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「適職」がもたらした大人の発達障害

発達障害の職業適性

非定型発達の人には、専門職がよいとよくいわれます。本人の裁量が大きく上下関係やコミュニティも希薄。ASDのこだわりやADHDの過集中を生かせるというわけです。今の非定型の人が幼少期に特性を発見できれば、職業選択として合理的といっていいと思いますし、多くの非定型の方はこのような職業とのマッチングができないからこそ、職業生活で苦労されています。


僕の場合

一方で、発達障害者支援法ができる前に大学を卒業した僕の場合、大量の偶然がつながって今の職に到達することになりました。これからの()内の記載は、非定型であることが事前に判明していた場合どのように説明できるかを注記したものです。

子供の頃から4教科はできたが体育図工はできず(DCD)
いじめの対象になる(受動型ASD)→私立へ進学
数学のうち幾何系・物理が特に不得手(知覚推理が著しく低い)→文系へ(言語理解を伸ばす)
東大法学部に進学、法曹か研究者志望で決められず(ASDの決められなさ)
二次障害に苦しみ帰郷、ロースクール進学、その後博士課程に
司法試験合格後研究者就職(過集中期)

結果として進路選択は正解だったものの、私立進学がなければその後はありませんし、東大法学部に進んだのも偶然で、他の学部では一般就職や官僚の可能性が増すのでそのあたりで挫折が見えてきます。その中を、無意識の得意分野への集中を重ねた結果、今があります。

今になってわかった生きづらさ

確かに、研究者は身分的にも時間的にも融通がきくので、自分に合った職でした。通常の弁護士になっていたら過労ですぐダウンしたでしょう。ただ、この適職を得たことが、長年の苦しみにベールをかけることにもなりました。学者は議論の場であれば、空気が読めない発言をしてもその内容が正当であれば評価もされますし、社交性のない人は少なくありません(このあたりが学者には発達障害が多いといわれる理由かもしれませんが、僕の目から見るとあまり特性がはっきりした人はいません)。なので、自分が「普通」だと思う期間が長く続きました。実際には長年の経験と言語理解で生んだ無意識のカムフラージュにすぎなかったにもかかわらず。
しかし、特にあASD者は疲労や気分の落ち込みで、十分なパフォーマンスを出せないこともままあります。論文を書かない(いわゆる原稿を落とす)でしのぐ方もいらっしゃいますが僕はそれができず、明らかに水準のよくないペーパーを書くことが度々になってきました。精神的に追いつめられると特性は強く出て、ようやくセルフチェックに至りました。
いくら学者が一匹狼といっても、もちろんそこにはコミュニティがあります。僕はもう諦めていますが、交流が様々な局面に影響することも事実です。とはいえ、世の中にもうこれより適職と思えるものはありませんから、これから先は無理をしないことを一番に、並みの学者として生きていくほかありません。

これから就職する非定型の方へ

暗中模索の結果職を得た僕としては、就労先の選択は非定型の方の最大の関門だと思います。特性理解・分析のもと、長く続けられる就労先・形態を選べることが第一です。それも何年持つかも定かではありませんし。
そして、早期発見・療育等により、そのようなレールを敷けるケースがでてきていることをうれしく思うとともに、少なからず羨ましさも感じます。どこかで道を踏み外せば、もう人生自体終わっていたかもしれない僕としては。



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