたメモをホステスに渡した。そして二言三言、言葉を残してから回覧板を届ける先へと向かった。

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 動画は続く。もうすぐレースのクライマックスだ。

ゴールまで残りは、30m


 「カイランバン ヤマダノーメイクが頭を下げて、アサガエリ ホステス40と別れたぞ。さあ 今日の競歩レース、果たして勝利するのは誰だろうか!?

 残り僅かだ。 進め、進め!

そして その手で栄光を掴め〜!」


 誰が観てもドキドキするレース展開。

 だが この時、弱々しい声でパパがつぶやいた。

《みんな頑張ってる.... なのに俺は... ダメ人間だ...》

 ママが再度、スマホ動画を停止させた。そしてセイコと同時にパパの顔を見た。

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 長期に膨大な仕事量を背負わされて。

 複雑な人間関係のストレスに晒されて。

 傷付き心を病んだパパが、今 大きな不安を抱えながらペチャンコに凹みかけているのだ。

傷付いた家族を救えるのは、家族でしかない。


妻が燃えた。

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