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文学の森殺人事件 第十一話

「小説家を諦める?」
「自分の限界を知ったというか。これ以上小説を書き続けても意味なんてないと自覚したんです。二階堂ゆみさんも自伝で『自分の才能に限界を感じたら辞めるべきだと』書いてましたから。私は春彦の小説を批評した割に、自分の小説に対しても自信が持てずにいます」
「私が思うに小説に完璧なんてありません。先ずはいろいろな作家の本を読んでそこから完璧を追い求めるだけです。申し訳ありません。話が脱線しましたね」と西園寺は言った。
「いえ、そうだと思います」立壁由紀は言った。「才能の有無も関係はありますが、小説を書くのが好きなら続けていくべきです」
「素晴らしい!」
「でもね、西園寺さん、プロの作家を目指して小説を書き続けていくのは並大抵の努力ではないと思います。語弊を招く言い方かもしれませんが、頑張るのは当たり前なんです」
「つまり――それでもあなたは諦めなければならない?」

「私は向いていません。なぜなら、読む方が断然好きですから」
「残念ですね」
「由紀も長田となんて絶縁した方がいいよ」と名和田茜は急に話を変えた。
「茜、私は春彦とはもう何の関係もないのよ。今はあの人だけが私の愛する人だから」
「もう少し具体的に聞かせて貰えないでしょうか?」
「倉田さんが好きなの」
「え? 何で倉田なんか?」名和田茜は突然の告白に驚いていた。
「茜、倉田さんの悪口だけは言わないで!」
「でも」
「倉田さんは優しくって、大きな夢を持っていて、私と文学の趣味や趣向も同じだから。もちろん春彦と親友だって言うことも承知の上で言っているの。あの方は他の誰とも違っていますでしょ? 聡明で心配りが出来て、顔だって悪くないわ。それに才能だってある」
「由紀、長田と付き合っていた頃、倉田のこと好きじゃないって言ってたじゃない?」
「女は心変わりが多い生き物なの」
「私は先ほど倉田さんに会いましたが、確かに人当たりのいい好青年でした」

 西園寺は女同士の恋バナに巻き込まれて、困惑していたのだが、事件と何らかのかかわりがあると信じて、黙って聞くことにした。もちろん西園寺は倉田という青年には怪しい部分がないことも承知していたが、彼の周りにいる人物には犯人と直接関係があると思われる人物が散見されていた。そのため、まだ事件に関わる証言を聞き出せていない二人に何かしらヒントが隠されている気がしたのだ。
「私、倉田さんと会うと体が熱くなるのを感じますの。でも倉田さんは私の気持ちに気付いていないでしょうね」
「倉田さんと長田さんのことはお二人は昔から知っているのですか?」
「ええ。そうよ」
「宜しければ、昔の話を聞かせてください」
「由紀、話していいかな?」
 立壁由紀はコクリと肯いた。

「私たちは世田谷の中学で同じだったんだけど、由紀は昔から絵が上手くて美術部で油絵を描いていたわ。それと同時に文章の才能もあって、周囲から一目を置かれていたの。けれど、意地の悪い女子生徒たちは由紀の内気な性格を嫌って、酷い悪口を言っていたの。私と由紀は幼なじみで、気の置けない間柄だったから、由紀をいじめる奴なんて、この世から消えてしまえばいいとさえ思ったわ。由紀は昔から友達を作るのが苦手で、引っ込み思案だったから、なかなか、いじめから抜け出せずにいたの。だから私はいつも相談に乗ってあげて、2人で文芸誌なんて作ったりしたわ。
 そんな時、今では信じられないかもしれないけど、長田と倉田が私たちの作っている文芸誌を認めて、いじめを止めるように言ったの。長田は頭は悪いけど、当時はサッカー部の主将で影響力があったからね。それから私と由紀は長田と倉田と関係を持つようになったの。正直言って、サッカーなんて全然分からないし、面白さも理解出来なかったけど、彼らも体育会系に属しているのにもかかわらず、小説が好きだったから、本の書評なんかしたりしてね。
 長田はサッカー選手になるために努力していたけど、練習中に靱帯を断裂する大けがを負って、夢を閉ざされたから、酷く落ち込んで『俺はサッカー選手になれないんだ! だったら小説家になる!』って屋上で叫んでいたわ。そして中学を卒業する時になって、暁市に転校したの。暁と世田谷はそれほど離れていなかったから、関係は続いた。長田は面倒見だけは良かったから、彼を慕う後輩も多かったの。そんな長田に由紀は恋したけど、高校の推薦入学で長田までも暁に進学したって聞いて、これも運命かと諦めざるを得なかったわ」

「なるほど」西園寺は感慨深そうに言った。「四人にはそんな繋がりがあったんですね。でも親友のいじめを止めるように言った長田さんをどうして嫌うのですか?」
「長田は中学の時とは違う。悪魔に取り憑かれたみたいに他人に厳しいの。小説に対して絶対的な自信があるけど、彼が作家になれるとは誰も思っていない」
「興味深い話をありがとうございます」西園寺は言った。「話に倉田さんがあまり出ていないのですが、立壁さんは以前、どうして倉田さんを悪く言っていたのですか?」
「由紀、嫌なら言わなくていいのよ!」
「大丈夫よ茜、西園寺さんも仕事で聞かれているわけだし」
「申し訳ありませんが、話の続きをお願いします」

「倉田さんはあまり目立たないというか、何か問題が起こると、トイレに籠もって、嫌なことから逃げている気がしたから――でも西園寺さん! それは私の勘違いだったの。彼はトイレに籠もるのは、逃げているのではなくて、平常心を取り戻すためだと思うから」
「先ほど申し上げましたが、倉田さんはとても好感の持てる青年でした」
「茜も分かったでしょ」立壁由紀は言った。「倉田さんは引っ込み思案だけど、根は思いやりがあって、いい人だってみんな認めてるんだから!」
「ごめん、由紀。好きな人を否定されたら普通怒るよね」
「私、最後に自分だけの作品を作りたいの。だって私、自分に何の自信もありませんもの。絵だって私より上手い人なんて、ごまんといる。小説だってそう。でも私と彼が付き合う小説を引退記念に書いてみたいの。そうよ! 小説家を諦めるのはそこからでも遅くない。私と彼が付き合ったら絶対に上手くいくんだから!」

 私は内心、名和田茜は思い込みが激し過ぎると思っていたが、口に出さなかった。同様に西園寺も同じことを思っていた。まるでディズニー映画のプリンセスのように恋い焦がれる立壁由紀を見て、女は恋をするとその人だけしか見えなくなるという通説を信じる気になった。
 そして肝心の恩田薫について西園寺一はある考えを持つに至った。恩田が何者であるかそれを明かすにはまだ早いが、自分たちは大きな思い違いをしていて、全員の証言を聞いた時に確信に変わった。西園寺は恩田について複数の人物が関係しているのではないかと推理した。先ずは証言したひとりひとりを洗いざらいプロファイリングしてそこから解決の糸口を探るのが、得策だと考えているからだ。

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